「年金記録問題」は選挙の争点にならぬ

「年金記録問題」が国会終盤で大きく取り上げられている。社会保険庁の公的年金保険料納付記録のうち、約5000万件の対象者が不明になっている問題だ。

政府は、年金支払い漏れが判明した場合に5年の時効を適用せず、不足分を全額補償する救済策を特別立法で講じることとし、特例法案を国会に提出した。記録の再調査も実施する。本稿が活字になっているときにはこの問題は決着しているはずだが、政府は、社会保険庁改革法案と併せて、5月31日の衆議院通過を目指している。

社会保険庁は、保険料納付の記録を管理するためにつくられた組織である。その本来の仕事をしていなかったのだから、是正は当然のことだ。

ただし、これが参議院選挙の重要な争点になるかと言えば、疑問を感じる。なぜなら、「争点」とは、目的や方向づけに関して異なる意見が存在する問題に関するものだからだ。「年金記録問題」は、処置することが当然必要とされるものだ。具体的な方法論には議論の余地があるが、どちらかと言えば技術的な問題であり、選挙の争点となるようなことではないと思う。

長い時間をかけてこの問題を調査した民主党の努力は評価したいと思うし、年金支給の基礎になる保険料納付データの管理がずさんというのは、信じられないような事態だ。しかし、これで参院選を勝ち取ろうとする民主党も、あわてて対応に追われる与党も、選挙対策のみに目を奪われて、問題の本質を見失っているように見える。少なくとも、「これさえ解決できれば年金問題はカタがついた」ということでないのは、明らかである。

ずさんな記録管理問題は年金財政の根本問題とは別

年金に関する本当の争点は、別のところにある。政府与党は、社会保険庁改革のあとに年金制度を一元化する方針を掲げている。それが不必要とは言わないが、真の問題は、年金財政の維持可能性である。

つまり、保険料と給付額の問題だ。現在の財政構造は、将来に向けて維持可能で安定的なものにはなっていないのである。これは、簡単な解決方法がない深刻な問題だ。そして、将来の日本経済に重大な影響を与える問題である。また、支給開始年齢、在職老齢年金、第三号被保険者(サラリーマンの妻)などについて、さまざまな問題がある。

現在でも保険料はかなりの高水準に達しており、企業活動に対して大きな圧迫要因になっている。日本企業の国際競争力を問題にするのであれば、考えるべき対象は、利益に対する負担である法人税ではなく、雇用すれば必ず生じる社会保険料負担である。しかも、その負担は、将来に向けて増加することはあっても、減少することはない。

他方で、将来の給付には不安が多い。厚生労働省は、今年の2月に、所得代替率51.6%が可能であるとの試算を示した。しかし、この欄でも指摘したとおり、その計算は、賃金上昇率(2.5%)を大幅に上回る積立金利回り(4.1%)を仮定している。このような高い収益率を実現できるとはとうてい考えられない。したがって、この試算はむしろ、「所得代替率50%の維持は不可能」と読むべきものだ。

これだけを考えても、年金財政が容易ならざる問題を抱えていることがわかる。この問題への対処法として、「公的年金を民営化することは可能か?」という問題を考えてみよう。

まず、民営化すべきであると考えられる論拠は十分ある。ずさんな記録管理は、「民間の保険会社なら金融庁から処分される」と言われる。そのとおりだ。また、(すでに忘れられてしまったようにも思われるのだが)国民年金の保険料徴収率が6割程度の水準でしかないことも、「民間会社であればとっくに倒産」になる事態である。

他方において、公的年金の運営自体は、原理的には民間企業でもなしうる(実際、民間保険会社が提供する年金保険が存在する)。「市場化テスト」がさまざまな事業についてなされているのだが、公的年金は、そうしたテストなどしなくても、民営化が可能であることが明らかなものだ。

「強制加入が要求される制度は、民間にはできない」という意見があるかもしれないが、加入を義務づけ、保険料や給付額について一定の制限を加えれば、民間企業が行なうことは十分可能である(実際、自動車損害賠償責任保険は、そのように運営されている)。

そして、政府が運営していることの弊害や問題点が明白であることを考えても、民営化が強く要求される分野である。この数年の日本で「民営化」が最も必要とされたのは、郵政事業でもなく道路公団でもなく、公的年金だったのである。

年金制度は日本経済を根本から破壊する時限爆弾

それにもかかわらず、年金の民営化は、議論さえされていない。それはなぜであろうか?

その理由は、現在の保険料と給付水準、および積立金を引き継いで民間企業が運営しようとすると、将来大規模な赤字が発生してしまうことである。白紙状態で年金を民間企業が行なうことは可能であるが、すでに存在している制度を引き継いで運営できるかというと、現在の制度が維持可能な財政構造のものではないために、不可能なのだ。

これは、年金制度を通じて、国が大規模な潜在的赤字を抱えていることを意味する。実際に、現時点で公的年金制度を清算できるかどうかを計算してみると、「とうてい不可能」という結論になる。

仮に、現在支給されている年金は、その割引現在価値を現時点で支払い、支給開始年齢に達していない加入者が過去に支払った保険料には、その現在価値を現時点で払い戻すこととする。これらを、現在の積立金を用いて実行できるかどうかを計算すると、不足額は、約800兆円という信じられない値になる。

これが、現在の制度が抱える問題の基本だ。公的年金は、将来大規模な保険料の引き上げ、または給付の大幅な削減を行なわない限り、維持できない制度なのである。

政府が実現不可能な出生率の引き上げにこだわっているのも、現在の出生率では年金財政を維持できないからである(なお、2005年に1.26だった合計特殊出生率が、06年には1.30に回復した。このことをもって、年金財政をめぐる環境が好転したと考える人がいるかもしれないが、決してそんなことはない。この程度の変化では、年金財政に対する効果はほとんどゼロである。)

以上の財政構造こそが、現行年金制度の持つ最大の問題である。それは年金に限られた問題ではなく、日本の財政が抱える最大の問題である。

消費税の税率引き上げも、年金財政との関連で必要とされている。しかも、年金財政は、消費税率を数パーセント程度引き上げるだけでは解決ができない問題である。

だから、日本が抱える最大の問題であると言ってよい。つまり、年金制度は、日本経済を根本から破壊してしまう時限爆弾なのだ。

先に、「保険料の正確な記録は必要だが、もっと重要な問題がある」と言ったのは、このことである。この基本問題を先送りにしたまま当面問題化したことだけに注意をそらされては、本質を見失う。

われわれは、本当の問題が何であるかを忘れてはならない。

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