記録問題だけではない年金制度のズサンさ

年金保険料記録問題への対応のため、保険料徴収に必要な人員が割けなくなるのではないか危惧される。現在6割台でしかない国民年金の徴収率を8割にまで引き上げることが目標とされているが、その達成に支障が生じはしまいか。

「日本経済新聞」(6月10日付朝刊)は、これが杞憂でないことを報じていた。加入者の相談に応じたり年金記録のミスを訂正するのに大量の職員が必要になり、保険料徴収業務が滞り始めているというのである。

今年から強化する予定だった滞納者の資産差し押さえも、実施が困難な状況だという。したがって、8割という目標達成のメドは、まったく立たなくなった。

国民年金保険料徴収率の問題について、私はこれまでもさまざまなところで書いてきたのだが、ここで再び述べたい。

私が強調したいのは、6割しか徴収できないにもかかわらず、制度が破綻していないという事実である。これは、なんとも不思議なことだ。

常識的に考えれば、入るべき保険料の6割しか徴収できないのだから、収入総額を確保するためには、国民年金の保険料を約1.7倍に引き上げなければならない。しかし、そんな措置はまったく採られていない。

国民年金保険料はもともと徴収できない

それに、目標が8割でしかないことが、そもそもおかしい。本来であれば、10割を徴収できなければ、制度は破綻するはずだ。なぜ8割でよいのか?

この答えは簡単だ。不足分をサラリーマンが補填しているのである。

こうなる理由は、基礎年金の給付に要する費用を、各制度の加入者数で按分していないからだ。按分の際に用いられるのは、厚生年金や共済年金などの被用者年金については保険料を本来支払うべき者の数だが、国民年金については、保険料を実際に納付した者の数である。だから、徴収率が落ちれば、被用者年金の負担は増えるが、国民年金の負担は増えない。

この仕組みは、いかにもおかしい。それにもかかわらず、サラリーマンからは、怒りの声が聞こえてこない。「保険料は天引きだから、怒ったところでしようがない」と諦めているからだろうか。また、以上で述べた分担の仕組みがわかりにくいものなので、国民年金の尻ぬぐいをしているという事実を認識できないからかもしれない。

もう1つの理由は、国がつくった制度に対する漠然とした信頼感だろう。「国がそんなに馬鹿げたことを制度化しているはずはない」という思いである。

しかし、今回の記録問題で、保険料徴収体制が信じられないほどズサンであることが、白日の下にさらけ出された。「年金を信頼することなどできない」と日本国民は思い知った。

じつは、ズサンなのは執行の実態だけではないのだ。制度そのものが、信じられないほどおかしいのである。以上で述べた負担分担問題はその一部にすぎない。

国民年金は、発足当時から制度維持が危ぶまれた制度である。国民年金が対象とするのは自営業者が中心だが、これは税務署でさえ完全に補足しているとは言えない対象だ。だから、「定額であっても保険料を徴収できないのではないか」と危惧されていた。

今振り返ると、当時の厚生省も社会保険庁も、国民年金保険料を完全に徴収しようなどとは、そもそも考えていなかったように思われる。最大の理由は、制度発足後当分のあいだは、必要納付期間分の保険料を納付した人が存在しないため、本格的な年金給付はないことだ。

だから、「保険料が給付の財源である」という当然の認識すらなかったのではあるまいか。いくらでもよいから、保険料が入ってきさえすればよかったのである。それによって積立金が増加し、天下りのための機関を設立できる。そう考えたくはないが、公的年金制度の真の目的は、厚生官僚の天下り先確保にあったのではないかとさえ疑われる。

この期間において、旧厚生省や社会保険庁が、保険料徴収の効率を上げたり、記録を正確に管理する努力を行なったとは思えない。実際、国民年金保険料の徴収は、機関委任事務として市町村の窓口において行なわれてきた。この担当者は、形式的には地方公務員ではなく、社会保健関係事務に専従する国家公務員としての地方事務官であるとされた。ただし、転勤があったわけではないので、彼らは自治体職員としての意識を持っていたと思われる。

そして、都道府県ごとに閉鎖的な人事が行なわれていたので、社会保険庁としての一体性のある運営が行なわれていたわけではない。つまり、実体的に言えば、社会保険庁は徴収を行なっていなかったのである。

この仕組みは、21世紀になってから変更された。国民年金は国が運営する制度であるとの本来の主旨から、地方分権一括法の施行に伴い、保険料徴収事務は、2001年4月から国(社会保険庁)に移管された。

従来の制度では、地域に密着した担当者が徴収に回っていたし、国民健康保険との関連もあったので、7割台の徴収率を実現できていた。しかし、社会保険庁に移管されてから徴収率は年々低下し、06年度は62.8%まで落ち込んだのである。

サラリーマンが直視すべき負担分担率のトリック

ところで、「保険料は入るが本格的な給付はなし」という都合のよい状況は、いつまでも続くはずはない。年月がたてば、保険料納付期間が25年以上の人が登場し、彼らが65歳から受給するようになる。国民年金保険料徴収が始まったのは1961年4月だから、80年代の後半になってから、本格的な給付が始まった。このときに導入されたのが「基礎年金制度」である。「すべての国民に共通の年金」という触れ込みだったのだが、その実態は、国民年金の全額を基礎年金と観念し、厚生年金の定額部分を基礎年金と観念し直されたというだけのことである。

ただし、これによって、国民年金の保険料未納分を厚生年金や共済年金で補填するという仕組みが可能になった。これは、きわめて巧妙なトリックであったと考えざるをえない。

国民年金と厚生年金が別の制度である限り、国民年金の保険料徴収率が落ちれば、それを国民年金の枠内で処理せざるをえない。しかし、「基礎年金はすべての国民に共通の制度」と観念すれば、国民年金の問題を厚生年金が助けることが正当化される。基礎年金制度導入の真の目的は、じつはこの点にあったのではないかとすら疑われるのだ。

もちろん、「本来、年金はすべての国民に同一の制度であるべし」という考えはありうる。この考えからすれば、基礎年金の給付財源を国民年金と被用者年金で分担することは、正当化される。しかし、その場合には、分担率は共通の基準に従うべきだ。つまり、いずれの制度においても、「本来保険料を支払うべき人数」に基づいて分担率を決めるべきだ。共通の必要性から分担を正当化しつつ、しかし、分担率について別の基準を用いることを正当化する理由はない。

制度が現在のようになっている理由はただ1つ。サラリーマンの保険料は給料から天引きされるため、取りはぐれがほとんどないことである。現在の日本の公的年金を支えているのは、被用者年金保険料の天引き制度である。サラリーマンはこの現実を直視すべきだ。

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記録問題だけではない年金制度のズサンさ” への2件のコメント

  1. サラリーマンの妻はなぜか保険料を払らわなくてもいいというとんでもない年金制度なので、サラリーマンも文句いえません。また、基礎年金は、将来的には、分担率とかいう話より税金でまかなう方向に行くようです。

  2. サラリーマンとしては大いに文句を言いたい。
    サラリーマンの負担分は、標準月収に基づいているので、
    妻がいない独身のサラリーマンも同じ負担をしているので、損だ。
    また、妻が居ても共働きなら(現在の日本では共稼ぎでないとやっていけないからこれが普通の状態)、妻もサラリーマンとして厚生年金を払っているので、二重の負担となる。

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