日本経済立て直し第一歩は教育拡充

総選挙の結果は本稿執筆時点ではわからないが、新政権がいかなる政治勢力になったとしても、経済政策面での最大の課題は、日本経済の立て直しである。

憂慮されるのは、「金融緩和をすれば景気が回復する」という類いの安易な考えが広がることだ。

日本経済の不調は、景気循環的なものではない。だから、金融政策で対処できるものではない。1999年のゼロ金利政策、2001年以降の量的緩和、そして10年以降の包括的緩和政策と、次々に金融緩和政策が行われたにもかかわらず、日本経済の不調は、90年代以降継続している。

04年から07年ごろまでの期間に一時的に輸出産業の価格競争力が改善したが、これは円安に支えられたバブルにすぎなかった。そして、電機産業では、このときに建設された巨大工場が、今重荷となっている。今後、企業城下町での工場閉鎖と失業が広がり、救済を求める政治圧力が強まるのは目に見えている。金融緩和は、何のコストもなしに取り得る政策のように見えるので、政治的には飛び付きやすい方向だ。大規模な金融緩和は、実は、将来のインフレの危険性というコストがあるのだが、それは認識されにくい。

経済構造を改革するための基本課題に取り組んでも、目先の情勢に即時効果を及ぼすことはできない。このため、「とにかく目の前の緊急課題が優先だ」として、これまで日本は、円安政策に走り、雇用調整助成金に頼り、エコカーやエコポイントによって将来の需要を先食いしてきた。

こうしたその場しのぎの弥縫策が行き着いた先が、現在の状況である。われわれは今、日本経済の置かれた状況を直視し、目先の状況を変えることでなく、基本的な構造の改革を考えなければならない。「国に頼ればよい。金融緩和や円安で景気回復すればよい」という考えがある限り、日本に未来はない。責任転嫁や政府依存から脱却することが、まず必要である。

中国や韓国に後れを取りつつある日本の人材力

現在の日本が置かれている困難の原因を探れば、人材と教育の問題に行き当たらざるを得ない。それにもかかわらず、総選挙の政策論議で、教育問題はまったく取り上げられなかった。これは、まことに憂慮すべきことだ。

教育が必要な第1の理由は、言うまでもなく、人材の育成が急務だからである。将来の日本経済の主力産業としていかなる産業を考えるにせよ、それを支える人材は、不可欠のものだ。

日本は、江戸時代の藩校でエリート教育を行い、寺子屋で庶民の教育を行った。また、多数の私塾があった。これによって人材の質が高まっていたので、近代化・工業化がスムーズに実現できたのだ。また、明治政府の富国強兵政策の中で、帝国大学の整備は重要な比重を占めていた。これは、現代の開発途上国との大きな違いである。

戦後の高度成長も、教育が支えた。日本の大学は、欧米の伝統的大学にはない工学部を持っていた。したがって、有能な人材をエンジニアにすることができた。半導体産業などを中心とする先進的製造業で、世界をリードすることができた大きな原因がここにある。

ところが、日本の大学の工学部は、「ハードからソフトへ」という80年代以降の技術の大変化についていくことができなかった。また、ビジネススクールはもともと弱かったが、今に至るまで、弱いままだ。したがって、日本の金融業は、80年代の先端金融の発展からまったく取り残された。

さらに、ゆとり教育の影響やハングリー精神の喪失で勉学意欲がなくなり、基礎的な学力が低下した。新しい産業を興すには高度の専門人材が必要であるにもかかわらず、日本の人材の質は、明白に低下している。

他方で、中国、韓国などの大学の実力が急速に向上し、日本の大学を追い抜き始めている。

これらの諸国の製造業は、もはや安価な労働力による低コスト生産だけに頼っているのではない。能力の高い専門人材に支えられた強い競争力を持つ産業になりつつあるのだ。

われわれは、この点に関連して、韓国の経験に学ぶべきだ。私は、次の2点でショックを受けている。

第1は、この連載ですでに述べたように、ポスコ(旧浦項総合製鉄)がつくった大学が、世界工学部ランキングで、東京大学を抜いたことだ。一民間企業がっくった大学が、100年以上の伝統を持つ東大を抜いたのだ。

第2は、韓国の若い人材のグローバルな進出だ。アジア通貨危機で「国には頼れない」と考えるようになった韓国の若者は、積極的に世界に活躍の場を求めるようになった。

日本はこれまで国内に十分なチャンスがあったが、これからは国内だけで十分かどうかは、わからない。しかし、「国内」という制約をはずしてグローバルな視点を持てば、いくらでもチャンスが広がっている。日本の若者は、韓国の若い世代のヴァイタリティを見倣うべきだ。

教育立国でアジアの若者を引き付ける

教育活動は、他産業に人材を供給するだけではない。それ自身が、日本経済を支える主力産業になり得る。

先進国は、質の高い教育を与えることができる。米英の高等教育は、経済活力が低下した70、80年代においても、継続して強かった。先進国にとって、教育産業は比較優位産業なのである。

だから、日本は、本来はアジアの若者の教育を担うべきだった。20年前、30年前からそうだった。

しかし、数優先政策で、留学生の数は増えたが、質が伴わなかった。日本の大学が、本国での落ちこぼれ学生の救済になっている感すらある。

これは、日本の大学の救済策に他ならない。国内の需要が減ったが、供給能力はそのままだから、アジアからの学生で補おうということだ。

外国人観光客で国内観光客の落ち込みを補おうとする「観光立国」と同じ発想である。あるいは、国内の過剰生産能力のはけ囗をアジアの中間層消費者に求めようとする日本の製造業の方針とも同じである。このような「量確保」の発想からは脱却する必要がある。

本来は、東南アジア新興国のりーダーになり得る人材を育成すべきだった。質の低い留学生を100人引き受けるより、将来、国のりIダーになり得る人物を1人教育するほうがずっと大事だ。

今からでも遅くないから、工業化の経験や行政のノウハウなどをアジアの若者に教えるべきだ。そうしたことができるシニア退職者は多い。彼らの活用だけでも意味がある。

ただし、英語で教えることは絶対に必要である。10年ほど前のことだが、マレーシアで講演を行ったとき、「日本で勉強したい」という学生が講演後に来て、さまざまなことを尋ねた。熱心に聞いてメモを取っていたが、「ただし、講義は日本語だよ」と言った途端、驚いた顔をしてメモ帳をしまい、さっさと歩き去っていった。大学院教育を英語以外の言語で行うのは、世界の常識からははずれたことなのである。

シンガポール、香港の大学は言うまでもなく、韓国の大学も、中国のビジネススクールも、いまや英語で教育できる。だから、アジアの学生を教育しようとしても、日本語での教育にとどまっていれば、優秀な学生はそちらに取られてしまうだろう。

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