安倍内閣の政策は右傾化でなく左傾化

メディアは移り気である。変化には多大の興味を示すが、底に横たわる不変の事態には関心を持たない。「状況は昨日と同じです」ではニュースにならないからだ。

株価も為替レートも、昨日と比べての変化が最大のニュースだ。政権交代も大きな変化だから、報道の注目は集まる。それによって株価や為替レートが動けば、売買によって利益を上げられるから、さらに注目が集まる。総選挙前後からの経済報道は、こうした側面に終始した感がある。

では、日々の経済指標の背後にある日本経済の基礎的条件は変わったのか?

例えば、電機産業が抱える問題だ。2012年3月期に巨額の赤字が発生したことが大きく報道されたが、その問題は解決されたのか? 電機産業だけでなく、日本の産業の国際競争力が全般的に低下しているが、それらは取り戻せたのか? こうした問題は忘れられてしまったようだ。

社会保障制度の改革も、財政赤字の問題も、何も解決されていない。それにもかかわらず、すっかひ忘れ去られている。そして、大型補正予算が編成されるというニュースに注目が集まっている。

メディアの健忘症はやむを得ないとしても、政治はどうか? これら基本的経済問題について、新政権は何かをやろうとしているのだろうか?

報道によれば、産業政策として、公的資金によって工場を買い取ることが検討されているという。確かに、そうすれば、救済にはなるだろう。しかし、日本の製造業の競争力は、どうしようもなく落ちてしまうだろう。金融緩和で円安が進めば、輸出産業には助けになるが、日本の産業の競争力を上げることにはならないだろう。円安による発電用燃料輸入額の増加は、いずれ電気代に転嫁され、製造業の競争力をさらに低下させるだろう。

また、大型補正予算の財源はどうするのか? 国債を発行せざるを得ないが、長期金利が上昇したらどうなるか?

そもそも、これらの政策が提案されるのは、いかなる基本理念に基づくのか?それとの関連で、これらさまざまな政策は、整合的で正当化できるものなのだろうか?

経済における保守主義とは何か

安倍政権の性格付けとして、しばしば¬右傾化」とか、「ウルトラ保守」といった表現が使われる。そうなのだろうか?

経済問題に関して言えば、保守主義とは、自己責任原則と自助努力原則の貫徹だ。したがって、市場の機能を重視し、政府の役割を最小限化しようとする。具体的な政策としては、規制緩和、金融引き締め、緊縮財政が選択される。

この背後にある価値判断をわかりやすく言えば、次のようなことだ。

¬左傾化政策」は、失敗を救済しようとする。しかし、それはコストなしに実行できるものではない。財源調達のための税負担引き上げが回避されれば、国債増発によらざるを得ない。しかし、いずれ市中消化が行き詰まり、日銀引き受けに頼らざるを得なくなる。それはインフレを引き起こし、国民に強制的で不公平な負担を強いる。

こうして、怠けた人が救われて、真面目に働いた人が負担を負う。これでは不公平だ。真面目に働いた者が、そしてそうした人だけが、それにふさわしいリワードを受けられる社会にすべきだ。これが、経済的保守主義の基本的な考えだ。

この立場からすれば、「左傾化」は、公平の点だけでなく、経済活力の点でも問題だ。なぜなら、正直者がばかを見る世界では、誰も真面目に働こうとしなくなり、人々は制度のゆがみを利用して利益を得ようとするからである。例えば、社会主義体制では、実際に生産性を上げるのではなく、生産性が上がったという報告をすることに努力が集中される。そうした傾向が広がれば、経済は機能しなくなり、衰退する。

「保守主義」と「左傾化」のいずれを是とするかは、基本的には価値判断の問題であって、科学的客観的に決められることではない。それ故に、政治上の基本的な対立点になるのである。

安倍政権の産業政策では、企業や個人に自己責任を求めて自助努力を促すのでなく、失敗した企業を救済することが目的とされている。だから、以上の基準に照らして言えば、明確に「左傾化」である。

安倍政権だけでなく、日本のほとんどの政治勢力は、自助努力の否定という意味で、「左傾化」した主張をしている。少なくとも右のような選択が、重要な政治的対立点になったことはない。日本で保守主義の理念を自信を持って語る政治家が現れず、したがって、政治理念の対決がなされてこなかったことを、残念に思う。

世界的大転換の中で「左傾化」する日本

世界は、第2次世界大戦中に、計画経済、国家統制の方向に大きく傾いた。つまり「左傾化」した。それは、アメリカをも含む動きだった。日本における左傾化の中心人物が、「革新官僚」のリーダーであった岸信介である。戦前からの財界人である小一三(阪急東宝クループの創業者、第2次近衛内閣の商工大臣)は、岸を「アカ」と呼んだ。安倍政権は、まさに革新官僚の方向を承継しようとしているわけである。

戦後も、「左傾化」は続いた。西側諸国においても、福祉国家の充実が叫ばれ、中央政府が膨張した。

その動きが逆転したのが1980年代だ。まず、社会主義経済が崩壊した。中国では共産党独裁が続いたものの、経済の実態は市場経済に転換した。アメリカとイギリスを中心として、規制緩和、公的企業の民営化、税制改革が行われた。

「経済を活性化するには、この方向しかない」と認識されたのである。それが90年代の繁栄で実証された。保守主義を取るか否かは価値判断の問題だと先に述べたが、経済活力化との関連については、結論ははっきりしたのである。

しばしば、「新自由主義」と呼ばれた「保守化」の行き過ぎに対して、2000年以降、批判が高まり、また、アメリカの住宅価格バブルや金融危機のような問題点が顕在化した。しかし、基本的な方向付けが変わったわけではない。修正をしつつ、基本的にはいまに至るまで、80年代以降の方向が続いている。

ところが、日本は、公的企業の民営化を除けば、この大きな流れの変化とまったく無関係だった。むしろ逆行した。60年代に比べて、「左傾化」が強まったのである。そして衰退した。これこそが、「失われた20年」の本質である。

私は、公的施策によって製造業が支援されることを¬製造業の農業化」であると考えていた。それがいま、はっきりした形で進もうとしている。

製造業支援を農業化だとして反対する経営者は、いったい何人いるだろうか?岸を「アカ」と呼んだ小林のような財界人が、いまの日本に現れないのを、私は残念に思う。

戦後の日本でも、経団連会長を務めた石坂泰三は、当時の通産省が「特振法」(特定産業振興臨時措置法案)でもくろんだ産業再編成に対して強く反対した。そうした人もいまはいない。

基本理念は、昨日と比べての今日の株価には影響しない。しかし、基本理念は、机上の空論ではない。20年間の株価の推移には、確実に影響する。いまわれわれが比較すべきは、昨日の株価でなく、20年前の株価である。

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