経済的合理性を欠く社会保障一体改革

復興とともに財政にとっての重要な課題は、社会保障制度の改革である。

政府・与党は、6月17日の「社会保障と税の一体改革」に向けた成案決定会合で、改革の最終案をまとめた。そこでは、消費税を社会保障目的税と位置づけ、2015年度までに段階的に税率10%にまで引き上げることとした。政府・与党社会保障改革検討本部は、6月30日、社会保障・税一体改革の成案を決定した。ここでは、消費税率引き上げ期限は「10年代半ばまで」とされた。ただし、消費税率引き上げに関する意見集約は見送られた。

この問題での一般の関心は、消費税率の引き上げにある。新聞論調などにおいても、「財源不足に対応するための消費税増税ができるか否か」という観点から改革の成否をとらえようとしている。しかし、こうした見方は、適切とは思えない。

社会保障について最も重要な点は、現在の制度を根本的に見直すことだ。つまり、収入ではなく、支出面の検討が必要である。この点は、支出が全体として必要であることはほとんど自明で、財源の選択が重要課題である復興財政問題との大きな違いだ。

社会保障制度を現行のままにした場合の支出額はあまりに大きく、他方でそれに対する財源手当てがこれまでなされてこなかったため、制度を大きく改革しなければ、消費税率を10%に引き上げた程度では「焼け石に水」である。この程度の増税では、増収分は数年のうちに支出増にのみ込まれてしまい、現在とあまり変わらない財政状況に逆戻りしてしまう。「成案」に示されている内容は、日本の社会保障制度が抱える問題を解決するものではなく、一時しのぎの気休めにすぎないことが、まず認識されなければならない。

しかも、「15年度までに」というのでは悠長過ぎる。社会保障制度の多くは、改革が遅れるほど、必要とされる措置の規模が大きくなる。なぜ「今すぐに」とせずに「15年度までに」とするのか、その理山はまったく明らかでない。

また、「将来負担を引き上げる」という約束をしても実際にはいつになっても実行されないことは、基礎年金国庫負担率引き上げの財源がいまだに確保されていないことを見ても明らかだ。これまで「埋蔵金」によって粉飾されてきたが、その財源さえ今年度第1次補正予算の財源として流用されてしまったのである。

年金制度についての本来の「一体改革」

制度改革が特に重要とされるのは、年金である。一定以上の年齢の高齢者を対象に、所得制限なしにかなりの額の給付を行うという基本的な仕組みが見直されなければならない。

所得制限はなされていないわけではないが、「在職老齢年金制度」というきわめて問題の多い仕組みによって行われている。これは給与所得のみを対象とする所得制限であり、他の所得とのあいだに著しい不公平をつくり出している。厚生労働省には独自に所得を調査する能力はないので、年金制度の枠内で所得制限を行おうとすれば、こうなってしまうのは当然だ。所得捕捉能力を持っているのは徴税当局である。したがって、いったん年金はすべての受給者に所定どおり給付し、課税の段階で他の所得と合算することが必要である。現在でも年金所得は総合課税されているが、年金所得控除などが過大だ。こうした特別な優遇措雌を廃止する必要がある。

実際にこのような対応がなされない大きな理由は、年金と税の所轄官庁が異なることだ。そのため、税で上記の調整を行っても、それに伴う税収は一般財源になってしまい、年金の財政収支が好転するわけではない。そのため、厚生労働省としては、税によってこの問題を解決しようとするインセンティブを持たないのである。「社会保障と税の一体改革」とは、本来は、省庁間の壁を越えて改革を実現するということであろう。「一体」という意味は、「必要な措置を税の側でも行う」という意味でとらえられるべきだ。「支出に対応するために増税を行う」というだけの意味ではない。

また、公的年金の必要性についても、議論が必要である。そもそも、若年者の所得がこれほど低くなった社会において、高齢であるというだけの理由で無条件の給付を行う経済的・社会的な合理性は、まったく認められない。

平均余命が著しく延長しているのだから、支給開始年齢は現在の65歳では早過ぎる。これを70歳を超える年齢にまで引き上げ、他方で高齢者が働き続けられる環境を整えるべきだ。この点から考えても、働き続けることに著しいペナルティを科す在職老齢年金制度は、廃止する必要がある。「一体改革」は、本来は労働政策とも関連して考えられるべきものだ。

ところが、上記の一成案」では、こうした問題意識はほとんど見られず、「一体」ということの意味が「支出と収入のバランスを確保する」という意味に解釈され、消費税増税を正当化するための口実として利用されているのである。

復興支出と社会保障支出は対照的

財源を考える場合、社会保障と復興は、あらゆる面で対照的だ。

第1に、制度を所与とする限り、社会保障の支出は継続する。しかも、それらの多くは高齢者に対するものなので、高齢化に伴って支出額が増大する。この点は、支出が1回限りであり、しかも総額がおよそ見当がつく復興費用との大きな違いだ。したがって、社会保障の財源は、基幹税に求める必要がある。

第2に、社会保障費として支出される金額は、受給者の段階でほぼ全額が消費される。医療費の場合には、支出そのものが消費である。したがって、国の資本ストックを増加させる効果はない。だから、財源として、借り入れの増加や資産の取り崩しを用いることは適切ではない。

それにもかかわらず、これまで社会保障経費は、赤字国債という借り入れの増加や、「埋蔵金」という政府積立金の取り崩しによって賄われてきた。これは、日本経済を疲弊させる結果をもたらしている。

国債の償還期限についても問題がある。建設国債の場合、社会資本の耐用年数が60年程度と想定されることから、現在の60年償却制度には一定の経済的正当性がある。しかし、特例公債(赤字国債)については、上記のように支出は最終的に消費されるため、このような正当化はできない。赤字国債は当初は10年償還とされていたにもかかわらず、1985年の特例法によって、建設国債と同じ60年に変更された。これは、正当化できない措置だ。

復興支出を国債で賄った場合、その償還期限を数年にすべきだとする議論がある。しかし、復興財源として国債が発行される場合には、そのかなりの部分は建設国債となるので、償還期限を短くする必要はない。

(「復興基本方針」では、今後5年間で必要な復旧費用は、国費と地方費を合わせて10兆~12兆円程度であり、そのうちインフラ復旧が5兆~7兆円とされている。つまり、ほぼ半分が投資的支出である)

消費的支出に充てられる赤字国債の償還を60年にしたまま復興国債に短い償還期限を求めるのは、まったく筋違いと考えざるをえない。このように、財源をめぐる議論において、経済的合理性を欠く議論がきわめて多いのである。

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