「金融立国」に最も必要なのは人材育成

欧米(特にアメリカ)の金融機関は、1990年代に大きく変貌した。最大の変化は、高度な金融サービスを提供する投資銀行業務が急成長したことだ。

現在、日本と欧米の金融機関の収益率にはかなりの格差があるが、その大きな原因は、日本の金融機関が伝統的な業務に終始しており、投資銀行的な業務を行なう能力がないことだ。

このような現状を打破し、「金融立国を目指そう」という考えが出されている。その方向づけに、私も賛成だ。問題は、そのために何をなすべきかである。

市場インフラの整備など、なすべきことは多い。ただし、最も基本的なのは、高度な金融業務を行ないうる人材を育成することだ。このためには、ファイナンス理論の教育が不可欠である。

これは、従来、大学で教えられていた伝統的な「金融論」とは質的に異なるものだ。金融論は、どちらかといえば制度論的な面が強かった。それに対してファイナンス理論は、価値の評価、特に、リスクのある資産の価値評価を中心とした理論体系である。

ファイナンスの理論で不可欠なのは数学

価値評価の対象としては、まず株式や債券などの金融資産や不動産がある。しかし、それだけではない。重要なものとして、企業価値の評価がある。企業買収の際に最も重要なのは、この点だ。また、新しいタイプの金融資産の1つとして、クレジットデリバティブ(資金を融資する際の貸し倒れリスクだけを分離するもの)があるが、これについても重要なのは、その価値の評価である。

これらは、数字で答えを出さない限り、意味がない。したがって、ファイナンス理論の試験問題の多くは、「……を計算せよ」というかたちになる。従来のいわゆる科目試験問題が、「……について述べよ」とか「……について説明せよ」というかたちであったのに比べると、異質だ。

これは、「実用的なファイナンス理論とはどういうものなのか」という点に関しての答えをも示している。ファイナンスのプロと称する人たちの多くが、(どこかで聞きかじってきたと思われる)概念や言葉を振り回して得意になっている。たとえば、「キャップレート、リスクプレミアム、イールドギャップ」等々である。しかし、直面している問題に関して、「その値はいくらか?」という質問に答えられない限り、いくら言葉を振り回したところで、(素人をたぶらかすにはよいかもしれないが)なんの役にも立たない。

これらの値を求める計算式を導出するには、数学が不可欠だ。公式だけ与えて「表計算ソフトで計算せよ」とすると、適切でない対象に公式を当てはめてしまう危険が強い。実用的であるためには、「すぐに役立つ方法」を教えるのでなく、モデルと仮定を明確に示し、論理的な筋道をはっきりとたどる必要がある。

このように、ファイナンス理論の半分は数学なのである(残りの半分は経済学である)。ところが、私立大学では、入試に数学を課していないところが多い。したがって、高校レベルの数学さえ満足にできない学生が多い。これではファイナンス理論を教えることは不可能だ。経済学でも数学は必要なのだが、なくてもなんとかなる。しかし、ファイナンス理論では、手も足も出ない。

中学や高校の生徒を対象に金融教育を行なうべしとする考えがある。しかし、彼らに「株式市場の仕組み」などを教えても、たいして役には立たない(それに、こうしたことは、必要になったときに解説書を読めばすぐにわかる)。こんなことに時間を割く余裕があるのなら、数学教育を充実させるべきだ。「金融立国」のため不可欠な基礎教育は数学である。

ファイナンス理論の教育に関してもう1つ必要なのは、世間一般の誤解を解くことだ。

もう10年近く前のことになるが、私は、東京大学にファイナンス理論・金融工学の大学院を新設しようとしたことがある。工学部の協力と支援を受けて、文部省(当時)に対する概算要求にまではこぎ着けた。

しかし、結局は実現できなかった。さまざまな事情が背景にあったが、大きな要因は、「カネ儲けの方法を大学で教えるわけにはゆかない」という考えが学内で強く、全学的な協力が得られなかったことだ。

