財政への信頼崩壊は財政危機を加速する

11月8日、民主、自民、公明の3党が、復興債(11兆5500億円)の償還期間を「25年」とすることで合意した。所得税の増税期間も、政府・与党の当初案であった「10年」から倍以上に延びる。

この結果、所得税では、2013年から25年間、税額の2.1%が「復興特別所得税」として上乗せされ、7.5兆円(単純計算で年間3000億円)が徴収される。

復興増税に関しては、復興構想会議の提言にあった「頁担を次世代に先送りしない」が基本方針であった。増税期間が25年では、この原則が守られたとはとうてい言えない。これは、実質的には恒久増税にほかならない。

私は「負担を次世代に負わせるのがよくない」と言っているのではない。むしろ、負担先送りが必要と考えていた。なぜなら、後興予算で建設される道路や橋は次世代も利用するから、次世代も負担することこそ公平だからである。

私が問題としたいのは、増税の理由づけである。実際には恒久増税であるものを「臨時増税」と言い、「復興のため」と言う。これでは、ペテンと言われてもやむをえまい。復興は口実にすぎず、「とにかく増税さえできればよい」という財政当局の意図が明らかになったと人びとは考える。

もちろん、増税期間が25年になったのは、政治的妥協の産物である。財政当局としては、復興国債を早期に償還したかったのに延ばされたのだから、不満かもしれない。しかし、国民から見れば、財政当局も政党も関係ない。間題になるのは、政府対国民である。だから、「ペテンにかけられた」という思いだけが残る。これでは、「政府は不誠実だ」という印象が強化されることにしかならない。

負担を求めるのに最も大切なのは、信頼である。それがあるからこそ増税に応じるのだ。復興にしても社会保障にしても、増税のために最も重要な要件を、政府が自ら壊しているとしか考えられない。

こうした印象が強化されたままで、消費税増税ができるのだろうか?

財政当局にしてみれば、消費税は本命である。それができなくなれば、策に走って策に溺れ、自らの首を絞める結果になったとしか言いようがない。

財務省と与党間の信頼が崩壊している

野田住彦首相は、11月初めのG20(主要20力国・地域首脳会議)で、「10年代半ばまでに消費税率を段階的に10%にまで引き上げる」方針を表明した。6月にまとめた「社会保障と税の一体改革」では消費税増税を決めており、これを国際公約としたわけだ。そして、「準備法案」を来年1月召集の次期通常国会に提出する方針であるとした。「準備法案」とは奇妙な法律だが、増税時期や税率について定めるものだ。いわば、増税の約束である。

なぜこんな奇妙なことが必要かと言えば、財務省が政治を信頼していないからだ。基礎年金国庫負担率の5割への引き上げが04年に決められたが、それは「恒久財源を確保して行う」こととされた。しかし、自民党内閣はそれを実行しないままに放置した。その後「埋蔵金」による対応が行われた。5倍に引き上げる予算措置は埋蔵金を財源として11年度予算で決まったのだが、その財源は復興のための第1次補正予算で使ってしまった。その後、財源手当てはなされていない。

こうして、恒久財源確保は無視され続けたのである。法律で書いたことさえ破られたのだから、財政当局が政治に対する不信の塊になったとしても不思議はない。財政当局と時の与党のあいだで、深刻な信頼の崩壊が起きているのである。

財務省から見れば、政治家は選挙目当ての甘いことしか言わない。だから、準備法で政治家の将来の行動を縛ろうということになる(本来、議会は行政府の勝手な行動を縛るために設置されているのだから、これではまったく逆なのだが……)。他方で、政治家は、「財務官僚は複雑な予算制度の中にまだ大量の埋蔵金を隠しているのではないか」と疑う。こうした信頼崩壊状態は、不毛としか言いようがない。

言うまでもないことだが、本当に必要なことは、財政の立て直しだ。

では、消費税率を5%引き上げればそれを実現できるのか?

この連載で何度か書いたように、一般会計を均衡化するには、その程度の税率引き上げではとうてい足りない。25%を超える引き上げが必要になる。財政赤字を拡大させる最大の原因である社会保障の問題は、それほど深刻なのである。

そして、そのことを国民は理解している。だから、仮に政府に対する国民の信頼が確立されていれば(この場合、信頼確立のために重要なのは、政府が可能な限りの歳出合理化を行つことである)、そして負担が公平なものであれば、国民は受け入れるはずだ。政府に対する信頼の欠如こそが、財政状態を悪化させているのである。

年金への信頼もとうに崩壊している

現在の年金制度は、04年に成立した年金制度改革法によって決められている。これは、100年安心できる制度だとされた。しかし、実際には、30年頃に破綻する(これに関する詳細は、拙著『日本を破滅から救うための経済学』第4章、ダイヤモンド社、10年を参照されたい)。100年安心どころか、実際には数十年しか持たないのだ。こうなってしまうのは、給与の伸びに関する想定が甘過ぎるからだ。あからさまに言えば、偽りの想定をおいて国民を欺いているのである。

したがって、ここでも信頼が失われている。国民年金では、保険料納付率が異常な水準まで落ち込んでいる。「所得が減ったから保険料を払えない」と言われるが、本来なら所得が減ったからこそ苦しくても保険料を払うべきだ。なぜなら、国庫負担があるため有利だからである。

払わないのは、「払ったところで裏切られる。年金は当てにならない」と多くの人が思っているからだ。信頼の崩壊が制度を崩壊させ、財政状態の悪化を加速している。

ところで、10月初めに厚生労働省は厚生年金の支給開始年齢を68歳とする引き上げ案を提案した。ところが、この考えは強い反発を受け、厚生労働省は、支給開始年齢引き上げは通常国会に提出する関連法案に盛り込まない方針を示した。

しかし、じつは、若い世代にとってみれば、支給開始年齢引き上げは望ましいことである。年金問題とは世代間戦争であり、遠い将来での給付確保のためには、近い将来での給付削減が不可欠だからである。若い世代がなぜ賛成しないのか、不思議なことだ。

こうなってしまうのは、「政府は支給開始年齢を引き上げて、まだなにか悪いことをたくらんでいる」という疑いが国民の頭にあるからだ。そのため、本来ならどうしても必要な支給開始年齢の引き上げを実現できないのである。

信頼が失われているのは、政府だけではない。オリンパスの損失隠蔽事件は、企業に対する信頼を広範に瓦解させた。日本は、信頼なしの社会、「だましたほうが勝ち」という社会に突入しようとしているように見える。

財政に関して言えば、準備法で縛るより重要なのは信頼の回復だ。それなくして財政再建はありえない。

来年度の予算編成の過程で、信頼を取り戻せるだろうか?

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