無利子国債・証券化は朝三暮四の猿向け施策

2010年度補正予算の編成が始まっている。5兆円超の追加が考えられているが、財源手当ははっきりしない。

これまで、財源不足を賄うため、いわゆる「埋蔵金」が使われることが多かった。これは、特別会計が保有する積立金などを取り崩すものだ。埋蔵金が尽きてきたので、今後は、無利子国債や国有財産の証券化などの非正統的手段が論議されている。これらは、補正予算に限らず、来年度予算に関しても提案される可能性がある。

非正統的な財源調達手段としては、政府紙幣など「奇策」としか言いようのないものが、これまで提案されてきた。無利子国債や国有財産の証券化も、それと同列の奇策である。国債発行や増税などの正統的手段に比べて、なんの利点もない。そればかりか、財政が抱える深刻な問題を覆い隠すという意味では、害悪をまきちらす。

補正予算も来年度予算も、09年春以降の日本経済の回復が足踏みを始めるなかで行なわれる。法人税が引き続き伸び悩むなど、財源制約が大きい。他方で、景気刺激策として法人税減税などが求められている。このような厳しい条件があるために、奇策に対する要望が強まるのだろう。

財源調達の奇策に対しては、この連載でもすでに批判してきた。しかし、相も変わらず提案されている現状を見れば、批判も繰り返さざるをえない。

無利子国債の発行と国有財産の証券化

まず、「無利子国債」がある。利子をゼロにすれば国債の利払いを節約できるから、財政を圧迫しないというわけだ。

ところが、そう簡単にはゆかない。利子がゼロでは国債を買う人がいなくなるからだ。そこで、購入者に何らかの恩典を与える必要がある。実際には、保有者に対する相続税の免除が考えられているようだ。

しかし、そうであれば相続税収入が減る。利子支払いがなくなっても税収入が減るのでは、国庫にとってネットの収入はない。そればかりでない。無利子国債を買う人は、利子喪失分より相続税免除額が大きいと思うから買うのだろう。だとすれば、国庫の収入はネットでマイナスになる。

この仕組みに意味があるとすれば、将来得られるはずの相続税収入の割引現在価値を現時点で得られることだ。つまり、将来の相続税収入の先食いである。しかし、それは、通常の国債とまったく同じものである。なお、このような国債は、個人消化されるだけで、流通市場は形成されにくい。したがって、いびつな形の国債になるだろう。

奇策の第二は、国有財産の証券化である。一般的に言えば、「証券化」という手法は、現在の金融活動の様々な面で活用されている有意義な手段である。たとえば、住宅貸し付け(モーゲッジローン)の証券化はアメリカでは広く行なわれており、国債に次ぐ巨大なマーケットが形成されている。その後さまざまな対象が証券化され、「原理的にはいかなる資産も証券化できる」と言われる。

ただし、そのためには、絶対に必要な条件がある。それは、対象資産が現金収入(キャッシュフロー)をもたらすことだ。それがないと、証券化商品の利払いができないからである。

国有財産は、この点で大きな問題がある。なぜなら、現金収入をもら足す資産はあまり多くないからだ。たとえば、官庁の庁舎や土地は国有財産だが、証券化はできない。現金収入がないからである。

もちろん、現金収入をもたらす国有財産もある。しかし、それらを証券化してしまえば、国庫の収入が減る。証券化の利点は、将来の収入を先食いすることだけだが、これは通常の国債と同じ機能である。つまり、無利子国債の場合とまったく同じことだ。

このように、提案されている奇策の財源調達手段では、実際には財源を調達することはできない。腹を痛めずに財源手当をすることはできないのである。フリーランチがないのと同じことだ。

もし「なんの問題もなく税収入に代わりうるもの」があるのなら、「なぜ今まで使われなかったか?」を考えれば明らかだろう。

予算に表れる政治の無定見と無責任

奇策の経済効果は、国債と同じである。しかし、一見したところでは、国債を増発せずに問題が解決されたかのような錯覚に陥る。その意味では、問題の隠蔽である。

中国の故事にある「朝三暮四」とは、それまで猿に与えていた朝4個夕4個のトチの実を、朝3個夕4個に減らしたところ、猿は歯をむいて怒った。しかし、朝4個夕3個にしたら猿は喜んだ、という話だ。

「国債発行は問題だ」と誰もが言うから、「国債を増発して財源を調達する」と言うと、世論の厳しい批判にさらされる。そこで日本政府は、経済的には国債増発と同じである埋蔵金を使ったが、これに対する批判はなかった(少なくとも、国債増発に対するような強い批判はなかった)。

これに味をしめた政府は、「日本国民は猿のようなものだ」と考えたのだろうか? 奇策が朝三暮四だと知りつつ、「この予算編成だけはなんとかしのげればよい」と考えているのか? そうであれば、国民を愚弄している。

あるいは、本当に有効な方法だと考えているのだろうか? それなら、日本政府のレベルは、まことに救いがたい。

非正統的財源調達手段の問題は、以上に尽きない。

基礎年金の国庫負担引き上げに年金積立金を使うことが検討されている。今積立金を取り崩せば、将来の年金財政は逼迫する。したがって、保険料の引き上げや給付削減が必要になる。このことは、あらためて言わなくとも明らかだろう。

問題はそれだけではない。年金積立金を使うのは、国庫負担率引き上げの趣旨に反するものである。

そもそも、国庫負担率が引き上げられたのは、なぜだろう。年金財政逼迫の解消策として保険料の引き上げや給付削減という年金制度「内」の施策を取れば、保険料支払者や受給者の負担が増える。そのために、国庫負担という年金制度「外」の方策を求めたのだ。

ところが、そのための財源を年金積立金に求めるのでは、「元の木阿弥」で、負担は年金制度「内」に戻ってしまう。これでは、何のために年金制度「外」の方法をとったのかが、わからなくなる。これは、精神が錯乱しているとしか言いようがないことだ。

財源手当を怠ってきたのは、自民党も同じだ。その意味では、自民党も民主党も変わりがない。しかし民主党は、子ども手当などのバラマキを増やしている。

本来であれば、民主党が予算編成の最初から担当した初めての予算なので、将来に向かっての財政ビジョンが具体的な数字として示されるべきだ。

予算編成における「政治主導」とは、財源のつじつま合わせのために奇策を探すことではない。財政運営のビジョンを明確にすることだ。

具体的には、子ども手当や農家戸別所得補償をはじめとするマニフェスト関連施策を継続して、日本の財政を破綻に導くことになってもよいのか? 社会保障制度、特に年金はどうするのか? 恒久的財源は、消費税なのか、あるいは他の税目なのか? これらに対する明確な方向付けを示すことこそが「政治主導」である。

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