出発時からすでに誤りだった年金制度

年金保険料記録がズサンであることは言語道断であり、確実な対応が必要なことは言うまでもない。しかし、年金の問題はそれだけではない。制度そのものに深刻な問題がある。前回指摘したのは、国民年金の未納分をサラリーマンが補填していることだが、制度の根幹にも誤りがあるのだ。

私は、これについて1980年代から繰り返し書いてきた。だから、また繰り返すのは気がひける。しかし、これは国の存立にもかかわる重大事なので、この機会にもう一度書きたい。

これまで、私の指摘に耳を傾ける人はほとんどいなかった。「国がそんなバカげた間違いをするはずはない」と考えられているからだろう。しかし、今回の記録問題は、国が行なう事務の実態が信じられない状態であることを暴露した。これを見て初めて、日本人は、「制度の基本もおかしい」という指摘を受け入れる心理状態になったと思う。

誤りが生じたのは、60年代頃である。そこで、制度の基本設計を間違えたのだ。必要な保険料を低く見積もりすぎたのである。

その頃に行なわれた計算によれば、厚生年金の保険料は標準報酬の6.9%、国民年金の保険料は月額150円で、年金制度を永遠に維持できるとされた。これは、夢のような話だ。このため、国民は「この程度の保険料で老後生活が保障されるなら」と考えて、年金制度の大拡張を受け入れたのである。

しかし、このように低い保険料では制度を維持できないことがわかってきた。そこで厚生省(当時)は、制度改定ごとに保険料を引き上げ、給付額を切り下げてきた。つまり、年金制度の見直しとは、過去の誤りの訂正過程にほかならなかったのである。

成長率と割引率の想定を誤った当時の厚生省

「制度の見直しは、人口高齢化によるやむをえざるものだ」と多くの人が考えている。しかし、高齢化が進むことはずっと前からわかっていた(人口はきわめて慣性が強い現象なので、遠い将来までかなり正確に予測できるのである。ただし、平均余命が予想以上に延びたため、収支見通しが狂ったことは事実である)。

それに、当時考えられていたように積立て方式で運営すれば、高齢化が進んでも、年金財政は影響を受けない(世代ごとに収支が均衡するはずだからである)。

厚生省が保険料を低く見積もった理由は、「成長率と割引率の想定」を誤ったことである。給付や保険料の額は将来不変であるとし、将来の給付や保険料を5.5%の割引率で割り引いて現在値を求めた。そして、保険料と国庫補助の現在値が給付の現在値と等しくなるように、保険料を定めたのである。これは、「その値で、未来永劫に制度が維持できる」保険料であり、「平準保険料」と呼ばれた。

誤りは、ゼロ成長ではありえない高すぎる割引率を用いたことである。

「高い割引率を用いる」というのは、将来生じる問題を小さく評価することを意味する。だから、人口高齢化の効果を著しく過小評価したのである。

「割引率」という概念がわかりにくければ、「積立金の運用利回り」と考えてもよい。右の想定は、「ゼロ成長経済において、積立金だけが異常に高い利回りで増えてゆく」と想定するのと同じである。だから、「安い保険料でよい」ということになったのだ。

90年代の停滞経済を経験した日本人は、「ゼロ成長経済で5.5%の運用利回りなど、実現できるはずはない」とわかる。しかし、高度成長のさなかにあった厚生省には、これが理解できなかったのだ。これは、基本的な経済的センスの欠如である。

この誤りが大きな問題とならなかったのは、80年代の前半までは、本格的な給付は少なかったからだ。保険料と給付の関係がどのようなものであっても、年金収支には問題が生じない。それどころか、積立金は年々増加する。

その後、厚生省は、保険料が低すぎた理由として、「国会審議の過程で保険料が値切られたから」と説明した。つまり、責任は政治家にあるというわけだ。6.9%から5.5%に値切られたのは事実だが、そもそも提案した保険料が安すぎたのである。だから、この説明は「まやかし」だ。

さらに、厚生省は「年金財政は修正賦課方式」という説明に転じた。しかし、当時は、積立て方式で発足した年金制度がなぜ賦課方式になったのかの説明はない。言外に「人口高齢化が進んだから」と責任転嫁しようとしているのだろうが、すでに述べたように、積立て方式の計算が正しければ、高齢化が進んでも制度を維持できる。だから、この説明もまやかしである。

「何十年も前の失敗を、いまさらあげつらったところでどうしようもないではないか」と言われるかもしれない。確かに「覆水盆に返らず」で、時間をさかのぼって年金制度を白紙に戻し、制度設計をやり直すわけにはゆかない。しかし、日本の年金制度が誤りで出発したことを正しく認識し、その誤りをできるだけ早く是正することが必要である。

重要なのは、「できるだけ早く」ということだ。その理由は、保険料の引き上げにしても給付の切り下げにしても、過去にさかのぼれないからだ。保険料を引き上げたとき、その影響を受けるのは、その時点以後の保険料に限定される。過去に安い保険料しか払わなかった人は、「逃げ切ってしまう」のである。

いまだに同じ誤りを繰り返す厚生労働省

同じことが給付についても言える。給付水準の切り下げや条件強化が行なわれるとき、その影響を受けるのは、その決定以後に年金を裁定される人である。既裁定者については、将来受け取る年金にも影響が及ばない(原理的には既裁定者でも将来の年金について改定の影響を及ぼすことは可能だが、実際には行なわれない)。

たとえば、2000年の制度改革によって、65歳以降であっても、給与所得のあるものには年金が減額または停止されることとなったが、これが適用されるのは、37年4月1日以降に生まれた者に限定される。したがって、調整分は後の世代に負わされる。つまり、改革を先送りするほど、後の世代の負担は増す。

第369回(本誌6月23日号)で指摘したように、04年財政再計算で決められた給付と負担の関係を、将来も維持することはできない。だから、見直しが必要である。しかし、厚生労働省は、この計画で所得代替率50%を維持できるとしている。そこで指摘したように、この計算は誤りである。なぜなら、賃金の伸び(2.5%)に比べて高すぎる運用利回り(4.1%)を想定しているからだ。つまり、厚労省は、いまだに同じ誤りを繰り返しているのである。

記録問題について重要なのは、ごまかしをせず、真摯に対応することだ。同じことが年金制度の根幹についても言える。記録問題の責任を歴代の社会保険庁長官や厚生労働大臣に求めるべきだとの議論があるが、それをするなら、ここで述べた問題についても責任追及すべきだろう。ただし、それより重要なのは、問題を解決することだ。

日本国民は、日本の公的年金が深刻な問題を抱えていることを直視すべきだ。問題を隠匿するのではなく白日の下にさらけ出し、対策を考える必要がある。これこそが、選挙で問われるべき最大の争点である。

Comments

comments

Powered by Facebook Comments

出発時からすでに誤りだった年金制度” への1件のコメント

  1. ピンバック: himaginaryの日記

コメントは受け付けていません。