円高に金融政策は無効 産業構造の改革が必要

為替レートが円高に動いている。これを反映して株価も下落している。そして、「政府や日銀は、これを静観するのでなく積極的な対応をせよ」という論議がマスメディアで高まっている。

この状況は、1年前とほとんど同じだ。既視感に襲われると同時に、日本の経済論議がこの1年でなにも変わらなかったことに、絶望的な気持ちになる。

現在の状況に対して、次の2点を指摘したい。第1は、「積極的な対応」といったところで、金融政策や為替政策の範囲内では、打つ手はないことだ。

なぜなら、アメリカをはじめとするこれまでの高金利国で、金利が低下してしまったからだ。アメリカ10年国債利回りは、2009年8月には3.59%だったが、10年8月19日には2.6%に低下している。他方で、日本が国債利回りをこれ以上下げることはできない。

金利差がこのように縮小したので、為替介入を行なっても、為替の動向に影響を与えることはできず、損失を被るだけの結果に終わる可能性が強い。実際、スイス中央銀行は、ユーロ買い介入を積極的に実施したが、ユーロ安が進んだため、10年1~6月期に1兆円を超える損失を被った(同行は現在は、為替介入を休止している)。

日本は1990年代後半から為替介入を繰り返してきた。特に、03~04年には巨額の介入を行なった。それが円キャリー取引を誘発して異常な円安が進み、日本の輸出は増大した(それがアメリカのサブプライムバブルを増長し、そして結局は金融危機を招いたのである)。

しかし、こうしたことは、07年頃までの世界経済情勢の下でこそ可能だったことだ。現在の状況はこれと違うことを、明白に意識すべきだ。

現在生じている世界的な投資資金の流れは、「円が有利だから投資が集まる」というよりは、「これまではドルが有利でアメリカに世界の投資が集まっていたが、それが変わった」ということなのである。

貿易に影響するのは実質為替レート

第2に注意すべきは、物価との関係だ。新聞には、「15年ぶりの円高」という見出しが躍っている。名目の円ドルレートを見る限りでは、確かにそうである。しかし、貿易に影響するのは、各国間のインフレ率の違いを調整した実質為替レートだ。

具体的な数字で見よう。95年から09年までのあいだに、アメリカの消費者物価は、152.4から214.5へと、40.7%上昇した。同期間に日本は100.7から100.3へと0.4%下落した。

95年に1ドル85円だったときに、日本で850万円する自動車をアメリカに輸出すれば10万ドルで売れたものとしよう。仮に自動車価格が消費者物価の平均値と同じ率で変化したとすれば、このクルマは、今のアメリカでは14万ドルになっている。しかし、日本では、(簡単化のため0.4%の物価下落を無視すれば)850万円のままだ。だから、為替レートが1ドル85円なら、アメリカでは10万ドルで売れることになり、圧倒的な競争力を持つ。それより高い価格でも、14万ドルまでなら売れ、しかも多額の利益を稼げる。

競争条件を95年と同じにするには、為替レートは1ドル60.4円にならなければならないのだ。90年代の半ばまでは顕著な円安介入はなかったので、その当時のレートは市場実勢を反映した正常なレートだと考えることができる。そうだとすれば、現時点の正常な円ドルレートは、1ドル60円程度ということになる。

つまり、実質レートで見れば、現在のレートは適正なレートに比べてまだかなり円安なのだ。だから、「これで採算が取れない」というのであれば、それは日本の輸出産業の競争力が、90年代中頃に比べて格段と落ちてしまったことの証拠以外の何物でもない。

ちなみに、財政危機が進展すると将来は日本でインフレが起き、為替レートは円安になる可能性があることから、「そうなれば日本の輸出が増加する」という意見がある。

しかし、この議論も誤りである。国内インフレの結果円安になっても、実質レートが下がるとは限らない。為替レートの調整が遅れれば、実質レートでは円高になり、日本の輸出産業は大打撃を受けるだろう。

短期には財政政策で基盤整備

「ケインズが今の日本にいたら、金融緩和を求めたろう」と言われることがある。しかし、この見方は間違いである。

現在の日本で有効需要を増やしたいのなら、そのための短期的な方策は、国債を増発して財政支出を増やすことである。金利が低い水準に落ち込んでしまうと、金融政策が効かなくなり、その結果、金融緩和をしても有効需要を増やすことができない状態になる(これを「流動性トラップ」という)。こうした経済においては「財政政策しか有効需要を増やす手立てがない」というのが、ケインズ理論の中核である。

ケインズが今の日本にいたら、国債で財源を調達して都市基盤整備を行なうことを提言しただろう。そして、経済成長が必要とされながら公共事業が縮小を続けているのを見て、この国がいまだにケインズ理論を全く受け付けていないことを知り、驚いたに違いない(公的固定資本形成の季節調整済み対前期成長率は、09年7~9月期以来マイナスを続けており、10年4~6月では、年率でじつにマイナス12.9%になっている)。

「国債発行を増やせば、財政再建に反する」という意見があるかもしれない。しかし、この政策で増えるのは赤字国債ではなく、建設国債である。そして支出は子ども手当のような移転支出ではなく、都市基盤整備のように直接に有効需要となるものだ。首都高速道路の中央環状線によって、東京都心部の交通状況はだいぶ改善された。日本の大都市で、社会資本投資によって経済環境を改善できる余地はまだ大きい(現在の状況で移転支出を増やしても、貯蓄に回ってしまって有効需要を増やさない可能性が高い)。こうした投資は、将来の生産性を高めて国債の償還財源をつくるので、財政再建には逆行しない。また、長期国債金利がきわめて低い水準になっているので、国債を増発しても消化に問題が生じることはない。

このような短期的政策と並行して必要なのは、産業構造を変え、1ドル60円でもびくともしない経済をつくることだ。これこそが、長期的な観点から見て、最も重要な経済政策である。

製造業であれば、生産拠点を海外に移し、また世界のさまざまなメーカーから水平分業で部品を調達するようなものだ。そして、これによって減少する国内の雇用を、別の産業で補う必要がある。工場跡地に野菜工場を造るというようなアイディアは、(それだけで問題のすべてが解決するわけではないとはいえ)、1つの方向を示すものと考えることができよう。

いずれにしても、現在存在する産業や企業がそのままのかたちで生き延びることはできない。日本の経済構造は大きく変わらなければならない。それこそが今求められることなのである。円高をはじめとするさまざまの経済指標が発している基本的なメッセージは、「現在の経済構造を継続することはできない」ということだ。われわれは、それを読み違えてはならない。

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