日本は復活できる その条件は何か?

先日、ある観光地を30年ぶりに訪れる機会があり、その変わりようにショックを受けた。

30年前、子どもたちを連れて毎年訪れていた大型レジャー施設が、閉鎖されていた。建物も駐車場も駐車場へのゲートもそのまま放雌され、人影だけがない。敷地内は雑草が一而に茂っている。

口ーマの遺跡なら趣があるが、けばけばしい原色の建造物が放置され、朽ち果ててゆくさまは、みじめという以外の何物でもない。

施設の近くにある土産物店も、閉鎖され、荒れている。道路沿いにある有名ホテルは営業停止で、無残な姿をさらけ出している。泊まったホテルは30年前に国際会議をやった所だ。その当時は建物も真新しく、華やかな雰囲気があった。それがいまや汚れや傷みばかりが目立つ。

あらためて思い返してみれば、これに似た観光地を、これまでに何度も訪れたことがある。右に述べた状況は、決して特殊例ではなく、むしろ日本の観光地の一般的な姿なのだろう。

こうなってしまった原因はいくつもある。少子化のために、子どもを連れてのレジャー旅行は、昔に比べればずいぶん減ったに違いない。それに、休日を過ごす場所としては、ディズニーランドのような強力な競争相手が現れている。また、海外にも手軽に行けるようになった。

ホテルが汚くなるのは、更新投資ができないからだ。日本では、しばらく前から総投資が減価償却を下回っている。つまり、純投資はマイナスになっているわけで、経済全体の資本ストックは減少しつつある。これからは、工場の閉鎖によって生じる産業廃墟が、日本全国の至る所で見られるようになるだろう。生産用資本ストックの減少は、生産性の低下を意味する。

また、道路や橋などの社会資本が更新できなくなる。生活関連の施設が悪化し、交通などの利便性が失われる。現在でもすでに、地方では鉄道が廃線になるケースが少なくない。これが都市にも広がるわけだ。レジャー施設が廃墟になるのはセンチメンタリズムに浸るだけで済むが、生産設備や社会資本の劣化は、経済活動や国民生活に深刻な彫響を与える。

1980年代には、イギリスやアメリカがこうした状態に陥っていた。このころ、イギリスの学者だちと共同研究を行っていたのだが、彼らは、「イギリス全体が大英博物館になってしまつた」と嘆いていた。確かに、イギリスの地方都市を訪れると、石造りの立派な建物があるのだが、通りはごみだらけだった。

そのころ、ニューヨークも汚いとしか感じられなかった。ロスアンジェルスも古びて見えた。西海岸の都市には伝統がないので、古くなるとみじめでしかない。アメリカ人は、「子どもたちの世代は、われわれと同じように豊かな生活を送ることはできないだろう」と真剣に考えていた。

黄金時代とは過去か未来か?

このころ、「ヨーロッパで黄金時代とは、過去のことを言うのだ」と知って驚いたことがある。

ギリシヤ神話によれば、かつての黄金時代、人間は神々と共に住んでいた。世界は調和に満ち、争いも諍いもなかった。しかし、黄金時代は終わり、白銀時代が始まった。そして、青銅時代となり、鉄の時代となった。人びとは堕落し、世の中に争いが絶えなくなった。これが西欧人の歴史観の原点だというのである。

当時の日本人は誰でも、未来は現在より豊かになると考えていた。つまり、未来において黄金時代が到来すると考えていた。学校で「石器時代、青銅器時代。鉄器時代と人類は進歩してきた」と習ったのだから、「青銅時代は進歩の一過程」と考えるのは当然だ。「衰退の一過程」などとは思いも及ばなかった。しかし、今は、「黄金時代とは過去のことだ」というのがよくわかる。

栄光の時代が未来にあると考えるか、過去にあったと考えるかは、人びとの行動に重大な影響を与える。

ある時点までの日本人は、栄光の時代は将来実現すると考えていた。だから、その社会において地位を確保すべく努力した。しかし、今の若者はそう考えない。現在持っているものを失わないように、防衛的行動に走るのみだ。80年代以降に生まれた世代は、成長を知らず、夢を持つことを知らない。

日本人の歴史感覚は、いつごろから変わったのだろうか? 私の考えでは、95年ごろだと思つ。阪神・淡路大震災があり、地下鉄サリン事件があったころだ。それから後が「失われた20年」になってしまったのだ。

ところで、右に見たように、イギリスもアメリカも70年代から80年代にかけては、閉塞感に覆われていた。しかし、どちらも90年代に大変化を遂げた。そして、80年代の衰退から脱却したのである。

私が強調したいのは、イギリスもアメリカも、「栄光の時代は終わった」と多ぐの人が考えた後で、復活が実現したことだ。

いったん衰退を始めた社会は、そのまま衰退を続ける場合が多い。しかし、すべてがそうであるわけではない。イギリスやアメリカは、つい最近の時点で生じた復活事例である。

だから、日本を、これで終わりになるのでなぐ、復活することが可能なはずだ。

復活のためには古いものを捨てる必要がある

それを実現するには、イギリスやアメリカの復活を十分研究する必要がある。そして、それを手本にすべきだ。

次の3点が重要だ。

第1は、「古いものがよみがえったわけではない」ということである。新しいものが生まれたのである。だから、復活のためには、古いものを捨て去ることが必要なのだ。

考えてみれば、これは当然のことである。衰退したのは、これまでの繁栄を支えてきた条件が失われたからである。だから、古いものを守ろうとしては、復活はできない。

古いものを捨てるのは、痛みを伴う。しかし、それを経由しないと、復活への展望は開けないのである。

しかし、現実の世界では、古いものに利益を見いだす人が多いから、古いものを残そうとする政治的な圧力が働く。日本の「失われた20年)は、このために生じたのである。つい最近の例で言えば、エルピーダメモリに対する政府の支援が典型だ。

第2に、イギリスでもアメリカでも、政府が先導して、復活が実現したわけではない。イギリスの場合、自動車工場の誘致などを行ったが、それでイギリスの製造業が復活したわけではない。

新しいものを生み出したのは、規制緩和だ。日本の場合も、規制緩和によって新しい活力を生み出すことが可能だろう。経済が本来持っている活力を解放すればよい。日本にはまだそのポテンシャルが残っている。

第3は、新しいものを生み出すのは自国民とは限らないことだ。イギリスの場合もアメリカの場合も、外国人の果たした役割は大変大きい。「外国人を受け入れると、雇用を奪われる」と考える人が日本には多いが、人材開国によって、パイの大きさ自体が拡大するのだ。

それに、少子化のために、日本の労働力人口は、近い将来に大幅に減少する。人材の受け入れは、世界のあらゆる先進国が行っていることだ。日本だけが例外的に鎖国に近い状態を続けているのである。

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