誰のためにもならぬ政府の円高総合対策

政府は9月20日、「円高総合対策」の中間報告を発表した(最終とりまとめは、9月末の予定)。ここには、基本的な考えの混迷が見られる。

これまで円高に対しては、「断固阻止する」というのが政府の基本的な方針だった。この方針に基づき、2010年9月、11年3月、そして11年8月に、円安ドル高を求めての為替市場への介入が行われた。

今回の「総合対策」にも、「為替市場の過度な変動には断固たる措置を取る」との文言は残っている。しかし、「過度な変動」がどの程度の変動か、「断固たる措置」とはいかなる措置か、は明らかにされていない。したがって、「円高を阻止する」という考えからは転換したと考えることができる。これまでの介入が円高トレントに影響を与えることができなかったこと、また、9月9日のG7(主要7力国財務相・中央銀行総裁会議)で円高阻止についての国際的な理解が得られなかったことを見れば、それも当然だ(22日のG20で再び同趣旨の呼びかけをしたが、やはり理解は得られなかった)。

「円高阻止は不可能」との認識を政府が持ったことは歓迎したい。なぜなら、この連載で何度も指摘してきたように、現在の円レートは格別円高とは言えないからだ。03年から07年頃が異常に円安であり、それが経済危機後に正常なレートに回帰しつつあるだけのことなのである。

現在が円高だという誤解が生まれるのは、名目レートだけを見ているからである。しかし、貿易に影響を与えるのは、各国間の物価上昇率の差を調整した実質レートだ。

日本の物価上昇率はアメリカのそれより低いので、円高が継続しない限り、実質レートを一定に保つことはできない。ドル以外のさまざまな通貨を含めた実質実効為替レートで見ると、過去に比べて現在はまだ著しく円安である。

1990年代の半ばは現在より5割程度円高であり、2000年頃は現在より3割程度円安だ。

今回の総合対策の中で「円高メリットの徹底活用」がうたわれたのも、「円高は阻止できない」という認識変化の結果だと言えよう(ただし、具体的な政策内容は、後で述べる「空澗化阻止」と矛盾する)。

「空洞化阻止」は実現可能な目的か?

では、「総合対策」は何をしようとしているのか。その中心は、産業空澗化を阻止するために、企業に補助金を与えることだ。

ここで産業空澗化とは、製造業が生産拠点を海外に移転することを指す。この動きは、2000年頃に進行したが、その後停滞していた。ところが、円高を背景として復活し、昨年の夏頃からかなり顕著な進展を見せていた。

企業はなぜ海外に移転するのか?

理由は明らかで、円高が進行すれば、国内の生産コストがドル表示で上井するからである(正確に言えば、長期的なトレントに比べて、これまで国内生産が異常に有利だったが、その条件が失われたため、企業が国内生産から国外生産に転換しようとしているのである)。

これは、価格変化に対する企業の合理的な対応だ。したがって、空洞化の阻止は、企業の合理的行動の阻止にほかならない。

企業の国内立地を促進するための補助金は、すでに99年度と10年度に計1400億円予算計上されている。野田佳彦首相は、第3次補正予算で「倍以上を積み上げる」と述べている。

では、これによって企業は海外移転を思いとどまるだろうか。そうしたことはないだろう。なぜなら、円高が今後も進めば(右に述べた理由で、今後も進むと考えられる)、また補助金が必要になるからだ。企業を国内につなぎとめるために必要とされる補助金の上乗せ額は、今後際限もなく増えるだろう。しかし、将来もそうした補助金が継続される保証はない。「だぶん、どこかで限度が来るだろう」と考えるのが合理的だ。

そうだとすれば、企業は海外移転の決定を変えることはない。つまり、「円高断固阻止」と同じように、「空洞化断固阻止」も実現不可能な目的なのである(実際、これまでの国内立地補助金は、なんの成果も上げていない)。

一方、総合対策で「円高メリットの徹底活用」の具体的手段として考えられているのは、海外企業の買収や資源確保のための資金枠の設定だ。しかし、これは、生産拠点の海外移転を促進するだろう。つまり、政策は矛盾しているわけである。

政府は、これまでの「円高断固阻止」から「空洞化断固阻止」に目標を変更した。しかし、実現不可能な目標を追求していることに変わりはない。しかも、今回は、矛盾する政策を伴っている。

円高対策も「日本再生枠」も誰の利益にもならない政策

もちろん、製造業が海外移転すれば、国内の雇用は失われる。それに対する施策が必要であることは言うまでもない。

政府が20日閣議決定した12年度予算の概算要求基準には、7000億円の「日本再生重点化措置」の枠が設けられた。この中には、「教育・雇用など人材育成」も含まれている。これによって育成された人材で新しい産業を興し、空洞化で減少する雇用を補おうということであろう。

しかし、それを具体的にどのような目的に支出するかは明らかでない。つまり、金額だけが決められていて、具体的な事業は決められていないのだ。

これほど危険なことはない。予算がムダな用途に用いられるであろうことは、火を見るより明らかだ。

言うまでもないことだが、そもそも予算は、行うべき事業内容の提案がまずあり、それに必要な経費が見積もられ査定されて策定されるものだ。事業の内容なしに金額だけ決まることなどありえない。あるいは、「日本再生」というような抽象的な目的だけで、金額だけが別枠として決められることなどありえない。

重要なのは、具体的な事業の提案と検討である。たとえば、介護分野の雇用を増やすために介護関係者の賃金を引き上げる、あるいは、日本は先端金融分野での遅れが著しいので、専門家養成のため学生の授業料負担を補助して専門家を増やす、等々の施策が考えられる。しかし、「日本再生枠」には、なんら具体的施策は見られない。発想が逆転しているのだ。

このように、今回の円高総合対策も、概算要求の日本再生重点化措置も、経済政策の基本的条件を満たしていない。内容の妥当性を議論する前に、論理的に破綻しているのである。

これまでの経済政策は、製造業の特定分野だけを支援するという意味で、バイアスがかかったものだった。円安政策がそうであるし、エコポイントやエコカー購入支援策は、家電メーカーや自動車メーカーの支援を目的としたものだった。それらは、特定の利益グループを対象とするという意味で、大きな問題を含むものだった。

だが、支援を受ける産業の立場から見れば、それらは意味があるものだった。公平の点で問題があるとはいえ、「誰のためにもならない」というものではなかったのである。

しかし、今考えられている対策は、そうした意味づけすら与えられない。どの立場からも賛同が得られない政策である。このような不可解な政策が登場したのは、日本の経済政策の歴史で初めての事態と言えるだろう。

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