トヨタのリコールが投げかける問題

トヨタ社の大規模なリコールが波紋を広げている。詳しい原因の究明はこれから行なわれるだろうが、現在の段階で推測できることもある。それは、急速な生産拡大の後遺症ではないかとの疑いである(ただし、トヨタ自動車側そうした可能性を否定している)。

トヨタの生産(乗用車と商用車の合計)の推移を見ると、海外生産の急拡大が注目される。2002年においては、国内生産349万台に対して、海外生産は216万台だった。ところが、海外生産は03年から05年において年率17%から18%いる驚異的な伸びを示した。06年、07年には伸び率がやや低下したが、それでも年率10%近い伸びを示した。このような高い伸び率は1970年代末以降の日本の国内自動車生産でもなかったことである(96年後半から97年前半にかけて対前年伸び率10%を超えたことがあったが、それ以外は10%を下回るのが普通だった)。

この背景には、アメリカでの大型工場の新設がある。03年アラバマ、06年テキサス、07年インディアナと大型工場の新設が進んだ。その結果、07年からは海外生産が国内生産を上回るようになった。09年においては、国内297万台に対して海外358万台になっている。

このような急激な生産拡大に品質管理が追いつかなかった可能性がある。とりわけ現地調達された部品について、その可能性がある。実際、不具合を起こしたアクセルは、アメリカの部品メーカーの製品だ。日本国内では、系列部品メーカーとのあいだで緊密な情報交換をしながら調達が行なわれているが、海外メーカーについて把握が十分でなかった可能性は否定できない。

新型プリウスは国産なので、これとは別の要因だ。ただ、急ぎ過ぎたという意味では似ている。トヨタの輸出は、04年からは年率5%を超えて増加していた。06年にはじつに23.8%という驚異的な伸びを示した。だが、経済危機で輸出台数は一挙に半分以下に落ち込んでしまったのである。そこで、政府の支援策が打ち出され、ハイブリッド車の増産がなされた。

その支援策に間に合わせるため、開発と生産が急がれた可能性がある。しかも、ホンダが発売したハイブリッド車インサイトに対抗するため、価格面でも大幅な値下げがなされた。それまでのプリウスが300万円以上したのに対して、新型プリウスは200万円台である。コストカットの面でも無理をした可能性がないとはいえない。

このように考えると、今回のリコール問題は、純粋に技術の問題というよりは、多分に経営の問題であるように思われるのである。

技術に偏っていたグローバリゼーション

今回のリコールがこれほど波紋を広げてしまったのは、トヨタ側の対応のまずさにも一因があることは否定できない。その意図がないにしても、「不都合なことは隠そう」としたのではないかとの疑いを抱かせた。こうした対応は、国際社会においては、特にアメリカ社会では、きわめて不誠実でネガティブな印象を与えてしまう。

私は、アメリカに進出した日本の自動車会社が、本当に現地社会とのコミュニケーションを確立したか否かについて、かねがね疑問に思っていた。それは、ミシガン州にある日本メーカーの部品工場を見学したときに見聞した経験による。日本から赴任した工場の幹部は、アメリカ人の工員にファーストネームで呼ぶよう指示していた。しかし、アメリカ人の工員は、それをきわめて奇妙なものと受け取っていたのだ。アメリカはある側面では厳しい階級社会であり、職場内で行員が幹部をファーストネームで呼ぶことはありえない。日本人の幹部は、「アメリカでは誰のこともファーストネームで呼ぶ」と勘違いしていた可能性がある。グローバリゼーションとはまことに難しい課題であると考えざるをえない。

現地社会とのコミュニケーションにおいて問題があったにせよ、日本の自動車が品質面で絶対の信頼を獲得したことは、まぎれもない事実である。それがすべてをカバーしたのだ。

日本車の品質が高く評価されていることについて、私自身も多くの経験をした。アメリカで講演をしたとき、GMの副社長だった人が愛車のキャデラックで私を空港まで送ってくれたことがある。ところが、出発しようとしたときにエンジンがかからない。彼はそのとき悲しそうに、「日本車ならこんなことにはならないのだが」と言った。またあるときは、ミラノでイタリア人の友人がレストランに連れて行ってくれたのだが、駐車したフィアットが帰りには動かなくなった。そのとき彼も、「日本車ではありえない事故だ」と言った。

しかし、品質面で少しでも問題が生じてしまうと、信頼は一挙に瓦解する。そして、それまでコミュニケーション不足によって蓄積されていた歪みが一挙に噴き出してしまう。

レクサスのアクセル不具合事故に関して、こうした側面がなかったとはいえまい。そうだとすれば、これは、技術面に偏り過ぎたグローバリゼーションが引き起こした問題だということになるだろう。

日本の自動車産業は未来に生き延びられるか?

日本の自動車生産を長期的に見ると、厳しい条件に直面していることをあらためて感じる。日本国内の自動車生産は、90年頃をピークとして傾向的な減少過程にある。全世界に対する輸出もアメリカに対する輸出も、85~86年をピークとして、傾向的に減少してきた。ただし、95年にボトムとなった以降は、実質為替レートが円安になったことによって増加に転じた。特に、02年頃からは、異常な円安に支えられて増加した。しかし、それは永続するものではなく、経済危機によって頓挫した。

今後の自動車の需要と生産は、新興国に移行してゆく。しかし、新興国の自動車は、低価格車が中心だ。そして、中国をはじめとする新興国メーカーとの競争も激化する。新興国メーカーと競争して低価格車の生産に比重を移すならば、利益率は低下するだろう。

それだけではない。純粋に技術的な側面から見ても、日本の自動車産業が新しい自動車の時代に適合しているか否かは、疑問なしとしない。特に問題となるのは、電気自動車の時代に対応できるか否かである。

電気自動車では、ガソリン車と違ってトランスミッションのような複雑な機械が必要ない。だから、日本がこれまで強かった「すり合わせ」の技術が優位性を発揮できない製品だ。現在のエレクトロニクス製品のように、水平分業化した生産が行なわれる可能性が高い。したがって、ハイブリッド車のように機械技術的に高度な製品にこだわっていると、電気自動車の分野で後れを取る可能性がある。

このように、変化しているのは自動車の需要だけではない。生産方式も、技術体系も大変化しようとしているのだ。日本の自動車産業は、このような問題に対応できるだろうか?

現在自動車産業に対しては、購入支援策が取られている。しかし、これは需要を先食いするだけの政策だ。構造的問題に対する答えにならないどころか、かえって本当の対応を遅らせてしまう危険を持つ。

われわれは、日本の自動車産業が抱える構造問題を、今回のリコール事件をきっかけに、真剣に考える必要がある。

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