電子情報の紛失や破壊にどう備えるか

大昔に読んだSFで、『紙が消えた日』というのがあった。人びとがある朝目覚めると、きな臭いにおいが一面に漂っており、すべての紙が消失してしまっていたという話だ。社会は大混乱に陥り、文明は崩壊する。

50年前であれば、確かに、紙がなくなれば社会は崩壊した。しかし、現代社会では、すべての紙が消え失せたところで、そうはならないだろう。かなりの情報は電子的な形態に移行したからである。

図書館にある書籍も、(英語の文献であれば)グーグルが電子化してくれているので、心配ない。アレキサンドリアの図書館が焼失して学問の進歩が1000年遅れたような事態は、もう起こらない。始皇帝やヒットラーのような抑圧政権が現れて焚書をしても、反体制思想を一掃することはできないだろう。

その代わり、電子的な情報が破壊されることの被害は、とてつもなく大きくなった。自然災害や事故による喪失のほか、「サイバーテロ」と呼ばれるテロ攻撃で破壊される危険も増大している。

このため、政府や企業(特に金融機関)は、多大のコストをかけて、電子情報の破壊に備えた措置を講じている。直接の対策は通信からのセキュリティを向上させることだが、情報そのものの保護も必要だ。それには、複数のバックアップコピーを作り、それらを物理的に離れた場所に格納するしか方法はない。

個人が扱っている情報のかなりの部分も電子化されているので、同様の措置が必要である。個人がサイバーテロで攻撃されることはないだろうが、さまざまな事故や過失で情報を失う危険には、日常的に直面している。

それによる被害は、社会全体から見れば取るに足らぬものだが、当人にとってみれば、場合によっては非常に大きい。物的損害ならどんなに深刻でもカネで解決できる場合が多いが、世界に1つしかない情報を失ってしまえば、カネでは解決できない。だから、それに備えることが必要だ。

処分より重要な作業は情報のバックアップ

ウイルス対策は重要だが、どんなに措置を講じても、完全に防御することは難しい。だから、PC内の情報をコピーしておくべきだ。電子的情報のコピーは簡単だし、記憶装置の容量は飛躍的に拡大した。しかも、コストも激減した。最低限、PC内のデータは外付けHDにコピーし、ウェブからのウイルス侵入に備えて、PCから切り離して保存しておくべきだ。できれば、CDやDVDに焼き付けておく。こうした作業を定期的に行なうことが必要だ。

私自身、これまで数回、紛失・破壊事故に遭遇している。手帳(これは電子情報ではないが)を紛失したことが3回あるし、外付けHDを紛失したことが2回ある。また、外付けHDをPCからはずす際に、ファイルを破壊してしまったことが2回ある。

いずれの場合もコピーがあったので、大きな被害にならず、なんとか切り抜けることができた。コピーがなかったらどんなことになってしまったかと考えると、身震いするほど恐ろしい。

もっと短時間の「置き忘れ」という問題もある。私はいくつかの場所で作業しているので、作業中のデータをHDに入れて持ち歩いている。ところが、その場所から移動するときに、うっかりHDを忘れてしまうことがあるのだ。

こうなると、仕事が継続できなくなる。この事故に対処するため、私は作業の途中で場所を変えるときには、データを自分宛にメールで送ることにしている。

もちろん、コピーをいくつも作れば、情報漏洩の危険は増大する。しかし、個人が扱っている情報については、漏洩による損失より、紛失・消滅による損害のほうがずっと大きい。外付けHDを紛失したときも、中身が漏洩したかもしれないという問題はあったのだが、それほど機密を要する情報は入っていなかった。

電子情報は、コピーしやすい半面で、紙より脆弱である。だから、保存しやすい半面で、紛失しやすく、漏洩もしやすくなっている。紙の情報とは異質のものを扱っていると認識し、それに応じて考え方と習慣を変えることが重要だ。

ところが、新聞や雑誌に掲載される「情報整理」といった類いの記事を読むと、「いらない情報をいかに処分するか」が中心に書かれている。こうしたことが重要なのは間違いないが、紛失や破壊に備えることも、大変重要なのである。少なくとも、「バックアップ」は処分より重要な作業であるという認識を持つべきだ。われわれは、いまだに紙時代の基本的発想法から抜け出せないでいるのだ。

古い発想から抜け出せないもう1つの側面は、情報そのものと、記録媒体との区別だ。これまでは、紙と情報が一体化していたから、紙という「媒体」とそこに記載されている「情報」とを区別することが少なかった。しかし、いまやこの2つは分離することができる。失わずに保存することが必要なのは、情報であって、媒体ではない。

いまだに紙媒体重視の公的な書類から改革を

この観点から改革が必要と思われるのは、公的な書類である。重要なのは情報なのだから、紙という媒体を重視しなくてもよいはずである。ところが、公的な書類では、いまだに紙そのものが重視されている。権利書、契約書、パスポート、免許証、健康保険証、年金証書、預金通帳等々、すべてそうだ。不動産の権利書などは頻繁に使うものではないので、何十年も前に作った権利書をもしや紛失したのではないかと不安になることもある。

この連載で数年前に書いたことだが、アメリカ生活を再開するために、30年以上前に取得したアメリカの社会保障番号カードを捜し回ったことがある。アメリカ生活で社会保障番号は不可欠なので、どうしてもカードを捜し出す必要があったのだ。

ところで、アメリカ生活中に社会保障番号を記入させられたことは何度もあったが、カードの提示を要求されたことは一度もない。だから、番号だけがどこかに記録されてあればそれですんだのである(カードを紛失しても、再発行は簡単にしてもらえる)。必要なのは「番号」という情報であり、それが記載された「カード」という媒体ではないのだから当然のことだ。

右で述べた公的な書類について、われわれは現在、「媒体」を紛失しないために多大の労力を割いている。しかしそれは、本来は不必要なものだ。情報だけ保存しておけばよいような仕組みに、なんとか改革できないものだろうか。

組織の場合には、担当者を決めれば、バックアップはできる。しかし、個人ではなかなか万全の体制が取れない。そうした作業を行なう時間が取れないのである。

バックアップを作成したところで、当面の仕事の能率が上がるわけではない。緊急の仕事を抱えているときはそちらが優先されるから、なかなかバックアップ作業に取りかかれない。

私のPC内の情報も、しばらくのあいだバックアップしていない。だから、「綱渡り状態」だ。これが危険な状態であることは重々承知している。しかし、この原稿は締切日がすでに過ぎてしまっているので、バックアップはこれを書き上げたあとだ。いや、それが終わっても、緊急に処理すべきことがいくつかある。バックアップはいつになったらできるだろうか?

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電子情報の紛失や破壊にどう備えるか” への2件のコメント

  1. 野口さま、こんにちは。「土地の経済学」以来の読者です。
    データバックアップは、定期的に自動バックアップしてくれるソフトをインストールして、予備HDに差分データを蓄積するようにしておけば問題ないと思います。
     私はプロトンのAcornis True Imageを使っております。HDの容量さえ気をつけていれば、ずっとバックアップが自動で行われます。

  2. 差分バックアップに頼るのは危険です。
    なぜならベースとなるバックアップから現在の状態までの差分データのうち一部が失われたら、その直前までしか復元できないからです。

    差分バックアップに頼きりにならず、一定期間毎に全量バックアップを
    とる必要があります。

    昔「BYTE」誌に「混沌の館」というコラムを連載していたSF作家のJ・パーネルの体験が参考になります。

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