語るに落ちている「増税で経済成長」論

「増税で経済成長を測ろう」という奇妙な考えが主張されている。これを聞いた人は誰も、普通は「減税で経済成長」と言われていることを思い出して、「鏡の国」に迷い込んだアリスのような気持ちになったことだろう。

経済理論的にまったく正当化できないこの考えを、まじめに論じる必要は本来はない。しかし、この議論は、日本財政の現実について、重要な問題を暴露している。それは、本稿の最後に述べるように、「歳出を合理化する意図が政府にない」ということだ。これは放置することができない問題であるため、ここで取り上げよう。この点を論じる前に、関連する事項をいくつか見ておく。

まず、この考えが宣伝される意図は明らかだ。国民の増税アレルギーを取り除きたいのである。「増税すると経済にネガティブな効果がある」という普通の議論に対抗して、「増税しても経済成長することはできる」と国民に信じ込ませたいのだろう。

ところで、「増税は必ず有効需要を減少させるか?」という問題自体は、経済理論的には議論する余地のある問題である。これについては、すでにこの欄で論じた(3月27日号)。

ただし、ここで問題とされているのは、「増税で経済成長」という奇抜な議論ではない。経済学者が昔から議論してきたのは、「国債で財源を調達しても、人びとは将来の増税を予測して行動しているから、結局は税と同じだ」とする「リカード=バローの等価定理」をめぐるものである。だから、国民の増税アレルギーを取り除きたいのなら、等価定理が日本で妥当するかどうかを正面から分析すべきである。奇妙な議論で国民を煙に巻こうというのは、まったくの筋違いだ。

もっとも、仮に等価定理が成り立つとしても、現在の巨額の財政赤字を正当化することにはならない。それは、次の2つの問題があるからだ。

第1に、国債で財源調達すると、負担なしに財政支出が可能であるような錯覚が生じてしまい、財政規律が失われて、ムダな支出が増える。ブキャナンらによってケインズ批判の一環として指摘されたこの現象は、現在の日本で明らかに生じている。財政が破滅的状態になっているにもかかわらず、民主党政権はマニフェスト実現のためとして、ムダな支出を拡大しつづけているからだ。

第2の問題は、将来の増税によって赤字が解消されるとしても、それは通常の増税ではなく、「インフレ税」というかたちを取る可能性が高いことだ。このまま赤字がふくらみ続ければ、国内消化は早晩行き詰まり、海外消化への依存、円安、インフレとなる可能性が高い。インフレは国民の購買力を減らして政府債務の実質負担を軽減するため一種の税なのであるが、低所得者の購買力も情け容赦なく奪うという点で、公平の面からきわめて問題が多い税なのだ。

増税が経済成長にプラスの意味を持つとすれば、それはこの2つの問題がなくなるからである。つまり、放漫財政がなくなり、インフレの危機がなくなるからである。しかし、「増税で得た税収を支出する」というのでは、放漫財政は放置され、インフレの危険もなくならないから、この効果は期待できない。

成長の実現と歳出の合理化こそ必要

財政赤字の縮小を求めるとしても、増税だけがその手段ではない。それと並んで(あるいはそれより前に)なされるべきことがある。

第1は、経済成長を実現することだ。財政赤字が膨張した原因は、経済危機によって税収(特に法人税)が激減したことである。また、1990年代後半からの日本経済の停滞によって、所得税と法人税が徐々に落ち込んできたことだ。したがって、この状況を変えて税収の増加を図ることこそ、最重要の課題である。

もし経済成長ができるのであれば、財政赤字の問題など雲散霧消する。したがって、経済成長の重要性に比べれば、財政の問題はしょせん二義的なものと言わざるをえない。しかし、経済成長の実現は、容易ではない。それゆえにこそ、財政の問題を重視せざるをえないのである。

成長促進のために財政支出が必要とされる場合も、ないわけではない。ただし、成長は第一義的には民間企業の課題である。政府としては、むしろ介入を行なわないことこそ重要である。ちなみにこれは、日本銀行が行なおうとしている成長促進融資についても言えることだ。政府の補助や中央銀行の政策がなければ成長できない産業や企業が、日本経済を支えられるはずはない。アメリカの成長をリードしている先端IT産業は、政府の補助とは無関係に成長した産業であることを想起すべきだ。

財政赤字縮小のために第2に必要なのは、歳出の合理化である。それは、事業仕分けのようなパフォーマンスだけでできることではない。もっと地味な分析・評価と、そしてなによりも既得権益との調整が必要である。

対象とされるべきは、通常言われる意味での「ムダ」だけではない。日本の財政で最大の問題は、年金の削減だ。なぜなら、賃金が下落する中で年金が名目値で固定されているためにその実質価値(所得代替率)が自動的に上昇し、その結果、年金財政が破綻するからである(これに関する詳しいシミュレーションは、「ダイヤモンド・オンライン」の拙稿を参照)。

「他の経費は切れない」と認めたことになる

「政府や中央銀行は成長に介入しないことこそ重要」と述べた。その理由は、特定の産業や研究分野を「成長分野」として助成すると、資源配分をゆがめてしまうからである。政府や中央銀行の判断は、正しいとは限らない。むしろ、誤っているのが普通である。だから、かえって成長を阻害してしまうのだ。政府や日銀の支援でようやく立ち上がるような企業は、日本経済に貢献するどころか、負担になる可能性がずっと強い。

ただし、このことは、政府が菜にもしなくてよいことを意味するものではない。経済成長のために政府がなすべきことはたくさんある。まず、教育(特に高等教育)や基礎研究活動の支援が必要だ。また、都市基盤整備も必要である。これらは、特定の産業だけを対象とするものではなく経済活動全般を対象としたものであり、それゆえ「何が成長分野か」という判断を含まないものだ。

ここで重要なことがある。もしこうした目的のために財政支出が必要なら、まずは他の経費を削減することで行なうべきだ。現在の日本では、削減すべき支出は、増加すべき支出をはるかに上回る。だから、増税なしにこうした分野に財政支出をシフトさせることは、原理的に十分可能である。

したがって、成長のために財政支出が必要としても、「そのために増税が必要」と言うことにはならない。

なぜ、増税しなければ、成長のための支出ができないのか? 答えは明らかで、他の支出は切れない、あるいは切る意図はないからである。つまり、「経済成長のため増税」と主張するのは、「他の経費は切れない」と認めたことにほかならず、「語るに落ちる」類いのものなのである。

そして、これは決して無視することができない。「真剣な支出削減努力をする気はない」となれば、それが意味するのは、日本の財政が破滅に向かって加速していることでしかないからだ。

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