それから10年たった。大学内の考え方は、その当時に比べるとずいぶん変わったように思う。

しかし、社会一般からこうした誤解がなくなったとは思えない。むしろ強くなっている面もある。その大きな原因は、ライブドアや村上ファンドの事件が、「ファイナンスの手法を使うと、莫大な利益が得られる」という印象を与えてしまったことだ。

その結果、「やはりファイナンスというのはうさんくさい」という印象が強まってしまった。彼らが巨額の利益を得るために使ったのは、ファイナンス理論ではなく不正行為だったのだが。そして問題は、彼らの不正行為と巨額の利益を許してしまった日本の市場の不完全性にあるのだが。

成長促進策より対外資産の運用利回り向上

ところで、この連載でもすでに指摘したように、現在の日本には、金融技術の活用で国全体が豊かになれる余地がある。

たとえば、外貨準備として100兆円を超す巨額の資金を、収益率が低い金融資産(主としてアメリカの財務省証券)に運用している。この利回り向上は急務である(先日の新聞報道によると、中国は、アメリカの投資ファンド、ブラックストーンに出資して外貨準備の運用利回りを向上させることにしたようである)。

利回りの向上が必要なのは、外貨準備だけではない。日本の対外資産は、500兆円を超す水準だ。これは、GDPとほぼ同じ規模である。しかし、その利回りは3%程度であり、あまり高いものとは言えない。ファイナンス理論の活用により、これを数パーセントポイント向上させることは、決して不可能ではない。仮にそれができれば、経済成長率を同率だけ引き上げたのと同じ結果が得られる。

安倍晋三内閣は、経済成長率の引き上げを経済政策の基本に置いている。そして、そのために、「イノベーションが必要である」としている。イノベーションが必要なのは言うまでもないことだが、それを政策的に実現するのはきわめて難しい。だから、経済成長戦略の実現可能性も疑問である。しかし、対外資産の運用利回り向上は、確実に実現可能なことだ。

今の日本で求められるのは、それだけではない。特に重要なものとして、家計に対する魅力的な金融資産の提供がある。

金融仲介機能には、「家計の貯蓄を企業に回す」という量的な面だけでなく、質的な面もあるのだ。特に重要なのは、リスクの転換機能である。具体的には、リスクの高い投資対象や外貨資産への運用を行ない、適切なポートフォリオを組んで、リスクの低い(しかし、収益は銀行預金より高い)資産を家計に提供することである。

「貯蓄から投資へ」というスローガンの下、「家計が金融知識を得て、リスクを取るべきだ」という考えが主張されている。しかし、この考えは間違っていると私は思う。家計には、資産運用以外に行なうべきことがたくさんあるからだ。魅力のある安全な資産を供給することは、プロに求められる重要な役割である。

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「金融立国」に最も必要なのは人材育成” への2件のコメント

  1. 「中学や高校の生徒を対象に金融教育を行なうべしとする考えがある。しかし、彼らに「株式市場の仕組み」などを教えても、たいして役には立たない(それに、こうしたことは、必要になったときに解説書を読めばすぐにわかる)。こんなことに時間を割く余裕があるのなら、数学教育を充実させるべきだ。「金融立国」のため不可欠な基礎教育は数学である。」
     全く同感です。ところで、米国サブプライムローンのリスクの測定等について、野口先生はどのようにお考えですか。お教え頂ければ幸いです。

  2. お世話になります

    あらためて日本の所得収支に関し、その重要性を認識することが出来きました。 加えてコラム内の

    >家計には、資産運用以外に行なうべきことがたくさんあるからだ。魅力のある安全な資産を供給することは、プロに求められる重要な役割である。

    この部分に強く共感する次第です。

    また07年9月18日の講演会にて拝聴した「オンライン・アウトソーシング」の考え方や、グーグルと日本企業の利益率比較などから、多くを学ばせて頂きました。

    ソフトウェア業の部分特化・ネットワーク利活用等、産業構造の変革を含めて中小企業に提供できるよう、今後につなげたいと考えます。

    いつもありがとうございます

    (記事中にて、このサイトのTOPページへアンカーリンクを張らせて頂きました)

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