消費税福祉目的税化は議会の自殺行為

鳩山由紀夫首相が参院予算委員会で「福祉目的税」について言及した。しかし、このアイディアは、無意味なものか、あるいは危険な結果をもたらすか、どちらかである(どちらになるかは、以下に述べるように、制度の運営ルールによる)。これについてはこれまで何度も書いてきたのだが、世の中の誤解はいっこうになくならないので、ここで再び述べることとしよう。

そもそも目的税あるいは特定財源は、いかなる意味を持つのだろうか?(なお、使途特定化を目的税は税法で行ない、特定財源は特別会計法などで行なう。このように両者は制度的には別のものだが、ここではその区別をしない)

新しい施策を新しい財源で行なう場合には、話は簡単で理解しやすい。この措置がいかなる意味を持つかは、税収の自然増と支出の自然増の大小関係いかんで、ちょうど逆になる。

道路特定財源のように税自然増が支出自然増より大きい場合には、「財源があるのでムダな事業が行なわれる」という結果になる。財政当局が特定財源を嫌うのはこのためだ。

しかし、支出自然増が税収自然増より大きい場合には、支出増を支えるために増税が自動的に行なわれることになる。社会保障関係費の自然増は消費税の自然増より大きいので、基本的にはこうした結果がもたらされることになる。つまり、増税が自動的にできるので財政当局には都合がよいが、制度の見直しは不十分になり、納税者は自動的な負担増を押しつけられることになるのである。

ただし、現実には、社会保障制度はすでに存在しており、それに対する財源手当もすでになされている。このため、話は若干複雑なものになる。それについて、以下に説明しよう。

まず、目的税化の意味を明確に見るためには、社会保障関係費を一般会計から隔離して別勘定で経理する必要がある。そして、「消費税を目的税化する」と言うからには、消費税収の全額をこの勘定の歳入にする必要がある。

2010年度予算において、一般会計の社会保障関係費は約27兆円、消費税収は約10兆円である。したがって、勘定をバランスさせるため、「その他財源」をたてる必要がある(この中には国債金収入も含まれる)。他方、歳出面では、社会保障関係費だけではなく、「国債費」をも計上する必要がある(過去の社会保障関係費の一部分は国債で賄われたから、国債費の一部を負担する必要があるのだ)。計上額をいかにすべきかは議論の余地があるが、たとえば、国債費の総額を比例配分して計上することが考えられる。

さて、この措置がいかなる意味を持つかは、消費税の増収額(自然増および税率引上げによる増)と、社会保障関連費の増加(自然増および制度拡充による増)の大小関係によって異なる。

歳出のチェックがきかなくなり自動増税が行なわれる

まず、この勘定の運用について、なにもルールを決めない場合を考えよう(ケースA)。

この場合、消費税を目的税化して勘定を別立てにしたことによって、なにか変わったことが起きるだろうか?

起きないだろう。社会保障関係費は自然増によって増えてゆく半面で、消費税の増税は簡単にはできない。したがって、勘定の収支はバランスしない。そこで、「その他の財源」を増やす必要があるだろう。たぶん、これまでのように国債が増えることになるだろう。

つまり、目的税化を行なわなかった場合と比較して、違った結果はなにも生じないのである。もちろん、「増加した消費税は社会保障に使われた」と考えることはできる。消費税の自然増や税率引上げで税収が増えた場合、増収額が社会保障関係費より少ない限りにおいて、そうだ。ただし、「さもなければ削減されたであろう他の経費を助けた」と考えることもできる。「カネに色目はない」以上、このどちらかは判別できない。いずれにせよ、それだけのことであり、福祉目的税という措置は無意味なものだ。

目的税化が実質的な意味を持つのは、勘定の運営に関してなんらかのルールを設定する場合だ。たとえば、「その他財源は現在より増やさない」という制約を書けることが考えられる(ケースB)。この場合には、社会保障関係費が増加すると、勘定の収支をバランスさせるために、消費税が自動的に増税される。

ところで、これは危険なことだ。その理由は次のとおりである。

これまでは、財源手当がないために、既存の支出を見直したり、新規の施策を控えめにすることが余技なさくれただろう。しかし、「支出が増加すれば必ず財源手当がなされる」ということになると、こうした見直しはおろそかにされる。その結果、社会保障関係費が際限なく膨張する。

さらに危険なケースも考えられる。それは、「その他の財源が現在より減ることも認める」とされる場合だ(ケースC)。この場合には、歳出増加を上回る消費税の増税が可能となる。そして、社会保障勘定における「その他の歳入」の減額分は、他の勘定に振り向けられる。したがって、社会保障関係費以外の経費を増やす(あるいは、国債発行額を減額する)ことができる。つまり、増加した消費税収の一部は、結局のところ他の目的に充てられることになるわけだ。「消費税は福祉に限定する」と言いながら、実際にはそれが守られないこととなるのである。

以上の検討をまとめれば、次のようになる。ケースAでは、福祉目的税は無意味な措置だ。実際的な意味を持つのは、ケースBかケースCである。しかし、いずれのケースも、財政当局には都合がよいが、納税者の立場からは危険なものだ。

自動増税を認めれば議会の存在意義はない

以上で説明したように、福祉目的税化とは、じつは、財政当局の利益のための措置なのである。その本当の目的は、自動増税を可能にすることだ。

「そうではなく、増税の必要性を理解してもらうのが目的だ」と反論されるかもしれない。「税負担を増やす場合に、ムダな目的のために使うのではなく、国民生活を支える社会保障のために使うのだということを理解してもらうための措置だ」「消費税の使途が明らかになるので、増税に理解が得やすくなる」と。

しかし、今後の大幅な増税が社会保障のためであることは、増税する税目を目的税というか否かにかかわらず、ほぼ明らかなことなのだ。わざわざ目的税などということを持ち出す必要はない。目的税化することが意味を持つのは、すでに述べたように、BかCのルールを設定する場合であり、その場合には問題が発生するのである。だから、国民は、こうした策略にだまされてはならない。

目的税論議は、自民党時代にも行なわれた。今民主党によって、同じことが議論されている。この点では、自民党も民主党も、まったく変わりがない。

自動的な増税の容認は、議会の役割を放棄することにほかならない。なぜなら、議会の基本的な役割は、政府の増税をチェックすることだからである。歴史的に見て、そもそも議会が設置されたのは、政府の恣意的な増税を牽制することが目的であった。したがって、福祉目的税化とは、議会政治の自殺行為である。「官僚支配の排除」とは、こうした巧妙なトリックを見抜くことなのである。

[ad]

Comments

comments

Powered by Facebook Comments