「デフレ脱却」は邪教 それからの脱却が必要

「現在の日本経済が抱える最大の問題はデフレである」とする考えが、一般に信じられている。「デフレから脱却しなければ日本経済は活性化しない」と多くの人が言う。

政府は、2009年11月の月例経済報告で、「日本経済は緩やかなデフレ状況にある」と認定した。これは、3年5カ月ぶりの「デフレ宣言」である。

新聞記事などでは、「デフレのため企業の利益が減る」「デフレのために消費が伸びない」として、停滞の原因をデフレに見出そうとする説明が毎日のように見られる。「デフレスパイラル」ということも主張される。主張されている内容は論者によっても違うし、整合的に秩序づけて述べられているわけでもないが、おおまかにいえば、次のようなことだ。

(1)製品価格が下落するので、企業利益が伸びない。

(2)利益が伸びないため、賃金を引下げざるを得ない。そのため、消費者の所得が伸びない。

(3)また、将来はもっと安く買えると消費者が予想するため、購入を延期する。

(4)需要が(2)と(3)のために減少する。そのため需給ギャップが拡大し、さらに製品価格が下落する。すると、(1)からの過程がさらに拡大されて進行する。つまり、「スパイラル的に事態が悪化する」というわけだ。

(5)需給ギャップを埋めるため、需要を拡大する必要がある。そのためには、金融緩和が必要である。

原因は需要サイドでなく供給サイドにある

しかし、右の認識は、すべて誤りである。

実際に起こったのは、新興工業国との競争による賃金の下落と工業製品価格の下落である。そして、賃金より製品価格が大きく下落するため、長期的に見れば製造業の利益が減少しているのである。つまり、問題は「デフレスパイラル問題」が言うように需要サイドで生じているのではなく、供給サイドで生じている。

まず、現実の価格動向は、需要面の変化からほとんど影響を受けていない。これは、次の2つの事実によって確かめられる。

第1に、価格下落は一様でなく、過去15年間、工業製品の価格は下落したが、サービス価格はほとんど低下しなかった。仮に需要減退が原因であるなら、工業製品に対する需要がより大きく減少したと言わざるをえないが、そんなことはなかった。

第2に、今回の経済危機で総需要が激減したにもかかわらず、価格はほとんど影響を受けなかった。それどころか、08年には上昇した。この原因は原油価格の上昇である。そして、原油価格下落が、09年になってからの消費者物価下落の大きな原因となっている。

現在の経済では、貿易可能な工業製品価格は、世界経済の条件(とりわけ、新興工業国の供給条件)によって、外生的に決まる側面が強い。したがって、「需要が減少するため価格が下落する」という(4)の認識は、誤りである。

次に、賃金の下落は(2)で主張されるように企業利益減少の結果として生じているのではない。実際、賃金は2000年頃から継続的に低下しているが、07年まで企業利益は顕著に増加した(とりわけ製造業では著しく増加した)。このように、最近の景気回復期では、賃金と企業利益は逆方向に動いた。賃金も製品価格も、新興国との競争のために下落しているのである。そして、工業製品価格の下落が賃金下落より激しいために、長期的に見れば製造業の利益が縮小しているのだ。他方で、非製造業の利益はあまり変わっていない。このように、「デフレスパイラル論」で主張されていることは、現実のデータとは正反対である。

なお、(3)で主張されていることは、単純な誤りである。物価が下落すると名目金利が下落するため、消費を延期する利益は減少する。そして、延期をした場合の実質購入量は、物価上昇率にかかわりなく一定なのである。なぜなら、消費を延期した場合の実質購入量は、現在の購入量×(1+実質金利)であり、実質金利は物価上昇率にかかわりなく一定だからだ。

今こそ邪教から目覚める必要がある

いま1つ重要な点は、現在の日本は、金利が著しく低いために、金融政策がきかない状態になっていることだ。貨幣(定期預金を含む)に対する需要が無限に大きくなっているため、金融緩和をして貨幣供給量を増やしても、それに吸い込まれてしまい、金利が低下しないのである。ケインズは、これを「流動性のトラップ(わな)」と呼んだ。

この状態下では、いかに金融緩和をしたところで、需要は拡大しない。有効需要を拡大するためには、財政支出を増大させるしか方法がない。ケインズは当時のイギリスがそうした状態に陥っていると考えて、『雇用・利子・貨幣に関する一般理論』を書いた。現在の日本も、典型的な流動性トラップに陥っている。このため、15年間にわたって金融緩和を続けているにもかかわらず、効果がない。その半面で、自動車や家電製品などの購入支援策は、財政政策であるため、絶大な効果を発揮した。

流動性トラップに陥っていない経済では、海外要因で物価が下落した場合、貨幣の実質残高が増大し、利子率が低下して投資支出か増大し、経済が拡大する(この効果は、「リアルバランス効果」と呼ばれる)。需要が増加するので、実際の物価下落は、当初のショックよりは緩和される。これは、アメリカで見られた現象である。

しかし、流動性トラップの下では、リアルバランス効果が働かず、物価下落が経済を拡大しない。このため、外生的要因によって生じた物価下落がそのまま実現してしまう。新興国の成長による供給条件の変化は世界共通であるにもかかわらず、日本における物価下落が激しいのは、このためだ(なお、新興国のメーカーと競合する製造業の比率が高いことも、原因の1つである)。つまり、諸悪の根源はデフレではなく、流動性トラップ(金利が低過ぎること)なのである。

以上で述べたように、「デフレスパイラル論」はまったくの誤りであるにもかかわらず、執拗に主張される。その理由は、責任転嫁をしたいからであろう。政府としては、財政支出拡大のために財政赤字が拡大することを避けたい。このため、「経済が停滞するのは金融緩和が不十分なため」として政策の責任を日本銀行に押しつけたいのである。

物価と賃金の下落は、すでに述べたように、新興工業国との競争によって生じている。したがって、そこから脱却するには、ビジネスモデルを転換し、新興国と競合しない分野に進出することが必要である。あるいは、(アップルが行なっているように)製品の企画段階に集中して、実際の生産は新興国の低賃金労働を活用して行なうべきである。つまり、垂直統合型の生産から水平分業に転換する必要がある。さらに、日本の産業構造を根本から転換し、脱工業化を図るべきである。

しかし、こうした転換には大きな摩擦が伴う。だから、企業はこれまでのビジネスモデルや産業構造を、なんとか維持したい。このため、「原因はデフレだ」として責任転換したいのだ。

こうして、転換と改革がなおざりにされる。「デフレスパイラル論」は、そうした怠慢を正当化するための邪教にほかならない。これこそが、日本経済を15年間停滞させた基本的な原因だ。日本は、今こそ邪教から目覚める必要がある。

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