中国依存の経済は深刻な危険を孕む

尖閣列島沖の衝突事件で逮捕された中国人船長が釈放された。日中関係への影響を考慮した措置と説明されている。そして政府は、検索独自の判断であるとし、政治介入を否定した。

これは、いかにも奇妙な説明である。あらためて言うまでもないが、検察が第一義的に行なうべきは、外交的な配慮ではなく、証拠に基づき、法に照らして判断することだ。

そして、政府首脳が行なうべきは、今回のような国の基本に関わる重大案件に関して、自らの判断を明確に表明し、国民の理解を求めることだ。

今回の措置は、「現実路線」や「おとなの対応」という類いのものではない。これは、責任の所在を不明確にして行なわれた超法規的措置以外の何物でもない。超法規的措置は、ハイジャック犯の要求に屈した1970年のよど号事件以来のことである。ただし、このときは政府が決定した。

恫喝に屈して超法規的措置を取ること事態が重大問題であるが、それに加えて政府が責任を取らないとなっては、前代未聞のことだ。日本は、外交の基本問題に関しても無原則の行動しかできない国であることが、世界中に知られた。われわれは、国際社会の中で誇りを持って生きてゆくことが困難になっている。

ところで、外交案件の交渉条件は、通商関係と無関係ではない。日本が中国の需要に依存する外需依存経済体質を続けてゆけば、日本経済全体が中国に人質にとられるかたちになる。そのため恫喝に屈しやすくなり、外交上の立場がますます弱まると懸念される。

以下では、外需依存経済の国際政治的側面について考えることとしよう。

中国市場への依存を強めつつある日本経済

一般に、国際間の経済取引は、双方にとって利益となる(それだからこそ、行なわれるのである)。したがって、政治的理由だけのためにそれを一方的に断絶すれば、双方にとって損失となる。

しかし、場合によっては、政治的問題解決の手段として経済取引が用いられることがある。70年代の中東戦争を背景とした原油の輸出禁止措置は、その典型的な例だ。

中国は、希土類の輸出停止、閣僚級以上の交流停止、東シナ海ガス田共同開発の条約交渉の延期、日本への団体旅行の中止など、経済制裁とも解釈できる措置を取った。

こうした措置が効果を持つかどうかは、代替手段の有無によって大きく異なる。石油ショックのとき、先進諸国は安価な原油に依存し切っており、代替エネルギー源はごく限られていた。したがって、禁輸措置は、経済の命綱が断ち切られることを意味した。このため、中東原油に対する依存度が高かった日本は、なりふり構わず親アラブ外交を展開せざるを得なかったのだ。

通常の輸出入関係では、断絶がこれほどの効果を持つことは少ない。また、売り手、買い手のいずれか一方が弱くて他が強いというわけでもない。しかし、取引の形態によって、程度の差がある。また、国全体が大きな影響を受けなくとも、個別企業では死活問題になることがある。

危惧されるのは、日本の対外経済構造がここ数年で大きく変わりつつあることだ。2002年以降の日本経済は、外需依存の景気回復を果たした。経済危機後も、日本は外需に大きく依存して回復してきた。しかし、経済危機後の「外需依存」は、危機前の外需依存とかなり性格が異なる。経済危機前の外需とは、アメリカに対する自動車の輸出と中国に対する中間財の輸出を中心としたものであった。しかし、経済危機後の輸出先は、中国などの新興国に偏っている。それだけでなく、日本のメーカーは、「これからは新興国の需要」というかけ声の下で、新興国輸出における消費財の比重を高めようとしている。

それは、ひと言でいえば、日本経済が中国市場に大きく依存する体質になることだ。これは、日本と中国の政治的な関係に影響を与えざるをえない。

中国の輸出産業に対して中間財を売ることと、中国の消費者に対して最終消費財を売ることとでは、代替手段の有無の点で大きな差がある。中間財の場合には、中国側にあまり代替手段がない。日本からの中間財の輸出が途絶すれば、中国の輸出産業は立ち行かなくなる。それに対して、消費財の場合には、中国にとっての代替手段はいくらでもある。たとえば、自動車なら、日本メーカーの自動車を買う必要はなく、ドイツメーカーの自動車を買えばよいのだ。

グーグルが中国政府との対決の際に強腰で臨めたのは、ほかにはない技術的優位性を持っていたからだ。アメリカ経済の対外的な強さは、軍事力だけを背景としたものではない。新興国が自前で供給できない先進的サービスを提供できることこそ真の強さだ。

中国依存の経済構造で日本は原則を貫けるか

新興国の最終需要を対象とする外需依存経済は、純粋に経済的に考えても問題が多い。廉価品が中心となるため、輸出企業の利益率が大きく下がってしまうからである。日本国内の賃金に対しては、引き下げ圧力が働く。これについては、この連載で何度も述べてきた。今回の事件は、中国の最終需要を対象とする外需依存が、政治的にも大きな問題を持つことを示した。

中国は一党独裁国家であり、民主主義国家ではない。市場経済とは本質的に矛盾する政治制度を持った国だ。インターネット上の情報流通に関しても、きわめて強い統制が行なわれている。だから、何が起こるか予測ができない。

政治的問題を理由に日本製品に対する排斥運動が起こることは、決してありえないことではない。むしろ、十分ありうることだ(真偽を確認はできないが、「中国は日本の最大の輸出市場だから、日本製品を排斥すれば日本経済は崩壊する」などの意見がすでに中国のネット上に現れているようだ)。

あるいは、親中国企業とそうでない企業の色分けがされ、許認可や行政手続きで差がつけられることはないだろうか。広告が反中国的として規制されることはないか。

こうした問題が現実に生じたとき、日本企業や日本政府は、どのように対応するだろうか? 中国政府の顔色をうかがいながら、原則を曲げた対応をせざるをえなくなることはないか? グーグルが中国政府と対立して中国から撤退したとき、「日本企業は原則を貫いた行動ができるだろうか」と、この連載で述べた。中国国内でのビジネスの継続がなににも優先する絶対の条件となり、そのために原則を無視した譲歩が行なわれることが危惧される。

中国の成長が続き、世界経済での比重が日増しに増大してゆくことは間違いない。だから、中国との経済関係は、増大せざるをえない。問題は、その内容をどうするかなのである。中国市場に依存する外需依存経済を続ければ、輸出企業が中国の人質になる。日本経済にとっての生命線は中国に握られ、国交断絶をちらつかされるだけで息の根を止められる。これは、これまでの外需依存経済にはなかったことだ。

中国との経済関係は、政治的な含意を考慮に入れつつ、長期的な見通しに立って構築する必要がある。それこそが、日本の戦略だ。こうした検討が真剣になされるならば、今回の事件の災いを転じて福とすることができるだろう。

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