外貨準備を復興財源否定論は合理的か?

対外資産を取り崩して復興財源として用いる場合、民間金融機関が保有している対外資産については、金融機関がポートフォリオを対外資産から国債に変更する必要がある。しかし、金利が上昇したとしても、金融機関がポートフォリオを変更しない可能性は否定できない。

その場合においても、外貨準備なら政府の意思で動かすことができる。そして、今回の復興資金について言えば、それだけで額的には十分だ。

ただし、財務省は、外貨準備を復興資金に用いることに関しては、完全に否定的だ。その理由としては、次のようないくつかの点が考えられる。

第1は、前回も述べたように、アメリカとのあいだで摩擦が生じうることだ。

これは、かつて実際に問題になったことである。1997年、当時の橋本龍太郎首相が「米国債を売りたい誘惑に駆られたことがある」という発言をした翌日、ニューヨーク株式市場で株価が大幅に下落した。日本政府は、事態の収拾に大変な苦労をしたため、政府が保有する米国債の売却は、そのとき以来、タブー視されてきた。

今回は、震災後の「トモダチ作戦」で助けてもらったこともあるので、余計言い出しにくいと感じられているのだろう。

しかし、言うまでもないことであるが、震災後の支援と日本が保有する資産の処分とは別問題だ。保有している資産を困窮時に使うのは当然の権利なのだから、日本は、主張すべきことは主張すべきだ。

実際、今や世界最大の外貨準備保有国である中国は、数年前に政府系の運用会社を設立し、外貨準備の積極的な運用を始めている。こうした情勢変化の中で、日本だけがアメリカの言うなりになって利回りの低い米国債を保有し続けているのは、いかにも不甲斐ない。

外貨準備こそが真の埋蔵金

外貨準備を復興財源に使用できない理由として第2に言われるのは、「外貨準備はこれまでの埋蔵金とは異なり、純粋な政府資産ではない」ということだ。外貨を購入するための資金は、短期国債で調達されている。だから、「政府の立場から見れば、外貨という資産と短期国債という負債が両建てになっており、自由には使えない」という議論である。

しかし、これは技術的な点であって、本質的な問題ではない。短期国債で資金調達がなされているのは事実だが、外貨は保有され続けているので、短期国債は償還されず借り換えられている。したがって、それを長期国債に借り換えても、日本国内の金融市場に影響が及ぶわけではない。そして、保有する外貨を売却すれば、それを復興資金の原資として使うことができる。

重要なのは、これまで強調してきたように、外貨準備も含めて対外資産こそが、日本全体として見ての資産になっているということである。したがって、それを取り崩せば、日本が使用できる資源の送料が増加するのである。「復興資金のファイナンスは、そのような形で行われることこそ望ましい」というのが、これまで述べてきたことである。基幹税の一時的増税を行って経済活動を混乱させることに比べれば、遙かに望ましい財源調達法だ。

これまで予算で使われてきた埋蔵金は、日本全体としては利用できる資産の総量を増やしていない。なぜなら、それは政府にとっての資産ではあるが、なんらかの携帯で運用されているからだ。だから、政府がそれを取り崩して財源として用いれば、運用は縮小せざるをえない。たとえば、国債で運用されていたのだとすれば、それを市場で売却しなければならない。銀行が貸し出しを縮小してその国債を購入するのだとすれば、民間企業が利用できる資源が減る。つまり、政府が利用できる資源が増える一方で、企業が使用できる資源が減るのである。

これは、通常のない国債発行が行われる場合と同じことが、わかりにくいかたちで起こるだけのことなのである。埋蔵金を用いることによって見かけ上の国債発行額を減らすのは、財政の実情を隠蔽するためのごまかしにすぎないのだ。

その意味で、対外資産こそが真の意味の埋蔵金であり、困窮時に使用すべき財源なのである。

復興支出は他の支出と区分経理できる

外貨準備を復興財源として用いることに対して否定的な見解が持たれる第3の理由は、「いったんこのようなファイナンスがなされると、財政規律が弛緩し、ムダな財政支出の際限ない増加を抑えられなくなる」ということであろう。

経常的な支出に対して外貨準備を財源とすれば、確かにそうした問題が生じうる。たとえば、増加する社会保障の財源として外貨準備が使われれば、「財源がある」という安心感が生じて、支出を削減する方向での社会保障制度の見直しは行われなくなるだろう。

それどころか、むしろ給付をさらに引き上げるような圧力が働くだろう。社会保障の場合、いったんそのような制度拡張を認めれば、それはいつまでも続けざるをえない。

他方で、現時点での保有額がいかに巨大であっても、資産の総額は有限だ。したがって、資産を取り崩して経常的な支出を賄えば、制度はいずれ破綻する。

しかし、復興資金は、そのようなものではない。これまで強調したように、1回限りの支出であり、その総額は有限である。しかも、支出は消費されてなくなってしまうのでなく、資本ストックとして残る。つまり、現在、米国債という形態で保有されている資産を、社会資本という形態の資産に変えるだけのことである。

そのため、復興支出は他の支出とは明確に区別して経理することができる。したがって、「外貨準備を取り崩して調達される資金は、復興関係に限定する」というルールが実際に適用できる(しばしば、「消費税の増税で調達される財源を社会保障関係に限定する」ということが主張されるが、そのような限定化は、不可能である)。

以上で見たように、復興関係の財政は、これまでの財政運営の考えの延長線上では対処できない。特に社会保障関係の財政とは、さまざまな点で正反対の対処が必要だ。そうした認識がまったく見られないのが、復興構想会議の提言の最大の問題である。

財務省が外貨準備の取り崩しに消極的である理由として最後に考えられるのは、それを行うと、これまでに被った巨額の為替差損が顕在化してしまうことだ。内外金利差は円高による為替差損をもたらすので、それによる収入は見かけ上のものでしかない。それにもかかわらず積立金を、すでに「埋蔵金」として一般会計に繰り入れてしまっているので、外国為替資金特別会計の資産と負債のアンバランスは、さらに大きなものとなっている。こうした事態が顕在化してしまうことは、財務省にとっては、ぜひ避けたいことだろう。

しかし、それを恐れて外貨を保有し続けても、円高は今後もさらに進むと考えられるので、評価損は拡大する一方だ。

円安を求めての介入政策は大きな誤りであったことを率直に認めるべきである。これまでの円安介入は、「史上最大の円キャリー取引」と言われる。それを、このあたりで「手仕舞う」覚悟を固めるべきだ。復興資金が必要な今は、そのためのまたとないチャンスなのである。

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