インターネット時代の「ビッグ・ブラザー」?

ジョージ・オウエルの『1984年』は、未来における超国家オセアニアの話である。「ビッグ・ブラザー」と呼ばれる全知全能の支配者が、全国民の全生活を監視している。その道具は「テレスクリーン」と呼ばれる双方向のテレビジョンだ。これにより、市民の行動は1日中「真理省」に監視される。

最初に読んだときには気づかなかったのだが、最近読み返してみて、「こんなことは不可能だ!」と叫んでしまった。

日本の人口を1億人として、テレスクリーンで監視できるかどうかを考えてみよう。監視員1人が100人の市民を監視すると考えると、それだけで100万人の監視員が必要になる。三交代制で勤務するなら300万人必要だ。

くる日もくる日も1日中スクリーンを見るだけの退屈な仕事では病気になる監視員も出るだろうから、予備員が必要になり、それを含めると、常時500万人近くの人数を確保しておくことが必要だろう。そして、監視員がきちんと仕事をしているかどうかを監視する監督者も必要だ。

以上は監視だけに必要な人数だが、問題が発生した場合に現場に駆けつけて逮捕する人員もいるし、その後の対処のための要員もいる。事務処理やさまざまなロジスティックスも必要だ。それらの人員を含めれば、真理省の人員は、1000万人近くになってしまうだろう。

つまり、まったく非生産的な仕事に従事する人間が、全人口の1割も必要になるわけである。それは、労働力人口に対する比率で言えば、4分の1近くになるだろう。こんな国家がまともに機能するとは、とうてい思えない。

それに、これだけ大量の労働力を投入したとしても、とても十分な監視はできない。個々の市民から見れば、1日の100分の1(15分弱)を監視されるだけだからである。残りの時間帯は、監視外にある。監視密度をこの10倍にすれば、全国民を監視員にする必要がある。

もちろん、「いつ監視されているかわからない」という状態は、人びとに恐怖を与えるだろう。しかし、十分な監視が行なわれていないことは、早晩知られてしまう。さらに、監視員の職務怠慢も起こるし、買収も行なわれるだろう。

オセアニア国で悪夢にうなされるのは、監視される市民ではなく、システムを維持しなければならないビッグ・ブラザーのほうだ。

社会主義体制は情報面で崩壊した

以上、長々と『1984年』批判を述べたが、要は、「国民1人ひとりの個人情報を、中央当局(あるいは誰か)が把握することなど、とても不可能」ということである。

1920~30年代に、「社会主義体制は実際に機能するか?」というテーマをめぐって経済体制論が展開された。そこでの中心的な論点は(社会主義経済は労働のインセンティブを提供しうるかという問題とともに)、個別的な情報(ハイエクが「その場にいる人――man on the spot――が持っている情報」と呼んだもの)を、経済主体間で適切に伝達できるかという問題だった。

ソ連の社会は、オウエルが『1984年』で描いた監視社会に近いものになっていた。モスクワのシェレメチエボ空港に何度も寄港したことがあるが、乗客の数ほどの兵士が常時空港内を巡回していた。

こんなムダな仕事に若者を使わなければならないのでは社会主義国家に未来はないと実感したが、それはほどなく現実のものになった。社会主義国家は、国民1人ひとりを監視しようと試み、そのために崩壊したのである。

ただし、以上で述べたことは、情報技術の進歩によって代わりうる。情報処理が高速化し、そのコストや通信コストが低下すれば、従来は不可能であったことが可能になる。

もちろん、技術だけで問題は解決しない。情報処理や通信が進歩しても、個人に関する一時情報を集めるのが容易ではないからだ。「私はどういう人間か。どんな趣味を持っていて、何をしたいと考えているか」といった類いの情報を、人びとは他人に教えようとはしない。国家が強権で集めようとしても、人びとは虚偽の情報を伝えるだろう。

しかし、巧みな方法を考え出せば、その壁を突破することができる。事実、そのようなものが、今、インターネット上に登場しつつあるのだ。

たとえば、アマゾンなどのオンライン書店で書籍を購入または検索すると、画面の下に「お薦め書籍」が出てくる。メールでも知らせてくる。これは便利なサービスだ。専門書は新聞広告などにも載らないので、どのような書籍が出版されているかが、なかなかわからないからである(特に外国の出版物はそうだ)。

しかし、こうしたサービスは、「どんな書籍に関心があるか」という個人情報を引き渡したからこそ、享受できるものだ。「関心のある書籍」は、個人情報のかなり重要な部分を的確に示すものである。したがって、このサービスは薄気味悪いものだ。多くの人がそう感じているだろう。そして、便利さと個人情報提供の危険性を秤にかけている。

新しいビッグ・ブラザーは北風でなく太陽

ただし、便利さが大きければ、利用する。つまり、われわれは個人情報を自発的に提供するわけだ。そうするのは、見返りに得られるサービスがあまりに便利だからである。便利なサービスを提供すれば、人びとは喜んで個人情報を提供するのだ。

「強権的に情報を収集するか、それとも自発的に提供させるか?」。これは、イソップの寓話にある「北風と太陽」の話そのものだ。

ビッグ・ブラザーや社会主義国家は、北風政策を採って失敗した。インターネット上に登場しつつある知恵者は、太陽政策によって個人情報を収集し始めたのである。そして、それをきわめて収益性の高いビジネスに結びつけつつある。

「検索連動広告」も同じである。検索サービスの利用者は、「私はいかなる事項に関心を持っているか」という個人情報を、サービス提供者に伝える。検索サービス提供者は、その情報を利用して広告を送ってくるわけだ。オンライン書店の場合と同様、これも気味悪いサービスだ。もし、私が検索した単語が蓄積されれば、私の個人像はかなり明白になってしまう。

しかし、連動広告は、単に自動的に実行されているだけだろう。また、私の検索語が蓄積されて分析されることもないだろう。われわれは、このように考えて、検索サービスを利用(あるいは期待)している。それに、検索サービスを利用せずに仕事をすることなど、もはや不可能だ。

ビッグ・ブラザーやソ連の指導者は、「統治は情報なり」と強く認識していた。しかし、情報処理や通信の技術が不十分だったため、また強権政策を採ったために、失敗した。「ビジネスは情報なり」と認識していた人もこれまで数多くいたが、それを実際のビジネスに適用することはできなかった。

しかし、これまでは不可能であった個人情報の収集が、実際に可能になってきた。30年代の経済体制論争は、本質的な修正を迫られている。

グーグルはこの方向に向かってさらに一歩踏み出した。それは新しいメールサービスだ。これについては次回に述べよう。

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