すべての日本企業を抜いたグーグル

最近の円高は、日本企業の生産性が上昇したためにもたらされたものではない。前回(12月1日号)、このように述べた。他方で、ドル安も、アメリカの企業の生産性が低下したために生じたものではない。実際、アメリカには驚くべき生産性を実現している企業がある。

代表は、グーグルだ。その株式時価総額は目覚ましい伸びを示してきた。昨年の今頃には、トヨタ自動車と三菱UFJフィナンシャル・グループを除くすべての日本企業より時価総額が大きくなった。今年になって、三菱UFJを抜いた。そして、この10月末に、ついにトヨタを抜いたのである。これによって、グーグルを上回る時価総額を持つ日本企業は、皆無になってしまった。

これは、驚くべきことである。グーグルは、誕生してから10年もたっていない若い企業だ。IPOを行なったのが、2004年のことである。つまり、「時価総額」が計算できるようになってから、3年しかたっていない。そうした企業が、すべての日本企業より高い価値を持つようになってしまったのである。

1人当たりではトヨタの30倍

こうしたことを聞くと、「株価は当てにならない」と反応する人が多いだろう。確かに株価は、投機的な要因などによっても変化する。だから、工場やそこで働く人びとの実態を見るべきだというわけだ。

確かに、われわれは目に見える工場や本社ビルなどによって、企業の価値を評価しがちである。そして、日本の製造業の企業は、巨大な生産設備を持っている。製鉄会社の工場では、高炉や圧延工場の巨大さに圧倒される。電気会社も多数の工場を持っている。それらの資産額は膨大なものだと、われわれは思う。

しかし、機械がいくらたくさんあったところで、経済価値が高いとは限らない。購入時には価値が高くとも、経済情勢の変化で製品の価値が低下すれば、機械の価値は低くなる。株価は、こうした事情を評価しているのだ。

それが完全な指標でないことは事実とはいえ、工場を見た感覚よりははるかに客観的な評価をわれわれに与えてくれる。だから、グーグルという若くて小さな会社の価値がすべての日本企業の価値より高くなった事実を、われわれ日本人は謙虚に認めるべきだ。

インターネットを日常的に使っている者の立場からすると、グーグルの企業価値が高いのは、不思議でもなんでもない。「われわれがインターネットを支障なく使えるのはグーグルのおかげ」と言えなくもないからである。

01年の記憶は、今でも鮮明だ。その年、私は『インターネット「超」活用法』という本を書いた。そのなかで、「ウェブサイトの数が膨大になってしまったので、インターネットは使えなくなった」と述べた。その当時の検索エンジンで検索すると、関係のないサイトが数多くヒットし、探したいサイトが埋もれてしまうようになったからだ。

ところが、この本の刊行直後にグーグルのサービスが利用できるようになって、この問題は一挙に解決した。私は、自分の不明を恥じるとともに、インターネットが再び使えるようになったことを心から感謝した。

インターネットの有効性が高まったのは、ブロードバンドや常時接続のためだという意見がある。確かにそれらも重要だが、仮に検索サービスが2000年当時のままなら、インターネットは使いものにならないはずである。

こうしたことを考えると、グーグルの時価総額が巨大になっているのは、当然とも言える。グーグルが新しい世界を切り開きつつあるのは間違いないのである。

前回述べたように、ここ数年の日本企業の収益増加は、円安や原料価格高などの価格要因に支えられたものだ。しかし、価格要因は、容易に反転する。円高になって株価が下落している事実が、それを如実に示している。しかし、グーグルの収益性は、資源価格がどう変わろうが、為替レートがどう変動しようが、あまり大きな影響は受けない。

ところで、以上で述べたのは時価総額そのものである。これを従業員1人当たりで見ると、さらに驚くべき事実が判明する。

トヨタとグーグルは、時価総額ではほとんど同じだが、従業員数には大きな差がある。トヨタの従業員数は約30万人だが、グーグルのそれはわずか1万人だ。したがって、従業員1人当たりの価値で見ると、グーグルはトヨタの30倍ということになる。つまり、日本で最も優秀な企業であるトヨタの社員が30人集まって、やっとグーグルの社員1人と同じになるのだ。

トヨタとの比較でこうなるのだから、他の日本企業と比較すれば、その差はもっと大きくなる。

たとえば、総合電機メーカーと比較してみると、数百倍もの差がある。これらの企業の社員が数百人集まって、やっとグーグルの社員1人と同じになるのだ。時価総額そのものも驚くべきことだが、これはもっと驚くべきことだ。

こうした比較をしていると、私は、1960年代の末にアメリカに留学していた頃のことを思い出す。私は大蔵省に勤めていて、月給は3万円程度だった。当時の為替レート1ドル=360円で換算すると、年収1000ドルだ。

日米企業の価値の差はなぜ生じるのか

ところで、当時、アメリカの大学の花形教授の年収は5万ドル程度だった。だから、私の給与の50倍だ。

このとき私は、「この差は、いくらなんでもおかしい」と考えていた。当時のアメリカが、日本とは比較もできないほど豊かであったことは間違いない。しかし、人間の能力に50倍もの差はないはずだ。

今、日本とアメリカの企業の生産性において、同じような差が生じている。これも、「いくらなんでもおかしい」。個人レベルで日本人とアメリカ人を比較すれば、差はあまり感じられないからである。

では、どこがおかしいのだろう。そして、日本は、この差を取り戻せるだろうか? これは、われわれが真剣に考えねばならぬ課題である。そして、日本の実情を見ると、取り返すのは決して容易ではないと考えざるをえない。そう考える理由をいくつか挙げよう。

日本が人口減少社会に入っているから、出生率を引き上げよう、つまり頭数を増やそうという意見が多い。しかし、頭数を増やさなくとも、生産性が上昇すれば十分に補える。グーグルの高い生産性は、そのことを明確に示している。

国産の検索サービスを政府主導で行なうという考えがある。しかし、新聞記事を読む限り、いかなる問題を解決するために国産検索サービスが必要なのかがわからない。私には、「外国に依存するのはいやだから、国産サービスを」という国粋主義しか感じられない。なにより問題なのは、政府が主導しないと問題が解決できないという発想だ。

企業は統合合併によって、つまり図体を大きくすることによって、生き延びようとしている。他方で、敵対的買収に対しては、厚い防御壁を築いて撃退しようとする。つまり、今のビジネスを今のかたちのままで維持し、企業と従業員を守ることが最優先の目的とされているのだ。

これらこそ、日米企業の価値の差をもたらしている真の原因だ。こうした発送から脱却しない限り、日本に未来は開けないだろう。

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