世界経済を撹乱した日本の低金利政策

日本の株価下落は、アメリカの無謀な住宅ローンのとばっちりだとされている。あるいは、政治の貧困で日本が見限られたため、外国人投資家が日本株を売るからだとされている。新聞や雑誌の論調は、概してそのようなものだ。

しかし、最大の原因は、これまでの日本のマクロ経済政策の歪みにある。サブプライムローン問題は、日本の外で発生したとはいえ、日本の超低金利政策がそれを引き起こした可能性は、決して否定できないのだ。

まず、円キャリートレードがある。これは、低金利通貨である円を短期で借り、高金利通貨の資産で長期運用するものだ(同じく低金利国であるスイスフランからのものもある)。

国際決済銀行(BIS)の『クオータリー・レビュー』(2007年6月)によると、04年半ばから顕著になった円キャリートレードが、05年第4四半期に顕著に増加した。貸し手は日本の銀行で、借り手は英国、シンガポール、ケイマン諸島などの金融機関だ。

取引の主役は外国のヘッジファンドであるため、正確な取引規模は把握されておらず、さまざまな推計がなされている。国際通貨基金(IMF)は07年4月の報告(Global Financial Staility Report)で、1700億ドルとした。英経済誌『エコノミスト』(07年2月)は、1兆ドルと推計している。このように、推計値には大きな幅がある。

ただし、次のことが注目される。すなわち、アメリカのサブプライムローンの残高は1兆ドル程度といわれているが、右で述べた円キャリートレードの規模は、それに匹敵する。また、日本の外貨準備額もほぼ同じ額だ。

これらはたまたま一致しているわけではない。円キャリーで調達された資金が直接にサブプライム関係に投資されたのでないとしても、カネに色目はないのだから、さもなければ他の資産に投資されたはずの資金が、円キャリーによる資金流入の影響でサブプライムローン関連金融商品に回った可能性は十分ある。

実際、アメリカが04年6月に利上げに転じ、以後6回も利上げを続けたにもかかわらず、長期金利は上昇しなかった。これは、グリーンスパンが議会証言で「謎(riddle)」と呼んだものだが、円キャリーによって巨額の資金がアメリカに流入したからだと考えれば、つじつまが合う。

実際、サブプライムローンが顕著に増加したのは04年から06年にかけてであり、円キャリーの拡大とほぼ同時期だ。つまり、日本の金融緩和がアメリカの住宅バブルをあおったとも言えるのである。

FX取引(外国為替証拠品取引)も円キャリーだ。その規模は数兆円程度と見られている。また、外貨預金や外貨投資信託も同じだ。これらすべては、円安要因になる。それらが引き起こした円安バブルに乗って、日本企業の収益増加と株価上昇が実現した。その崩壊で株価が下落しているのだから、日本は自分で自分の首を絞めたことになる。

日本からの資金流出が批判の対象となっている

本来であれば日本国内の資本形成に充てられたはずの資金がこのように使われたことは、日本国民から見れば損失だ。しかし、流入国の金利上昇を抑えたのだから、高金利国からは感謝されてしかるべきだ。

ところが、実際には、逆に批判の対象となっている。国際決済銀行の年次報告書(07年6月)は、次のように述べている。

対外経済収支の赤字国は、通貨が減価して経常収支赤字が縮小すべきだ。しかし、資本流入があると逆に増価してしまう。そして、国内の資産価格が上昇し、支出を刺激するため、経常収支はさらに悪化する。

アメリカのケースは、明らかにこれに該当する。ニュージーランドや東欧諸国でも同じ傾向が見られた。

これは、日本の超金融緩和政策に対する批判になっている。同報告はさらに、こうした資金の流れが突然変化すると大きな混乱をもたらすと警告している。これは、昨年夏以降に生じたことの予言になっている。

実際、サブプライムローン問題をきっかけに、資金の流れの「巻き戻し」が始まり、それが円高をもたらした。これは、日本の政策当局も認めていることである。日本銀行は、『金融市場レポート』(08年1月)のなかで、次のように分析している。

日本と海外の短期金利差と円レートの変化率とのあいだには、07年前半には正の相関があった。これは、円キャリーが円安の原因になっていたことを示唆する。しかし、07年後半には、相関がマイナスに転じた。これは、巻き戻しが生じたことを示す。このため、円が増価する一方で、NZドルや豪ドルが減価した。11~12月には、円とスイスフランが増価する一方で、豪ドル、英ポンド、加ドルが減価した。日本の個人投資家による投資信託を通じる対外証券投資は続いているが、増加率は大きく低下した。FX取引も8月以降半減し、円高に寄与した。

この事態を招いた責任はどこにあるか?

こうした状況を背後に、国際決済銀行の年次報告書は、日本の金融政策に対して、次のような厳しい意見を述べている。

過剰な設備を抱えた「ゾンビ企業」が生き残っていれば、いかに金利を下げたところで効果はない。したがって、金融緩和と並行して、過去に蓄積された過剰債務と非生産的な設備を削減する努力が行なわれるべきであり、未来のない企業は退出すべきだ。他方で、日本の低金利政策によって流出した資金は、「歓迎されない効果」を世界にもたらした。だから、日本銀行は金融正常化の努力を続けるべきだ。

つまり、日本は被害者ではなく、世界経済撹乱の責任者だとしているのである。ところが、この報告が出た直後に世界的な金融混乱が発生し、金融正常化は不可能事になってしまった。

こうした事態を招いた責任はどこにあるか? それは、これまでのマクロ経済政策を遂行した人びとと、それを批判しなかった人びとである。

直接の責任者は、超低金利金融政策の実行者だ。「デフレ克服のため」として、それを正当化した経済学者の責任も大きい。そして、無謀としか言いようのない巨額のドル買い介入を実施した財務省の責任は、きわめて大きい。

政治家はマクロ経済政策をほとんど理解せず、中身のない政策を「改革」と叫んだ。報道機関はそれを批判できなかった。そして、企業経営者は、企業体質の改善を怠って、低金利と円安バブルに乗った。

では、この過程で利益を得たのは誰か。まずは、円キャリーで巨額の利益を得た海外のファンドだ。日本の個人投資家でFX取引を去年の夏頃までに手仕舞った人には、数億円の利益を得た人もいた。そして言うまでもないことだが、輸出産業は、低金利と円安で利益を得た。

損失を被ったのは、超低金利政策によって利子収入を失った家計と、賃金の低下に悩んだ労働者だ。今後、インフレの進行で資産の実質元本は減るし、円高不況で賃金はさらに抑制される。だから、彼らの苦難はこれからむしろ強まるだろう。

この憂鬱な見通しから脱却する手段は、日本の産業構造を大きく変革することしかない。それこそが、1990年代以降の世界経済の大変化に対応するために、必要なことだった。しかし、それが実現する兆しは、まったく見えない。

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