年金の税財源方式は政治と企業のご都合主義

福田康夫内閣は、年金と関連づけた消費税の検討を始めた。基礎年金の全額を税で賄い、それに必要な財源を消費税の税率引き上げで賄うことも、検討課題とされている。

言うまでもなく、年金も消費税も、きわめて重要な政策課題である。もっと早く検討が始められるべき課題だった。増税を言い出せば、国民の人気を失いやすい。しかし、だからといってそれから逃げてしまうのでは、そもそも政権を担当している意味がない。国民が求めるアメを与えるだけのことなら、誰にでもできる。政治の使命とは、不人気でも必要なことであれば、国民にその必要性を理解させ、賛同を得て実行することであろう。消費税や年金の問題をこれまで放置してきた小泉純一郎内閣と安倍晋三内閣の責任は大きい。

さて、先日発表された社会保険庁の資料によると、国民年金保険料の徴収率は、二十代では実に30%程度でしかない。これは驚くべき数字である。こうした状況を見て、「保険料方式では必要な額を徴収できないから、より確実な財源としての税に転換しよう」という議論が出てくるのは、当然かもしれない。新聞論調などにも、そうした考えがかなり見受けられる。

しかし、このような単純な論理で制度の基本を変えられるほど、問題は簡単ではない。

第一に、保険料方式からの移行に伴う公平維持の問題がある。第二に、税方式では所得制限が必要となるが、そのための所得補足の問題がある。これらについては、この連載ですでに述べた。ただし、これらは、どちらかと言えば現実的、実務的な問題だ。最も重要なのは、原則の問題である。以下では、これについて論じることとしたい。

年金こそ民営化の必要が最も大きいもの

年金は、受益者を容易に特定できる(年金の受益者とは、受取人その人である他の人に利益が及ぶことは、ほとんどない)。したがって、税で賄うには、不適切なものである。

このような支出は、保険料などのかたちで受益者が負担すべきものだ。このことこそ、「年金の財源は保険料であるべきか、税であるべきか」を判断する際の、最も重要なポイントだ。

税の投入が許される支出とは、次のようなものである。まず、教育に代表される支出がある。教育の効果は、教育を受けた本人に帰属するが、それだけでなく社会全体が利益を得る。したがって、教育費を賄うために、授業料などの受益者負担的財源を用いるだけでなく、税を財源とした公費を投入することが正当化される。

次に、防衛費に代表される支出がある。この場合には、費用負担を拒否したとしても受益が可能である。したがって、料金などの受益者負担的財源によることができず、税を財源とせざるをえない。

公共支出とは、本来はこうしたもの(外部経済効果がある財やサービス、及び費用負担を拒否する人を受益から排除するのが不可能なサービス)に限定されるべきである(現実には、特定産業に対する補助金など、所得再配分の観点から公的支出がなされる場合がある。しかし、こうした経費の妥当性は、厳しく審査されるべきだ)。

年金のように受益者を容易に限定化でき、かつ外部効果もない支出は、本来は、民間の経済活動に任せるべきである。つまり、民営化すべきものだ。多くの国において国が運営する公的年金が存在するが、その存在理由は、経済的な観点からするときわめて薄弱である。

今議論されている「全額税財源方式」は、民営化とはちょうど対極にある方式だ。民営化が最も必要とされる対象に対して、それと正反対のことを行なおうとしているわけである。

民営化(あるいは受益者負担制)の必要順にさまざまな施策を並べれば、年金は教育より必要度が高い。だから、仮に基礎年金を全額公費負担にするのであれば、教育も授業料を全廃して全額公費負担にしなければ、説明がつかなくなる。

それだけではない。安易な税投入を認めれば、正当化が困難な対象に対する税投入要求が再現もなく生まれ、それらを拒否することができなくなるだろう。その結果、財政は混乱状態に陥ることになる。

小泉内閣は、これまで公的主体が行なってきた事業を「民営化」することが必要であるとし、郵政事業や高速道路事業を民営化した。それにもかかわらず、民営化が最も必要な対象には手をつけなかったわけである。

小泉・安倍内閣は、「市場化テスト」なる概念を導入し、さまざまな公的施策の民営化可能性をテストした。今こそ、このテストを公的年金に適用すべきである。そして、全額税負担とは正反対の結論を論理的に導くべきだ。

全額税方式の年金が提案されている現実的な背景は、冒頭で述べたように、「保険料が徴収できない」ということであろう。それに加え、ずさんな管理が暴露されたため、これまでの方式に依存できなくなったのだ。しかし、これは国家の無能ぶりを認めただけのことであり、税方式を正当化する理由にならない。

あるいは、参議院で多数を占める民主党が税方式の年金を提言していることから、逆転国会で年金問題を切り抜けるには、民主党に擦り寄るのが政治的に最善策と考えられたのかもしれない。政治的マニューバリングの観点からそうした方向が考えられるとしても、経済的な観点からの正当性はまったくない。

また、日本経済団体連合会も税方式を支持しているが、これは、「年金の雇用主負担が企業の大きな負担になるのに対して、消費税は消費者の負担になる」という理由によるものだ。どちらも、ご都合主義としかいいようのないものである。

安易な税方式転換の前に年金財政の適正化

この連載で何回も指摘したように、先般具体策が提示された「ふるさと納税」制度は、地方税の原則や寄付の精神を踏みにじる暴挙としか言えないものだ。

「ふるさと納税」程度であれば悪影響も限定的かもしれないが、年金のように財政の基本にかかわる問題について、無原則そのものの政策論議が大手を振って歩く日本の現状は、危機的状況以外の何物でもない。

