日本の電子産業総崩れ原因は事業戦略の誤り

3月期決算で、電機産業が巨額の赤字に陥ると予測されている。2月27日には、エルピーダメモリが会社更生法の適用を申請した。日本のエレクトロニクス産業は総崩れの様相だ。

この原因として、円高、タイの洪水などがあると言われる。しがし、真の原因は、ビジネスモデルの方向付けが間違っていることだ。具体的には、新興国の工業化、モジュール化、IT革命という三つの大きな変化に対応できながったことだ。

エレクトロニクス産業におけるここ10年間程度の大きな変化は、新興国にEMSやファウンドリと呼ばれる生産受託企業が成長し、安価な製品を生産できるようになったことだ。

日本のテレビメーカーは、これに対抗して、国内に大工場を建設し、液晶テレビの生産を行おうとした。パナソニックの姫路工場や、シャープの堺工場がその例だ。パナソニックもシャープもサムスン電子を意識していた。広がりつつあったサムスンとの差を一気に詰めようとして建設されたと言われる。エルピーダも同様の戦略を取った。

電機産業一般については生産の海外化が進展していたのだが、液晶テレビではこの流れに抗して国内生産化が進んだ。為替レートが円安になり、国内生産の有利性が回復したという事情もある。また、液晶テレビは技術的に高度の製品だと考えられたこともある(実際には、そうではながったのだが)。

しかし、液晶テレビの急激な価格低下に直面して、赤字に陥ることになったのである。

垂直統合モデルの敗北が明らかになった

製造業の生産方式には、「垂直統合型」と「水平分業型」がある。液晶テレビの生産でもこの二つがある。

垂直統合型とは、すべてを一企業で生産する方式だ。パナソニックもシャープも垂直統合型である。サムスンもそうだ。

それに対して水平分業型では、パネル製造は最終製品を作らないEMSが担当する。販売も別会社だ。水平分業型テレビ企業の典型として、アメリカのビジオ(VIZIO)がある。同社は、2002年に設立されたファブレス企業(工場を持たない企業)だ。台湾のEMSが台湾や韓国がら部品を調達し、中国の工場で組み立ててビジオに供給する。

07年ごろ、液晶テレビの生産で垂直型と水平型のどちらが強いかについて、議論があった。日本では、垂直統合が強いとの意見が強がった。しがし、この間題には、いまやはっきりした答えが出た。垂直統合モデルは敗北したのである。

シャープは、液晶テレビの代名詞だった亀山工場の大半を、中国企業に移設したり、中小型パネルの生産に帳換するなど、大幅な戦略転換を図った。

日本メーカーだけではない。サムスンの液晶パネル部門は、ウォン安にもかかわらず、利益が出ていない。サムスンは、量的に拡大しているだけだ。それを支えたのはウォン安である。これは、トヨタ自動車をはじめとする日本の自助車メーカーが03~07年ごろの円安期に、アメリカ市場で圧倒的な競争力を発抑したのと同じ現象だ。

ビジオは、アメリカの液晶テレビ市場でサムスンと首位争いを演じ、最近では、サムスンを抜いて第1位になったこともある。

水平分業化が進んだのは、「モジュール化」が進んだがらだ。これは、一つの製品を規格化された小さな部品に分解し、複数の企業での生産を可能とする方式だ。1980年代までの製造業では、垂直統合が主たる生産方式だったが、90年代になって、モジュール化による水平分業化が進展した。電機・エレクトロニクスについて、これが顕著に進行した。EMSやファウンドリが活躍できるのは、水平分業化が進展しているからである。

とりわけ顕著だったのがPCだ。90年代までは、NEC9801の日本国内でのシェアが、「国民機」と言われたほど高かった。しかし、モジュール化か進み、OSの標準化が実現して水平分業化が進むと、日本メーカーの優位性は消滅してしまった。

それまで垂直統合でPCを生産していたアップルも、iPadから水平分業に転換し、新興国のEMSを活用して低コストでの生産を行い、高い利益を実現するようになった。

ところで、自動車は、機械的に複雑な製品である。このため、部品の互換性がなく、モジュール化か進まない。その結果として、垂直統合方式の生産が続いている。日本の製造業が強いのは、この分野だ。

しかし、これが将来を続くかどうかはわからない。電気自動車は、個々の部品は技術的に高度なものだが、それらを組み上げて製品に組み立てるのは比較的簡単だ。したがって、PCと同じように水平分業化する可能性がある。そうなった場合、PCと同じ事態が生じる可能性は十分ある。

このような変化にもかかわらず、日本の製造業の基本は変わらない。エルピーダの場合には、こうした潮流を国策で押し返そうとして、公的資金を注入した。そして結局は失敗したのだ。

日本半導体産業はIT革命に対応できなかった

エルピーダの倒産は、日本の半導体産業がIT革命に対応できなかったことの象徴である。

80年代、日本の半導体は、世界の70~80%のシェアを持っていた。中心的な製品は、大型コンピユータ用のDRAM(ダイナミック・ランダム・アクセス・メモリ。半導体記憶素子)だった。大型コンピュータ用なので、信頼性の高い製品が求められる。

ところが、80年代の末からPC向けのDRAMが必要になると、大型コンピュータ用ほどの信頼性は要求されず、その代わりに価格が安いことが求められるようになった。

しかし、日本のメーカーは、それまでと同じような高規格のDRAMを生産し続けた(PC用であるにもかかわらず、25年間保証の製品を製造した)。このため、韓国、台湾のメーカーの低価格生産に太刀打ちできなくなった。

技術者が高スペック製品を生産したいと思うのは当然だ。経営者は、企業収益の観点から彼らを説得する必要がある。その意味で、現場力と経営力の戦いで経営が敗れたのだと言ってもよい。

こうした変化にうまく対応したのがサムスンだ。サムスンは、それに加えて、巨額の設備投資によって製造単価を引き下げた。

なお同じころに、MPU(PCで用いられる超小型演算処理装置)の需要が増加した。ここでは、半導体のチップに書き込まれている計算回路の設計が重要な意味を持つ。インテルは、すでに80年代にDRAMから撤退し、MPUに特化していた。

日本はこの分野でインテルに迫い付けなかった。DRAMのように製造工程の効率化が重要な意味を持つ製造業において日本は強いが、MPUのようにソフトウエア的要素が重要な製造業では、日本は弱いのだ。

こうして、日本は低価格製品となったDRAMで新興国に敗れ、ソフトウエアの比重が高いMPUでアメリカに敗れた。結局、日本が強かったのは、基本的な技術が確立されている高性能製品を、効率よく生産することだったのだ。しかし、そうした分野にEMSやファウンドリが成長し、それらとの競争に敗れた。日本の製造業を復活させるには、ビジネスモデルの根本的な再編が必要だ。

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