英語との情報力格差 新聞記事検索で拡大

『ニューヨーク・タイムズ』が、2007年9月18日から、オンラインで過去記事を検索・閲覧するサービスを無料化した。現在無料で利用できるのは、1851年から1922年までと、1987年から現在までの記事だ(一部のPremium articlesは有料)。23年から86年までの記事は、要約が無料で本文は有料になっている。これまでインターネットで過去記事を読むには、月7.95ドル払う必要があったから、大きな変化だ。記事が無料化されたために、グーグルなどの一般の検索サービスでもヒットするようになった。これも大きな変化だ。

アメリカの新聞は、すでに記事をネット公開している。大手紙でオンライン記事の大半が有料だったのは、ニューヨーク・タイムズと『ウォールストリート・ジャーナル』だけだったのだが、アメリカの多くの新聞は地方紙的色彩が強いので、外国人の立場からはさほど利用価値が高くない(IT関係なら『サンノゼ・マーキュリー』がよいが、金融は弱い)。世界経済の動向を見るにはニューヨーク・タイムズとウォールストリート・ジャーナルだったが、いずれも有料だった。だから、無料化の意味は大きい。

ニューヨーク・タイムズが今回の措置を取った背景には、ニュースメディアをめぐる大きな条件変化がある。多くの人が新聞をウェブで読むようになった。しかも、受動的に読むのではなく、検索エンジンで検索する。ところが、記事が有料だとグーグルでヒットしない。こうなると、購読料収入を目当てにするよりも、ウェブに集まる閲覧者に向けて広告を行なうほうが収益が多くなる。

さらに、ウィキペディアが、ある面で新聞的な機能を持つようになったこともある。バージニア工科大学の銃殺事件のようなケースでは、現場近くの一般の人たちが記者になって投稿し、リアルタイムで事件の進行を伝えた。テレビ、ラジオとは違い、文字という新聞と同じ手段でニュースを伝える競争相手が現れたことになる。そうしたものに対抗するためにも、ウェブ記事の無料化は不可避だ。

オーダーメイドのノンフィクションが読める

このサービスを利用するには、New York Times Article Archiveを開き、対象期間に応じて検索ウィンドウに検索語を入力する。

これだけで、さまざまな記事を検索・閲覧することができる。たとえば1905年6月2日付の、日本海海戦に関する臨場感溢れた記事を見ることなどができて、じつにおもしろい(海戦があったのは5月27、28日。この記事は、佐世保に帰還した日本海軍士官の証言を基にしたもの)。

本連載の第405回で書いたように、私は冷戦時代の旧ソ連バレリーナと政治の関係について大きな関心を持っているのだが、これについても、多数の記事が簡単に見出せた(じつは、ニューヨーク・タイムズの無料サービスを見つけたきっかけも、あるバレリーナと共産党の関係を調べたことだった)。これらの記事を材料にするだけで、ノンフィクション・ノベルを書けてしまえそうだ。

冷戦時代に、あるクレムリン・ウォッチャーは、「ソ連共産党中央の権力闘争の状況は、新聞記事に登場する人名を分析するだけでわかる」と言っていた。このような手法は、新聞記事をオンライン検索できることで飛躍的に広がったわけだ。これは歴史学や政治学の研究にも大きな影響を与えるだろう。

異常は歴史上の事件に関することだが、最近の世界情勢についてただちに大量の情報を収集できることは、言うまでもない。いまや、日本の新聞がニューヨークに特派員を派遣する必要はなくなってしまったのではないかとさえ思える。

今から20年近く前のパソコン通信の時代に、ニフティサーブ経由で新聞記事のオンライン検索をしていた。対象期間は限られていたし、有料でもあったが、きわめて有効だった。それよりはるかに広い範囲をカバーするサービスが、いまや無料で使えるようになったわけである。

新聞記事から新事業の可能性を見出す

新聞記事のオンライン検索は、知的好奇心を満たしてくれるだけではない。ビジネスにも応用可能だろう。特に、少人数で行なう、高度の知識を要する事業だ。新聞記事から、ヒントを得ることができるだろう。

たとえば、ITや金融の新しいビジネスとして、どんなものがありうるかについて、萌芽になる動きが記事で見つかるかもしれない。また、新ビジネスそのものが、紹介されているかもしれない。

実際、IT分野では、アメリカで誕生・発展した事業を日本に移植したものが多い。ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)もブログも、またオンラインショッピング、オンラインオークション、オンライン金融取引も、基本的にはすべてアメリカで行なわれていたことの模倣だ。私は、模倣が悪いとは思っていない。便利なサービスはどんどん模倣して、日本人の生活を豊かにすべきだ(ただし、この類の情報を得るのは、単語の意味を調べるのとは違うから、検索方法を工夫する必要がある。これについては、『ダイヤモンド・オンライン』に連載中の「野口悠紀雄が探るデジタル『超』けもの道」を参照)。

ところで、オンライン記事検索に関する日本の現状はどうか? 日本でも新聞記事をインターネットで見られる。しかし、過去記事の検索・閲覧は有料であり、しかも著しく高価だ。とても個人が気楽に使えるようなものではない。

だから、過去の記事を調べるには、未だに縮刷版が主要な方法だ。それを見るには、図書館に行く必要がある。検索の手段は索引しかなく、目的の記事が見つからないことも多い。見出せたとしても、それを書き写す必要がある。ニューヨーク・タイムズとはなんたる違いかと、ため息をつかざるをえない。

80年代初め、日本経済新聞社が提供するオンライン・データサービスNEEDSの端末で回帰計算ができるようになったとき、「統計年鑑のデータを書き写して手計算するのと比べれば、戦車と竹槍の差だ」と痛感した。今新聞記事に関して、同じことを感じる。英語なら戦車を使えるが、日本語で使えるのは竹槍だけだ。言葉による情報力の違いは、絶望的に広がった。

日本のマスメディアは、「日本語」という厚い壁で守られており、国際競争にほとんどさらされないまま、改革を怠っている。

ニューヨーク・タイムズの無料ネット公開も、あまり大きくは報道されなかった。日米のあまりに大きな差があからさまになってしまうと、自分たちに批判が集まることを懸念したのだろうか。

今の状態がつづけば、日本の歴史を調べるにも、英語でアメリカのサイトを調べざるをえなくなる。あと何十年かすれば、日本史における人名は、カタカナかアルファベットでしか表記できなくなるのではあるまいか?

それは日本文化の崩壊以外の何物でもない。「日本の伝統文化を守れ」と言う人たちの多くは、ここで述べたような新しい可能性にはあまり関心を示さない。伝統を守るのは重要だ。しかし、古いものをただ残そうとするだけでは、なんの役にも立たないゴミを残すことにしかならないのだ。

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