英語力が国力を決める時代

アメリカの検索サービス提供会社グーグルが、新聞記事の検索サービスを開始した。過去200年以上の期間にわたって、欧米主要紙の記事が検索できる。これは「驚異」としか言いようのないサービスだ。

オンラインの新聞記事検索サービスは、これまでもあった。私も「パソコン通信」と言われていた時代に、かなり利用していた。これによって資料探しがずいぶん楽になったと思ったのだが、検索できる対象期間はせいぜい10年くらいだったと思う。しかも、かなり高価なサービスであった。このため、インターネットから無料の情報がいくらでも入手できるようになってからは、使わなくなってしまった。

しかし、「200年間」となれば、話は別だ。これほど古い新聞記事は、これまでは大きな大学の図書館に出向かないと見られなかった。しかも、閲覧手続きはそれほど簡単ではない。それに、そもそもどの日付の新聞を見ればよいかがわからない。だから、古い新聞記事は、事実上利用不可能な情報だった。

英語圏に圧倒的有利にはたらく情報の電子化

検索できるようになれば、単に目的の記事が容易に探し出せるというだけではない。電子情報になっているため、さまざまな分析が可能になる。たとえば、単語の頻度分析なら、すぐにできる。電子化された古典文学の単語頻度分析からは、さまざまな発見が可能である。この欄で、『枕草子』について簡単な実例を示した。また、アメリカの新聞の単語頻度分析から、日本に対する関心度を推測できることも書いた。

そのほかにも、さまざまな定量的手法の応用が可能だ。歴史学では、従来の歴史観を覆すような新発見が、多数得られるだろう。それだけでなく、人文科学、社会科学を中心とする多くの分野で、学問の基本的性質に大きな変化が生じるだろう。これまで、「もの知り」はどんな分野でも重要だったが、その価値はほとんどゼロに低下する。重要なのは、いくらでも入手できる情報をいかに活用し、いかなる結論を引き出せるかだ。

変化が生じるのは、学問だけではない。最近の記事を分析すれば、ビジネスに直接応用できる情報を引き出すこともできるだろう。人類の情報分析能力は、飛躍的に増強された。

ところで、情報の電子化は、これにとどまらない。この連載で何度か書いたが、グーグルは、図書館の書籍の電子化作業に着手している。私がスタンフォード大学にいた頃すでに、グーグルのトラックが毎日のように大学図書館に横付けになり、本を搬出していた。搬出した書籍をロボットが撮影して電子化するのだ。

インターネットによって多くの情報が得られるのは事実だが、それは、これまで人類が生み出してきた知識のほんの一部でしかない。知識の大部分は、紙に印刷されたかたちで図書館に存在する。ところが、紙に印刷された情報に関しては、検索技術を応用することができなかった。したがって、これらが自由自在に検索できることの意味は、計り知れないほど大きい。

ここで注意すべきは、検索対象は英語の文献が中心になることだ。英語以外の言語も含まれるだろうが、ヨーロッパ言語が中心であり、日本語は含まれないだろう。つまり、今後の世界においては、英語と日本語の差が、現在よりさらに広がることになるのだ。「差が広がる」と言うよりは、「差が本質的なものになる」と言うべきだろう。

それは、基本的なインフラを持つ言語と持たない言語の差である。

言語の文化インフラの差は、これまでもあった。たとえば、英語には存在する「シソーラス」(類語辞典)が日本にはない(皆無であるわけではないが、プロの使用に耐えるような代物ではない)。しかし、その差は、相対的なものであった。これから生じる差は、本質的なものである。

別の表現をすれば、英語を読めるか否かによって、その人の情報能力には本質的な違いが生じることになる。英語でならさまざまなことがわかるが、日本語ではわからない。だから、日本のことを調べるにも、英語の文献に頼らざるをえなくなるだろう。

200年間の記事を検索できるのだから、第二次世界大戦はおろか、日露戦争も検索できる。実際、「日露戦争」で検索すると、「ワシントンポスト」や「ニューヨークタイムズ」など計1万6300件の関連記事があると表示される。開戦から日本海海戦を経てポーツマス条約で講話が成立するまでの戦況が、当時の新聞情報によって詳細にわかるわけだ。

しかし、現実には、日本人の英語力は低い。それは、人口が多いためだ。これだけ人口がいれば、日本語だけで、経済活動の多くと日常生活のほぼすべてがすんでしまう。

もともとそうした事情があったところに、ゆとり教育が拍車をかけた。これによって、日本人の英語力はさらに低下した。大学全入時代となれば、入学試験においても、英語はさほど厳しく課されないだろう。だから、状況は悪化することはあっても、改善する可能性はほとんどない。

これによる影響はすでに現実化している。前回述べたように、ITの進歩によって、いまや距離を意識せずに情報をやりとりすることが可能になった。それを反映して、10年前には考えもつかなかった経済活動が生じている。インターネットを通じて全世界に広がっている経済活動は、コールセンターやバックオフィス業務にとどまらず、いまや企業活動のほとんどすべての分野に及んでいる。こうした変化は、1990年以降の世界経済の構造をすでに大きく変えた。

文化的には小国として取り残された日本

ところが、日本はこの大変化から完全に取り残されている。その大きな原因は、日本人の英語力の低さだ。インターネット上の世界言語は、英語である。英語でメールのやり取りをし、取引条件を交渉し、英語の文書で契約する。そうしたことをせずに、今後の世界経済の一員となることは不可能である。ゆとり教育などやっている余裕は、本当はなかったのだ。

では、どうすればよいのか。英語力を高めるしか方法はない。そのためには、英語を勉強する時間を増やすしか方法はない。学生時代もそうだし、社会人になってからもそうだ。

それでは、生活に余計な負担がかかるという人がいるかもしれない。英語を母国語とする人たちに比べて、勉強の負担は確かに重くなる。しかし、それは仕方のないことだ。ヨーロッパの小国はこれまでも、そうしたことを経験してきた。小国が生き延びるには、英語が必要だったからだ。その結果、これらの国では、旅行者がどんなことをするにも、英語だけで用が足りて、まったく不便しない。

また、英語を勉強すると、自国の文化を衰退させるという人もいる。しかし、そんなことがあるはずがない。ヨーロッパの小国がそのなによりよい例だ。逆に、英語を勉強しなくても伝統文化が衰退することはある。ほかならぬ日本がその典型例である。

日本はいまや文化的には小国になったことを、はっきりと認識すべきだ。人口やGDPの大きさが国力を決める時代は、すでに過去のものになってしまった。そして、英語の能力が国力を決める時代が始まっている。グーグルの検索サービスは、その象徴である。

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英語力が国力を決める時代” への1件のコメント

  1.  今回の記事は真剣にはっきりと主張が表れていてとても感銘を受けました。日本の中にいると井戸の中の蛙でなんの英語の必要性も感じない人が殆どですが、世界は変わって来ている事をここイギリスに住んで実感しています。
    私は7年前に英国に留学して現在も大学に在学中です。「英語の習得は簡単だ。半年もあればいいだろう。」と安直に考えてやってきましたが、自分の浅はかさを今になって知り、恥ずかしく思います。
    孫達には英語をしっかり勉強するように教えておきたいと考えてます。また、僅かな遺産で子供達がもめるぐらいなら、孫の留学資金に残しておいてやります。
    Nottigham Trent University Bsc(Hons) Equine Science 在学中 65歳

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