AIJ事件の根本は高過ぎる利回り追求

AIJ投資顧問による年金消失事件が波紋を呼んでいる。背景にある証券会社の黒い人脈や、社会保険庁OBの関与などが報道されている。また、厚生労働省や金融庁の監督不行き届きも批判されている。こうしたことは、確かに問題だ。

しかし、その前に、もっと基本的で、もっと重要なことがある。それは、基金の保証利回りが高過ぎることだ。

AIJに資金運用を委託したのは、中小企業が集まってつくる厚生年金基金が多い。基金の運用者がAIJを選んだのは、AIJの高い利回りが魅力的だったからだ。

高利回りに引かれたのは、基金が高い利回りを約束しており、それを実現できないでいたからである。

実は、今の経済では実現不可能な高利回りを約束していることが、そもそもおかしいのである。それに基づいて保険料と給付を決めているから、積立金が不足するのだ。このことこそが、今回の問題の根本である。これは、AIJの被害基金だけの問題でなく、企業年金が一般的に抱えている問題なのだ。

高度成長期のように経済成長率が高い経済では、高利回りは可能である。このため、1997年以前は、厚生年金基金の保証利回りは、一律に5.5%と決まっていた。

しかし、低成長経済になると、そうした高利回りは実現できなくなる。これは、「運用の失敗」ではなく、必然なのである。だから、制度の見直しが必要になる。

大企業の企業年金では、積立金の不足を企業が負担して補填し、代行部分を返上した。そして、保証利回りを2.5%程度に引き下げてきた。これでさえ、十分な見直しではない。現在の日本では、2.5%ですら実現できないからだ。実際、2010年度の企業年金の平均運用利回りは、マイナス0.5%である。

中小企業が多い厚生年金基金では、約9割の基金で、過去に決めた5.5%という非現実的な約束がいまだにそのまま残っている。企業の体力が乏しいため代行部分の積立金不足を企業が穴埋めすることができず、また受給者の3分の2の合意がないと給付レベルを引き下げることができないからだ。

ファイナンス理論は高利回りを約束しない

高利回りの修正は容易でない。では、AIJのような運用の「専門家」に任せれば、高利回りを尖現できるのだろうか?

どんな専門家であろうと、それは不可能だ。

現在、10年国債の利回りは1%程度である。利回りがそれより高い投資は、リスクが高い投資にならざるを街ない。たまたま運がよくて高い利回りを実現できるかもしれないが、それを恒常的に維持することはできない。

「国内で運用すれば利回りは低いが、外貨資産で運用すれば利回りが高くなる」と考えられるかもしれないしかし、為替市場が適切に機能していれば、内外利回りの差に等しい率で円高になる。つまり、為替差損を被るわけだ。

「先端的金融理論を駆使したり、デリバティブや証券化などの金融工学を用いれば、高い利回りが実現できるのではないか」と考える人がいるかもしれない。しかし、そんな夢のようなことをやってくれる理論も工学も存在しない。

ファイナンス理論は、「期行利回りが高くなれば、リスクは高くなる」と教えているのである。

私は、ファイナンス理諭の講義をするとき、最初の時間に、「ファイナンス理論を習得すれば、愚かな運用を回避することはできる。しかし、市場の平均以上の利益を継続的に得ることはできない」と注意を与えていた。

先端金融を批判する人ほど、「先端金融理論を使えばぼろもうけができる」と思っているようだ。「ぼろもうけができるから、そして、私はその利益にあずからないから、けしからん」と思い、批判するのだろう。

基金の管理者に運用経験がなかったことが問題だと言われる。しかし、経験があったからといって、上述のファイナンス理論の制約を突破することはできない。

逆に、運用経験がないからといって、適切な運用ができないわけではない。AIJは高い運用実績を恒常的に維持できるとしていたが、「今のご時世に、こんなうまい話があるのだろうか?」と疑ってかかるべきだ。「世の中にうまい話はない」という健全な常識さえ持っていれば、AIJ事件は防げたはずのものなのである。

ゼロ成長で高利回りを仮定した公的年金の誤り

ところで、「経済的にあり得ない利回りを前提として制度を設計した」というのは、企業年金に限ったことではない。実は、公的年金が、出発点において同じ誤りを犯していたのだ。60年代に年金制度の基本を設計するとき、高い利回りを仮定して保険料と給付を決めたのである。

具体的には、次のとおりだ。65年の年金計算においては、厚生年金の「平準保険料率」は、理論的に6.9%であるとされた。「この率を維持すれば、積み立てた保険料と国庫負担によって、将来の年金給付を賄える」とされたのである。

ただし、その計算において、経済成長率はゼロとした。つまり、保険料や給付が経済成長に伴って増加していくことを無視したのである。その半面で、積立金の利回りとして5.5%が用いられた。「少ない保険料であっても、積立金が高利回りで増えていくし、将来の給付は増加しないので、賄うことができる」というわけだ。

これは、ゼロ成長経済において5.5%の利回りを前提としている企業年金と、まったく同じ誤りである。この誤りは、「将来を見通せなかった」ということではない。最初から間違っているのである。

利回りとしてその当時の現実値に近い値を採用し、他方でゼロ成長経済を想定するという、経済的に正当化できないチグハグな仮定を置いたのが、誤りである。高い利回りを仮定するのであれば、給付や保険料も高い率で成長すると仮定しなければならない。逆に、ゼロ成長を仮定するのであれば、利回りもゼロに近い値を仮定しなければならない。「利回りは経済成長率と密接に関連している」という基本的な経済認識が欠如していたのだ。

「制度設計時には予想できなかった人口高齢化が生じたため、公的年金が財政困難に陥った」と説明されることがあるが、そんなことはない。65年当時の説明でも、将来高齢化が生じることは予測されていた。しかし、高過ぎる利子率を仮定したために、将来の事態が不当に過小評価されてしまったのである。

誤った仮定によって保険料率を低く設定し過ぎたため、当然のことながら、積立金では給付を賄えないようになった。

以降の年金改革は、出発点での誤りを正す過程だった。保険料率を引き上げ、支給開始年齢を引き上げた。積み立て方式と説明されていたのが、いつの間にか「修正賦課方式」と説明されるようになった。基礎年金を創設し、国庫負担率を引き上げた。しかし、それでも、追いつかない。

企業年金で給付レベルを引き下げられないのと同じ理由で、公的年金の給付レベルも十分に切り下げることはできない。このため、いくら国庫負担率を引き上げても、年金財政は悪化していく。そして、これこそが現在の日本の財政の基本問題なのである。

Comments

comments

Powered by Facebook Comments