資産大国日本に足りないのは知恵

2009年の経常収支は、13兆2867億円の黒字になった。内訳を見ると、貿易収支黒字が4兆0381億円で、所得収支黒字が12兆3254億円だ(サービス収支が1兆9132億円の赤字、経常移転収支が1兆1635億円の赤字)。つまり、経常収支の黒字のほとんどは、所得収支の黒字によってもたらされた。

所得収支の黒字のほうが貿易黒字より大きい状態は、今始まったものではない。じつは、05年からこの状態が継続している。経済危機で貿易黒字が落ち込んだので、両者の差がますます顕著になったのである。

この背景にあるのは、日本が保有している巨額の対外資産だ。これは過去の貿易黒字を蓄積してつくられたものだ。それからの利子収入や投資収益が、貿易黒字を上回る収入をもたらすようになったのである。日本はすでに貿易大国の段階を過ぎて、資産大国になっているのだ。

家計にたとえれば、次のようなことである。長年汗水垂らして働き、貯蓄を続けて資産を蓄積した。いまや、それからの収益が給与より多くなったので、仕事を辞め、資産収入だけで生計を立てることも可能になった。

この段階に達した家計にとって重要なのは、資産を賢く運用することである。老いた体にむち打って働き、あくせく稼ごうとするよりは、そのほうが家計に寄与する度合いはずっと大きい。

では、日本は対外資産を賢明に活用しているだろうか? その運用は、資産大国にふさわしい姿になっているか?

残念ながら、とてもそうは言えない。事実、08年において、日本の対外資産は103兆円の為替差損を被った(純資産では88兆円)。07年末の対外資産残高は610兆円(純資産は250兆円)であったから、何年間も汗水垂らして蓄積した貴重な資産の6分の1を失ってしまったことになる。純資産ではじつに3分の1以上を失ったのだ。

しかも、これまで高い収益を得てきたかと言えば、そうでもない。所得収支の受け取りを対外資産額で割った値を「収益率」と見れば、3%程度の値だ。これは、アメリカ長期国債の利回り(10年債で4%程度)よりも低い。

収益率がこれほど低くなるのは、アメリカ短期国債(TB)への運用が多いからだ。日本の金融機関は、これを安全な資産と考えていた節がある。確かにこれはアメリカ人から見れば安全資産だ。しかし、ドル建て資産であるため、日本人から見れば大きな為替リスクにさらされていたことになる。

実際、為替市場が適切に機能していれば、金利差を目当てにして海外投資を行なっても、為替レートが変動して、金利差の収入をちょうど打ち消すようになるはずなのである。最大の金利差を稼いだときにちょうど為替損と相殺されるので、TBのような低利回りの投資であれば、所得収支で得た利益より、為替差損のほうが大きくなるはずである。日本は、対外投資によってネットの損失を被っている。

しかも、そうなることがあらかじめわかっていた。日本が行なってきた対外投資は、このようなものだったのである。

サラリーマンとしての投資しかしていない日本

こうした状況を見ていると、とても専門家の投資とは言えない。こうなってしまうのには、理由がある。日本の金融機関では、投資に成功しても、それに見合った収入が得られるわけではない。逆に、失敗しても損失補填を要求されるわけではない。つまり、投資を決めているのは、「金融機関に勤務するサラリーマン」なのである。

こうした状況で重要なのは、投資計画を上司に説明できることと、損失が生じたときに責任逃れができることだ。そのためには、他の人と同じことをするのが最もよい。

1980年代後半のバブル期には、誰もがしたので、自分も不動産投資をした。対外投資では、リゾート地のゴルフ場や、ショッピングセンター、そして商業用不動産などを高値で買いあさった。ところが、日本のバブル崩壊で撤退せざるをえなくなり、巨額の損失を被った。

ただし、どの金融機関でも同じ事態が生じたので、責任を取らされることはなかった(つまり、サラリーマン的視点で言えば、「正しい投資」だった)。

そして、最近では、誰もがTBを買うので、自分もTBということになった。先に見たように日本の対外資産の運用利回りが低いのは、このためである。ここには、ファイナンス理論を活用して収益率やリスクの検討が行なわれていた形跡は見られない。

個人の家計にたとえて言えば、人のよい(頭の悪い?)にわか成り金である。カネはうなるほどあるのだが、どう運用してよいかわからない。安い金利で財産を利用され、挙げ句の果てに踏み倒された。

日本には、金融技術は「いかがわしい」と思っている人が多い。「地に足が着かない投機の理論」「あぶく銭稼ぎの手段」であるから、「真理を追究する大学で教えるものではない」と考えている人が多い。

しかし、対外純資産の3分の1にも及ぶ損害を被る事態に陥った今、こうした誤解を放置するわけにはゆかなくなった。

金融立国にはまず教育が必

対外資産の運用を適切に行なうのは専門家の役割だが、日本にはそれを行なっている専門家がいない。

専門家に求められるもう1つの役割は、家計に適切な資産を提供することだ。普通の人は自分自身の仕事を持っているので、金融資産の運用を考えている暇はないからである。それにもかかわらず、「貯蓄から投資へ」として、個人がリスクを取ることをけしかけた。本来は金融機関がリスクを取り、リスクがコントロールされた金融商品を個人に提供すべきなのに。

90年代以降の世界は、金融技術の面で大きく変わった。ファイナンス理論(特にオプション理論)が発達したこと、コンピュータの能力向上で理論を実際に計算することが可能になったこと、インターネットによって金融情報を地球的な規模で時間遅れなく安いコストで得られるようになったことである。

こうした変化が現実化したのは、せいぜいこの20年くらいのことである。だから、90年代以前に教育を受けた人は、再教育を受けたか自分で勉強したのでない限り、こうした変化をフォローできない。

日本では、90年代以降に教育を受けた人でもフォローできない。なぜなら、高等教育における金融教育で大きく遅れているからだ。

大学の組織がフレキシブルでないと、新しい分野に対応できない。日本の高等教育の体制は、いまだに19世紀の姿だ。ひいき目に見ても、せいぜい20世紀前半の産業構造を前提にしたものである。21世紀の世界に対応しているとは、とても言えない。金融の教育が行なわれていないことの社会的なコストは、無視できないほど大きくなった。

しばらく前に、「日本も金融立国を目指そう」という議論がなされたことがある。方向としては大賛成だが、現在の日本では、残念ながら不可能だ。なぜなら、それを支える専門的人材がいないからである。日本が資産大国にふさわしい経済パフォーマンスを実現するために、なにより必要なのは、専門家の育成である。

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