消費税の目的税化は増税のためのトリック

消費税増税を提言した「社会保障・税一体改革成案について」を閣議決定できなかったことから、増税の実現可能性を疑問視する声が強い。そして、増税のために必要なのは、強い政治指導力だと言われる。確かにそうだろう。

しかし、政治力以前に必要なことがある。それは、増税の必要性について国民を納得させることだ。

そのためには、説明にウソやごまかしがあってはならない。ところが、これまで増税が必要である理由として挙げられてきたもののなかには、ウソやごまかしがきわめて多いのである。

その一つとして、「消費税の税率引き上げによる増収分は、社会保障に充てる」との説明(あるいは主張)を取り上げよう。1999年度から、予算総則でも、「消費税の収入(地方交付税交付金を除く)は高齢者3経費(基礎年金、老人医療、介護)に充てる」とされている。

しかし、この説明(あるいは主張)は無意味である。そう言ったところで。なんの効果もないからだ。

これに関しては、これまで何度も同じことを指摘してきた。しかし、一社会保障・税の一体改革」にも同じことが書いてある(「消費税を原則として社会保陣の目的税とすることを法律上。会計上も明確にすることを含め、区分経理を徹底する等、その使途を明確化する」としている)。そこで、同じ指摘を繰り返すことにしよう。

右の説明を基として、税率を「当面10%」に引き上げる理由について、「成案」は次のように説明している。基礎年金、高齢者医療、介護の3分野の支出は、2015年度で26.3兆円だが、消費税収入は13.5兆円であり、3経費合計に対して約12.8兆円不足する。したがって、それを埋めるために増税が必要になる。これは、消費税率で言うとほぼ5%だ。しかし、この理由づけはトリックである。あまり上品でない表現を使えば、ペテンである。その理由は次のとおりだ。

なぜ「赤字削減のために増税」と言わないのか?

仮に15年度までに増税できないとすれば、不足する12.8兆円は、他の財源で手当てされる。なぜなら、国債発行収入も含めて、予算は必ず均衡しなければならないからである。

ここで消費税を5%増税し、12.88兆円の追加収入を得たものとしよう。すると、そうでなければ充てられたはずの12.8兆円は余ることになる。

それは、自由に使える収入である。だから、たとえば、国債減額に使える。実際、政府はプライマリーバランス(基礎収支)の赤字縮小を目的としているので、そうなる。じつは、これこそが増税がもたらす唯一の実質的な効果だ。つまり、「3経費のために増税したのではなく、国債減額のために増税した」のである。しかし、この場合においても、「消費税収人は3経費に充てた」と説明することは可能である。なぜなら、消費税収は3経費の範囲内に収まっているからだ。「増悦して歳出を増やさなければ、赤字が縮小する」というのは、自明のことである。そしてそのことが、「消費税増収分は3経費に充てた」という説明と矛盾しないだけのことである。

誤解のないように付言するが、私は「国債減額すべきでない」と言っているのではない。それどころか、「国債減額のためにこそ増税が必要」と考えている。なぜなら、現住のような国債消化方式(銀行が、企業貴し付けを減額させることによって国債を購人している)は、いずれ行き詰まり、そうなれば日本経済は立ち行かなくなるからだ。

ところで、上の説明で浮いた12.8兆円を使って、ムダな経費を増やすこともできる。その場合でも、「増収分は3経費に充てた」という説明とは矛盾しない。実際、消費税収が3経費合計を超えない限りは、どんな財政運営をしたところで「増収分は3経費に充てた」という説明が可能なのである。

これからわかるように、「増収分は3経費に充てる」という説明をしたところで、財政運営はなにも束縛されることがない。言っても言わなくても結果に差をもたらさないルールは、無意味である。

たとえて言えば、次のようなことだ。学校で、「よい子であるように心がけましょう」というルールを決めたとする。いたずらが見つかっても、「心がけてはいた」と釈明することはできる。だから、このルールをつくることは無意味だ。日本では、小学生でも言い逃れできるルールが、公の場で堂々とまかり通っているのである。

なお、私は、「どんな場合でも使途の限定化や目的税化はできない」と言っているのではない。復興財政については、使途の限定化は十分可能である。だから、「そのための増税は目的税である」として、増税に理解を求めることはできる。社会保障3経費は、すでに存在し、しかも消費税以外の財源によっても于当てがなされている経費であるため、こうしたことになるのである。

初歩的な論理が破綻している

ただし、詳しく言うと、「消費税収の使途を社会保障に限定する」と主張することは、一つだけ実質的な効果を持つ。それは、「税による増収分を地方交付悦に充てない」ということだ。

これは、意味があることだ。なぜなら、年金を抱えていない地方のほうが財政的に楽だからである。

しかし、それが目的なら、「消費税の増収分は地方交付悦に回さない」とはっきりと言うべきだ。実際、これを実現するためには、地方交付税法や。予算総則を変える必要があるが、なぜ変えるのか?と問われた場合、「使途を社会保障に限定するから」では答えにならない。それではトートロジーである。

なお、「増税分を社会保障に充てる」というのは、次のような意図であるとも解釈できる。それは、「社会保障費が今後増えれば、それに応じて増税する」ということだ。実際、「成案」は、「社会保障のための安定財源を確保する」として、将来的には、社会保障給付にかかる公費の全額を消費税で賄うことを意図しているようだ。しかし、これは大変危険なことである。

なぜなら、それを認めれば、社会保障費の増大に伴って、際限のない増税が許容されてしまうからだ(社会保障費自然増の増加率のほうが、消費税の伸び率より高いからである)。それだけではない。必要な財源が自動的に確保されるために、社会保障費を抑制する努力がなされなくなるだろう。しかし、前回述べたように、社会保障について本来必要なのは、支出を見直して抑制することなのだ。なぜ、増税の本当の理山が説明されないのだろうか? 「赤字を削減するために増税する」と言わないのは、たぶん、国債発行をどこまで削減すべきかについて、説得的な説明ができないからだろう。「地方交付税には回さない」と言わないのは、地方の反発が怖いからだろう、そして、「社会保障のために増税」と言うのは、誰も反対しないからだろう。だから、トリックなのである。

しかし、本当に必要な説明をしないために、論理が破綻している、破綻した論理で説明しても、信頼を失うだけだ。

以上で述べたことは、経済的な議論ではない。初歩的なロジックの問題である。こうしたことを、国会も新闘も問題にしないことこそ問題である。

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