どこかおかしい日本の金融規制

金融商品取引法が施行されて、われわれの日常生活にも影響が及んできた。私の場合の影響は、金融機関が主催する講演会において、資料を配布できなくなったことだ。

私の講演会に書いてあるのは、講演要旨と世界各国の1人当たりGDPなどの統計データであり、金融取引にはおよそ関係のないものだ。しかし、万一問題になっては困るということで、配布は見合わせることになった。こうしたデータを口頭で伝えるのは、じつに面倒なことだ。聴衆のほうも、さぞかし迷惑なことだろう。

このような些細なこと(というよりは、トラブルを起こすとはおよそ考えられないこと)が問題になりうる半面で、「円天」などの悪徳商法が野放しにされている。どうでもよいことに多大の神経を使い、本当に重要なことはなおざりにされる。これは、日本における規制の実態を象徴的に示している。

日本の規制には「アリバイ規制」が多い

規制のなかには、監督当局が言い逃れをするためになされているものもある。なにかの問題が生じたとき、「規制が不十分だからこういうことになった」と批判されることは、監督当局としてはなんとしても避けたい。だから、余計なことにまで規制の網をかけておく。こうしておけば、監督当局は、「規制はしていた。それに従わなかったから問題が生じたのだ」というエクスキューズができる。

こうした規制は、「対策はした」というアリバイをつくるためのものだから、「アリバイ規制」と呼ぶことができる。あるいは、問題が起きたときに「あらかじめ注意はしてある」と言うためのものだから、「ディスクレイマー規制」と呼ぶこともできる。

日本の規則には、こうした目的のためになされているものがかなり多い。金融商品取引法の諸規制は、どうしても必要だからなされているものが大部分なのであろう。しかし、アリバイ規制、ディスクレイマー規制も少なからずあることは、否定できない。

実際、金融機関の窓口からは、「あまりに詳細な書類の作成が必要になったので、投資信託などの販売ができなくなった」という悲鳴が聞こえてくる。アリバイ規制は、それをを受ける側から見れば、往々にして商売の障害になる(それに、「円天」のような明らかに詐欺的な商法に騙される人がいることを考えると、形式的なディスクレイマーをいかに整備しても、効果は薄いようにも思える)。

冒頭に述べた私のケースについて言えば、金融機関が過剰反応していることも事実である。施行直後であるため、どのように運用されるかわからない。だから、しばらくのあいだは、些細なことにも神経を使って安全第一でゆこう。このように考えられて、先のようなことになったのだと思う。

しかし、過剰反応せざるをえない状況になることが問題なのだ。

では、金融商品取引法は迷惑だけで誰の利益にもならないものか? もちろんそんなことはない。実際、印刷業界とIT業界は金融商品取引法によって望外の利益を得たと言われる。金融商品の説明書を印刷し直さなくてはならなくなったので、印刷特需が発生したからだ。また、内部統制においてITを活用することとされたので、ITベンダーに特需が発生したからだ。

してみると、金融商品取引法とは、印刷業界とIT業界の陰謀だったのだろうか? もちろん、そんなことはあるまい。しかし、日本の金融規制は「どこかおかしい」と考えざるをえなくなる。

東京をアジアの金融センターにしようという構想がある。しかし、そのためには、「インフラストラクチャー」の整備が必要である。インフラストラクチャーのなかには、ハイテクビルや交通機関などのハードウエア的施設も含まれる。しかし、もっとも重要なのは、ソフト面でのインフラストラクチャーだ。そのなかで、規制の内容やその実施の実態は、重要な地位を占める。

経済取引において、なんらかの規制は不可欠である。「市場経済」とは、「何をやることも自由な経済」ではなく、きわめて厳格なルールの下で初めて成立しうるものだからである。このことは、金融取引において、特に正しい。

しかし、当然のことだが、規制は強ければ強いほどよいというものではない。アリバイ規制があまりに多くなれば、経済活動は萎縮する。規制にはプラスの面とマイナスの面があるのだ。

どのような規制をどのように行なうかは、簡単には答えが見つからない、きわめて難しい課題だ。それをできるかどうかが、金融の世界中心になりうるかどうかを決める。ロンドンでは、それができた。日本で同じことができるだろうか?

右で見たような現状を見る限り、日本を国際的金融取引のセンターにすることなど、およそ白昼夢だと考えざるをえない。

金融取引におけるリスクとは何か

金融商品取引法では、広告において、リスク情報がそれ以外の事項の最も大きな文字と著しく異ならない大きさで表示されなければならないこととされた。

このため、多くの金融機関が金融商品名の入った屋外看板などを掛け替えざるをえなくなった(つまり、金融商品取引法は、看板業界にも特需をもたらしたわけだ)。

金融取引にリスクはつきものだから、こうした規制は必要かもしれない。では、「リスク」とは何だろうか? 重要なのはこの点である。

株式や投資信託がリスクを抱えていることは明らかだ。では、国債は安全な資産と言えるだろうか?

国債は確定利付き債券だから、償還まで保有すれば、名目所得は保証される。しかし、重要なのは実質所得であって、名目所得ではない。インフレ時には、名目資産の実質価値は減価する。戦後インフレによって、日本の国債は紙くず同然になった。今後そうしたことが絶対に生じないとは断言できない。だから、国債が安全な資産かと言えば、そうとも言えないのである。

インフレだけではない。現代の世界では、為替リスクも大きな問題だ。このため、「外貨での運用は為替リスクを伴うことに注意しなければならない」と言われる。そのとおりだ。しかし、円資産が安全かと言えば、決してそんなことはないのである。

円安になれば、輸入品の円価格は上昇する。したがって、円資産の実質的な購買力は減価する。これははっきりと目に見えないが、重要なことだ。これに対処するには、外貨資産で運用するしかない。そうした心配があるからこそ、日本の個人投資家は外貨資産での運用を増やしつつあるのだ。

このように、為替リスクやインフレのリスクを考えれば、「安全な金融資産」などありえないのである。こうしたリスクが問題となる責任は経済政策にあるのであり、金融商品取引法にあるのではない。しかし、リスクが存在するという事実に変わりはない。だから、国債にも日本銀行券にも「これで資産を持つと為替リスクがあります」という注意書きを書くべきではなかろうか?(札の場合には、「日本銀行券」という文字と同じ大きさの文字で。)

雑談をしているうちに、結論はこうしたことになってしまった。もちろんジョークのつもりで言ったことだ。しかし、よくよく考えてみれば、これをジョークと片づけるわけにはゆかないかもしれない。

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