地域間格差是正と分権促進は矛盾しない

本誌11月3日号の「プリズム」欄で、辻広雅文氏は、「地方に道路を作るより、直接におカネを配るほうがよい」と述べている。この意見はまったく正しい。

しかし、残念なことに、こうした考えは、世の中ではほとんど理解されていない。そこで、以下ではなぜ直接補助方式が望ましいかを説明するとともに、これを敷衍して地域間格差の問題を考えることとしたい。

多くの人は、「仕事をして報酬を得るのであれば、経済活動の対価だから許される。しかし、なんの仕事もせずにカネをもらうだけでは、施し物をもらうことになるので望ましくない」と考えている。

しかし、この考えは間違っている。なぜなら、地方に不要の道路を作れば、鉄やコンクリートなどの資材や資源、そして労働力がムダに使われることになるからだ。

そうした資源や労働力を大都市における交通施設の整備に回せば、生産性が高まり、所得が増加するだろう。その増加分(の一部)を、直接に地方に配分すればよいのである。

こうすれば、地方の取り分は道路を作ったときと同じレベルに維持できる。そのうえに、国全体の経済力が増している(以上を経済学の用語で表現すれば、「分配問題を解決するには、資源配分を撹乱しない直接移転が望ましい」ということになる)。

事業者や地方政府でなく住民を直接に補助すべき

「事業より直接補助が望ましい」とは、道路に限らず、あらゆる地方振興策、あらゆる衰退産業保護策について言えることだ。

これまでの日本では、地域間格差や産業間格差是正のために、関連事業に補助が与えられた。その結果、資源の著しいムダづかいが生じたのである。

その典型が、米作農業の保護である。経済成長に農業が取り残され、その結果、都市世帯と農家世帯の所得格差が拡大した。これに対処するため、戦後の日本では、コメの輸入を禁止し、また米作に補助金を与えた。それによって米作農業を行なう農家の所得を保障しようとしたのである。

しかし、その結果、生産性の低い零細米作農業が残存し、農業は衰退した。

米作を保護する代わりに、農家に直接に給付金を与えて所得を保障すればよかったのである。そして、海外の安くて上質なコメを輸入すればよかった。そうすれば、米作に使われた資源、労働力、土地などがもっと生産的な用途に充てられたことだろう。そして、日本の農業は零細米作農業から脱却し、先進国型の高生産性農業に成長していたはずである。

もちろん、直接所得保障方式に問題がないわけではない。最大の問題は、「ハドメ」をかけにくいことだ。道路建設やコメの生産には限度がある。道路をくまなく張り巡らすことはできないし、コメの生産を限りなく増やすこともできない。だから、地方補助や農業保護のための支出には、おのずから限界がある。しかし、直接に所得を補助する場合には、際限なく支出がふくらんでしまう危険がある。

いま1つの問題は、直接の所得保障金は、あまりにあからさまだということだ。仕事をして報酬を得るのであれば、労働の正当な対価だから、堂々と受け取ることができる。しかし、なにもせずにカネをもらうのでは、受け取る側の体面上問題があり、プライドが許さないということだ。

こうした問題があることは事実である。しかし、そのために資源の浪費という多大のコストを支払っていることを忘れてはならない。また、給付に限度を設けるのは政治の役割であるし、体面の問題は給付方法を工夫することで解決できる。

以上のように、格差問題に対処するには、事業を補助するのでなく、個人に対する直接の給付によるべきである。したがって、補助は、事業者や供給者に与えられてはならず、住民や消費者に直接与えられなければならない。

道路建設で問題なのは、道路の建設業者がまず収入を得ることだ。日本の農業政策で問題なのは、農業生産に補助が与えられることだ(この場合は、事業者としての農業生産者と生活者としての農家は一致している。しかし、生産活動が補助されることが問題なのだ)。事業者に補助が与えられるために、前記のような資源のムダづかいが発生するのである。

以上で述べたことは、地方財政問題の根本にもかかわっている。

「ふるさと納税制度」においても、「法人二税の見直し」においても、財政力が弱い地方政府の収入を増やすことが目的とされている。地方政府は行政サービスの生産者であるから、これらは、「生産者や事業者への補助」にほかならない。

税収や増えた地方政府は、その税収をムダな支出に使ってしまう可能性が高い。実際、日本の地方都市を訪れてどこでも感じることは、地方政府の庁舎や公民館、文化センターなどの建物が異常と言えるほどに豪華であることだ。公共的建築物だけが堂々としており、その周囲の町並みの寂れ方と際立った対比を示している。地方政府の税収が増えれば、こうしたムダづかいが助長される危険がある。

地方政府の収入をいかに増やしたところで、住民の所得水準には影響が及ばない可能性が強いのである。したがって、地域間所得格差解消のためには、補助は直接に地域住民に与えられなければならない。地域間格差是正策の基本はここにあるべきだが、最近の地方財政の議論では、この視点がまったく欠けている。

地方分権とはどういうことか

地域住民に補助を与えるには、さまざまな方法がある。直接に給付金を支出してもよいし、所得税で措置することも考えられる。後者の場合には、地域所得が一定以下の地域の住民に対して、所得税で「地域控除」を認めるのである。

これによって、さまざまな問題に対処できる。たとえば、過疎地域の医療施設が少ないとしよう。これを地方政府が整備して措置する場合には、住民税を増税すればよい。給付金や所得税で補助された住民は、高い住民税を支払うことができるだろう。

あるいは、地域に医療機関を作るのではなく、都市部の医療機関を利用することとしてもよい。そのために住民が支払うコストが、こうした方法で補助されるのである。どちらをとるかは、住民の選択だ。

これこそが、地方自治であり、地方分権なのだ。小泉純一郎内閣の「三位一体改革」は、名目上国税を減らして地方税を増やしただけのことだった。ここで最大の問題は、所得税を減らした見返りに住民税の税率を引き上げ、地方政府に自動的に税収を与えてしまったことだ。地方分権促進のためには、財源調達を地方政府の努力に任せるべきだったのである。

しかも、義務教育費という非裁量的支出の負担を地方に押し付けたため、税収は増えたものの新しい支出を行なうことはできなかった。つまり、地方分権の促進とはなんの関係もない結果となってしまったのである。そして、地域間財政格差を広げることにもなった。

地方分権を進めると、地域間の財政格差が拡大するという意見が多い。しかし、以上のような方策を行なうことで、格差の拡大は防止できる。格差問題と分権の促進は別問題であることに注意する必要がある。適切な方法によって両者を同時に達成することは、十分可能である。

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