最後に指摘したいのは、保険料徴収率と年金財政の姿は関連しているということである。

国民年金の保険料を自営業者などから徴収できるかどうかは、制度発足の当初から危ぶまれていたことだ。それにもかかわらず、最近に至るまでなんとか保険料が徴収できていたのは、ニンジンをぶら下げられていたからだ。すなわち、加入者が、支払った以上の給付を得られると思っていたからである。国庫負担がある以上、積み立て方式で運用されているのであれば、必ず保険料を超える給付が得られるはずなので、こうした期待が持たれることは、不思議ではない。

最近になって納付率が危機的状況まで下がってしまった基本的な原因は、将来受け取れる年金が支払い保険料に及ばないことが広く認識されたことにあると考えるべきである。

つまり、年金財政が悪化したために、納付率が低下したのである。

このことを逆に言えば、仮に年金の財政構造を適正化すれば、保険料の納付率は上がるはずだ。財政の原則を踏みにじって税方式の年金を検討する前に、まず、年金財政の適正化が考えられなければならない。

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年金の税財源方式は政治と企業のご都合主義” への3件のコメント

  1. > 最後に指摘したいのは、保険料徴収率と年金財政の姿は関連しているということである。
    > 国民年金の保険料を自営業者などから徴収できるかどうかは、制度発足の当初から危ぶまれていたことだ。それにもかかわらず、最近に至るまでなんとか保険料が徴収できていたのは、加入者が、支払った以上の給付を得られると思っていたからである。国庫負担がある以上、積み立て方式で運用されているのであれば、必ず保険料を超える給付が得られるはずなので、こうした期待が持たれることは、不思議ではない。
    >
    > 最近になって納付率が危機的状況まで下がってしまった基本的な原因は、将来受け取れる年金が支払い保険料に及ばないことが広く認識されたことにあると考えるべきである。

     年金制度についてまじめな解説や議論をする学者や新聞がない中で、ためにする政治的議論ではなく、保険料を支払いやがて給付を受ける住民(外国籍を含む)の立場から見て、唯一見つけた正論だと思います。
     「積み立て方式」から「賦課方式」へ変化した(と言われる)ことが最も重要なポイントでしょうが、このような重大な点が、いつから、どのような意思決定と責任においておこなわれたか、本当に法的にそうなのか、を長年必死に探して、まだわかりません(野口先生の過去の議論も参考にさせていただきましたが)。
     バブル崩壊後、高等学校などにも社会保険庁から「年金教育」担当の人が来て、生徒に説明する授業が行われることがありました。ご承知のようにこの間のコピーは「年金は世代間の助け合い」というものでした。これを知ったとき、小生は、次のように思いました。
     少子高齢化の進む日本社会でこうした呼びかけをすること自体「将来受け取れる年金が支払い保険料に及ばないこと」の認識を広めることになるので、当然誰も保険料を納めなくなるだろう。だから、当然それを知ってそうした呼びかけをするといことは、日本の国がこうした公的年金制度をもうつぶすという意図をひそかにもっている、としか考えられない。と。

     「積み立て方式」だといわれて保険料を納めてきた人が、給付を受ける段になって「賦課方式」だといわれるのは、詐欺以外の何ものでもありません。「積立金」はどこへ行ったのだ。(実は、膨大な積立金もあることはご承知の通りです。「賦課方式」になったのに積立金がある? これは埋蔵金?それに、記憶されている人は少ないかもしれませんが、かつては、「賦課方式」なら給付を増やせるが、「積み立て方式」だから給付を増やせない、などと説明されていた時代もあったのです。)バブル期には厚生年金なども積み立てが増えすぎて困っていたのも周知のことです。

     もう一つ、「国民年金」制度が難民条約批准以前に「国籍」によって在日外国人を排除していた時期、保険料を納めたくても納めることのできなかった人々が、何十年日本国への税金も納め続けて年老い、一銭の年金もないまま死んでいっています。裁判所も法的な救済をおこないません。その子どもや孫たちは(外国籍のままで)保険料を納めても、「賦課方式」だという自分たちの高齢の親や祖父母への年金給付はないままです。

     「公的年金制度をもうつぶす」という政策に舵取りをし、高校生たちの日本の国への信頼を破壊し絶望させた(みんな大人しいから黙っていますが絶望の深さは日々のさまざまな事件に現れているのかもしれません)後で、どのようにそうした信頼を立て直すかが根本だと思います。そのためには、ほんとうは、そうした意思決定の責任者を処罰するところから始めなければならないのでしょうが。

  2. たしかに税金だと実質的な生活保護になるが、将来の不安はなくなる。
    資産所得制限はなんとかして税方式を導入したほうがいいのでは。
    所得は自己申告で抜き打ち検査して金額がまちがっていたら没収るとか……。

  3. >そのためには、ほんとうは、そうした意思決定の責任者を処罰するところから始めなければならないのでしょうが。

    日本では、行政・政治において
    「責任のとりかた」が、いい加減すぎるというか、いつもうやむやで終了している感じがします。
    年金に関しては、ごめんなさい、ではすまない問題ですね。

    社保庁の事務次官クラスの偉い方が(年金の受給年齢を伸ばしたり、介護保険の創設に尽力した方)が、思わぬ暴漢の刃に倒れ亡くなられたときも、巷の反応は微妙でした。。消えた年金問題の真っ只中のことのような気がします。

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