必然性が見えない年金の税方式移行

年金を税で賄う方式が脚光を浴びている。日本経済団体連合会の御手洗富士夫会長が、基礎年金の全額を税で賄う「全額税方式」の導入に、前向きな姿勢を明らかにした。福田康夫総理大臣も、自民党総裁選挙の議論のなかで、この考えに柔軟な姿勢を示した。

民主党は先の参議院選挙のマニフェストで全額税方式の年金改革を提言しているので、福田総理や御手洗会長の発言は、民主党との政策協議の誘い水にしようとする意図があるのではないかと言われている。

なお、経済同友会は、今年の春に、税方式で新たな基礎年金を設ける構想を示している(このため、消費税率を16%まで引き上げる。なお、報酬比例部分は民営化する。)

さて、基礎年金の国庫負担率は、2009年度までに、財源を確保した上で現在の3分の1から2分の1に引き上げるべきことが決まっている。このためには、約2.5兆円の財源が必要だ。これは、消費税の税率で言うと、ほぼ1%に相当する。

ところが、消費税の税率引き上げについては、安倍晋三内閣が「07年度の秋以降に議論を行なう」として検討を先送りしていたために、基礎年金国庫負担率引き上げも宙に浮いたかたちになっていた。

総選挙の可能性があるなかで、消費税の税率引き上げを提示することは、政治的には現時点でも容易なことではない(増税は常に困難な課題だが、この問題に関しては民主党が消費税の税率引き上げに否定的なので、余計難しい)。そこで、「いっそのこと、年金制度の抜本的改革とセットで、消費税の税率を一挙に数パーセント引き上げる」という案が登場してもおかしくはない。

また、国民年金の保険料徴収が進まないという事情もある。現在では保険料を納めていない人が4割近くまで上昇しているが、これに対する有効な手立ては見つからない。そこで、「徴収がより確実な税に財源を切り替えよう」と考えられているのかもしれない。

現行制度との連続性確保は難しい

しかし、税方式への移行については、財源確保以外にもいくつかの困難な問題がある。これについては、民主党マニフェストに対する批判として、7月28日号の本連載で論じたのだが、再びこの問題を取り上げることとしよう。

大きな問題は、次の2つだ。第一は、移行期の問題である。年金制度はすでに数十年にわたって継続しているので、白紙に新しい制度を描くのとは訳が違う。これまでの制度との連続性が確保されなければならない。しかし、これは困難な課題である。

特に問題となるのは、これまでの制度で保険料を支払ってきた人と、支払わなかった人(あるいは、不十分にしか支払わなかった人)との区別だ。まず、未払いがなかったとしても、年齢によって累積支払額は異なる。それらを同一に扱ってもよいだろうか?

さらに、国民年金については、最近の時点では約6割の人しか保険料を納付していない。未払いの人のなかには、「年金はいらないから、保険料は払わない」という「確信犯」も多いに違いない。これらの人に対して、完全に支払った人と同額の年金を給付するのでは、「正直に払った人が損をする」ことにならないか?

こうした問題に対処するには、保険料支払者が存在する世代に対する給付は、保険料支払額を考慮して年金額を調整しなければなるまい。その計算は複雑だし、年金給付においては、「保険料方式」が残存し続けることになる。この移行が完了するまでには何十年もかかるだろう(じつは、経団連は1998年に「税方式」を提言したが、保険料をすでに納めた人に不公平感が生じるという批判があって、議論は沙汰やみになったという経緯がある)。

第二の問題は、所得制約だ。全額を税で賄う給付は、実質的には公的扶助(生活保護)である。したがって、所得制約が必要になる。

問題は、この「所得」としていかなるものを採り、それをどのように捕捉するかである。給与所得とすれば、給与所得者に著しく不利である。また、年金受給年齢において労働を続けることに対する強い阻害要因となる。

現在の厚生年金の在職老齢年金は、給与所得によって年金の減額または停止を行なっている。基礎年金について給与所得だけを基準にして所得制約をかければ、現在の在職老齢年金とは比較にならぬほどの不公平と歪みが発生する。

ところが、事業所得や資産所得等を含めた所得を正確に捕捉するのは、現在の徴税体制では困難だ。特に資産所得については、分離課税になっているものが多いため、現在の税制では把握ができない。しかし、資産所得を除外して所得制約を課するのでは、高額の資産を保有する高齢者に著しく有利である(本来は、そうした人に対する年金をこそ制限すべきであるにもかかわらず)。

したがって、税方式の年金に移行するのであれば、現在の所得税制を抜本的に改正して完全な総合課税制度を確立し、所得捕捉を完全に行なう必要がある。これは、言うはやすく実現はきわめて困難な課題である。

社会保険庁がダメなら国税庁が徴収すればよい

以上のように考えてくればわかるように、最も本質的な問題は、「税方式に移行することの必然性は何なのか?」ということである。

「社会保険庁による保険料の徴収に問題が生じているから、徴収がより確実な税にしよう」と考えられているのであれば、まったくの見当違いだ。

社会保険庁が保険料の徴収能力を持っていないと判定されたのなら、それへの対処は、保険料を国税庁が徴収することである(事実、アメリカなどの制度はそうなっている)。

「保険料を国税庁が徴収すること」と、「保険料という考えをやめて税にすること」とは、まったく別のものなのだ。

前者の場合、保険料納付と年金給付は関連づけられている。保険料を納めなかった人、あるいは必要な期間納めなかった人には、年金は給付されない。しかし、後者の場合、このような関連づけは存在しない。

したがって、「保険料方式でなく税方式がよい」というのは、「負担と給付のあいだに関連をつけなくともよい」という考えなのである。そうした考えに立つなら、「なぜ関連づけないほうがよいのか」を、説得的に示さなければならない。

関連づけをしない給付は、「年金」という名称で呼ぶとしても、その実態は年金ではなく、高齢者を対象とする公的扶助である。

したがって、「高齢者だけを対象としてなぜ高額の公的扶助を行なわなければならないのか?(若年のワーキングプアをなぜ見捨ててもよいのか?)」を、説明しなければならない(私の考えでは、これは正当化できない)。また、公的扶助に所得制約は不可欠だから、どのようにしてそれを実行するかを示さなければならない(私の考えでは、それは不可能である)。

そして、これまでは「関連づけが必要」として保険料方式を採ってきていたのだから、なぜ現時点でその考えを180度転換しなければならないのかを、説明しなければならない(私の考えでは、納得できる理由はない。)

最近脚光を浴びている「税方式」の議論は、こうした要請に応えうるものではないと考えられる。

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