古紙「偽装」事件が提起した本当の問題は何か

はがきやコピー用紙などの古紙配合率が、契約上の基準を下回っていた問題が発覚した。

この報道に接して多くの人が意外に思ったのは、「古紙配合率をなぜ低めたのか?」という点であろう。高めたのならわかるが、製紙会社はなぜ契約に反して「低めた」のか?

その答えは簡単で、古紙配合率が低いほうが製造コストが安くなるからだ。同じ「偽装」であっても、耐震偽装や食品偽装と根本的に異なるのが、この点だ。

食品の場合、賞味期限切れのものを利用すれば、製造コストは安くなる。だから、食品メーカーは期限切れの牛乳を使って菓子を製造した。これは、まことにわかりやすい。では、紙の場合に古紙を使うと高くなるのは、なぜなのであろうか?

古紙再利用のためには、古紙を回収し、工場まで運搬しなければならない。さらに、洗浄・漂白する必要がある。これらには費用がかかる。だから、製造コストが高くなるのだ。

これは、経済全体としてみれば、多くの資源を使うことを意味する。古紙再利用促進に当たって主張されたのは、環境に対する負荷の軽減であった。しかし、今回発覚した問題は、間接的に必要とされる資源・資材やサービスまで含めると、じつはそうではない可能性を示した。

私は、古紙再利用が本当に環境保護になるのだろうかと、以前から疑っていた。特に、「この印刷物は再生紙を利用しています」と誇らしげに書いてあるのを見ると、偽善を感じていた。

国の古紙再利用は、物品を購入する際には環境に配慮されたものを購入しなければならないとする、2001年施工の「グリーン購入法」(国等による環境物品等の調達の推進等に関する法律)によって義務づけられている。

同法は、地方公共団体や事業者・国民にもグリーン購入に努めることを求めている。

しかし、古紙再利用が本当に環境保護に資するかどうかは、簡単にはわからない。「政府がさまざまなデータを検討して決めればよい」というのは、社会主義の発想だ。

古紙再利用は本当に環境保護に資するのか?

社会主義経済では、古紙再利用が望ましいかどうかは、計画当局が決める。しかし、その決定が正しい保証はない。紙を作るための森林資源の利用量や二酸化炭素の排出量は、直接効果だけなら計算できるだろう。しかし、間接効果まで含めて経済全体としてどれだけの資源・資材・サービスが必要かは、とうてい評価できない。しかも、条件は時々刻々と変化する。

これは、古紙の利用に限らず、すべての財・サービスに関して言えることだ。したがって、社会主義経済では、経済全体として適切な生産を行なうことができない。これに対して、市場メカニズムにおける「価格」は、間接効果まで含めたコストを単純なかたちの情報で表す。だから、それをシグナルとして行動すれば、経済全体として適切な生産が実現できる。

これが、1920年代から30年代にかけて行なわれた経済体制論争において、ハイエクなどが主張したことだ。彼らが正しかったことは、90年代の社会主義経済の崩壊によって確かめられた。

市場メカニズムに批判的な人は、「〈生産コスト〉などというカネ儲けの指標に目をとらわれてはならず、〈地球環境〉という真に重要な指標を考えるべきだ」と主張するだろう。しかし、いかなる方法が地球環境保護に役立つかを判断するには、生産コストこそが最も重要な情報を与えるのだ。

誤解のないように付言しておきたいが、私は、市場メカニズムで環境問題が解決できると言っているのではない。だから、企業が製造コストだけを利己主義的に考えればよいと言っているわけではない。

たとえば、二酸化炭素の排出にはコストがかからないから、市場メカニズムでは評価できない。つまり、環境がかかわる問題で、価格が必ずしも正しいシグナルになっているわけではない。したがって、価格だけをシグナルとして企業が利益最大化行動をすれば、環境汚染が進行する。

私が指摘したいのは、市場価格を無視してこの問題を考えることはできないということだ。ペットボトルのリサイクルや化石燃料からバイオ燃料への転換に関しても、同じ問題がある。間接的に必要とされるものも含めた必要資源総量や、それによる環境への負荷を考えると、リサイクルや転換が本当に望ましいかどうかは、簡単には判断できないのである。

また、技術や要求品質水準が変化すれば、価格は変化し、コストも変化する。計画当局のプランや政府の規制は、そうした変化に立ち遅れがちだ。この点も、市場価格を常にウオッチすべき重要な理由だ。

中国で古紙を使い日本で使わないのが最適?

実際、中国の需要増による古紙価格の上昇を背景に、製紙業界は、古紙の配合率を緩和するよう環境省に要請していた。そして、日本製紙は2007年4月に、「古紙100%の再生紙を廃止」と発表していた。

その理由として、「古紙100%の再生紙を製造すると化石燃料の使用量が増えて、二酸化炭素排出量が2倍以上になる」と説明していた。

もっとも、これは必ずしも説得的な理由ではない。なぜなら、二酸化炭素排出量の問題は昔から変わらなかったはずであるにもかかわらず、日本製紙連合会の数年前のホームページでは、「なぜ古紙利用が必要か」と説明していたからである。

製紙会社は、「古紙価格が上昇したから、古紙利用が困難になった」と率直に説明すべきだった。価格が変化したため製紙会社の方針が変化したとしても、「利益至上主義」と批判することは適当でない。

その理由は、次のとおりだ。中国では、最終製品の品質に関する要求が日本ほど高くない。だから、新しい紙を作るよりは古紙を再利用するほうが安くつく。そのために輸入が増加しているのだ。

したがって、「中国では古紙を使い、日本では使わない」という組み合わせが、世界全体の生産コストを最小化することになる。

今回の事件が提起した本当の問題は、「最終製品の品質に関する要求水準を高いままにしての古紙の再利用は、本当に環境負荷を軽減するのか?」「グリーン購入法の規定を硬直的に墨守しようとするのではなく、古紙価格上昇などの市場シグナルの変化に柔軟に対応すべきだ」ということなのである。

偽装が非難されるべきことは間違いないが、それだけですむ問題ではない。

ところで、環境への負荷を軽減するために疑問の余地なく正しいのは、紙の消費量を総量として減らすことである。たとえば、不要不急の印刷物を作らない、これまで紙で配布していたものを電子媒体にする、不要になったコピーの裏をメモ用紙に利用する……等々が必要だろう。

そして、「紙の使用減」ということですぐに思いつくのは、年賀状だ。もちろん、年賀状のすべてがムダというわけではない。しかし、儀礼上やむをえず出しているものも多い。それに、電子メール時代に、いかにも時代錯誤だ。私はこの機会に、「地球環境保護のため、来年から年賀状は欠礼させていただきます」という通知を、メールで出そうかと思っている。

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