納税の痛みこそ政治と財政の原点

私は昨年秋に税務調査を受けた。確定申告書のチェックを受けるのはこの40年間で3回目か4回目の経験だが、今回はきわめて詳細なチェックを受けた。すべての支払い調書の控えと領収書、そして銀行預金通帳は最初に自主的に提出した。さらに、求めに応じて講演の詳細実施記録なども提出した。アメリカ滞在時の銀行取引も調査された。

最終的に、数万円の申告漏れがあった。これは、少額のため支払い調書がなく、しかも通常と別の通帳に入金されていたので、申告時の照合作業から漏れてしまったものだ。しかし、それ以外には何もなかった。私はこれまで完璧な確定申告を心がけてきた。今回の調査で修正申告がゼロでなかったのは残念だが、それに近い結果が得られた。

私は、今回の税務調査の結果を自慢できるものだと思っている。また、それを踏まえて、脱税に対して強い意見を述べることが許されると考えている。

私が述べたいことは2つある。第1は、日本社会が脱税に対してあまりに寛容であることに対する怒りだ。

昨年の秋以来、有名な個人2人(1人は脳科学者、1人は政治家)に関する脱税事件が報道された。税務調査を受けている最中だったので、私は格別強い怒りを覚えたのである。

新聞やテレビに名が出る人に億円単位の脱税が発覚すれば、ただちに社会から抹殺される。それがまともな社会である。私が知るアメリカやイギリスは、そうした社会だ。しかし、日本では、脱税額を納付するだけで問題は終わりになってしまう。脱税者の社会的活動は、なにも変わらずに続いている。日本はとうていまともな社会とは言えない。

なぜ脱税に対してこれほど寛容なのか? それは、「納税の痛み」を感じている人があまりに少ないからだ。「納税の痛み」とは、「所得を隠蔽し、あるいは経費を過大申告すれば、巨額の現金が手元に残る」という明白な可能性を目の前にして、その誘惑に抵抗することである。

これは容易なことではない。たぶん唯一の方法は、申告書作成を税理士に任せて自分はタッチしないことだ。そして、予想納税額をあらかじめ別に積み立てておくことである。税理士としては、依頼人の脱税に関与したところで得るところは少ないし、発覚すれば自らの職業を失う危険にさらされる。だから、正しい納税が自動的に行なわれる。

逆にいえば、税理士に依頼しなかったとすれば、その時点で脱税の意図があったと考えざるをえない。だから、「脱税の意図がなかった」という言い訳は、億単位の脱税については、決して成立しないはずである(そうした意見が聞かれないのは、不思議なことだ)。

納税の痛みを感じる人が少な過ぎる日本の税制

納税の痛みを感じる人が日本で少ないのはなぜか? その理由は、大部分の給与所得者の所得税の納税が、源泉徴収と年末調整で完結してしまうからである。納税者が自らの判断で収入と経費から納税額を計算する余地がなく、納税額が自動的に決まってしまう。

つまり、「脱税する可能性を奪われている」のである。脱税の可能性がないところに、「納税の痛み」はない。

脱税は、殺人や盗みとは違って、原罪意識がない犯罪だ。実際、聖書に「脱税をするなかれ」という教えはない。むしろ、徴税請負人に対する憎悪感が見られる。その当時、納税は「権力者への貢物」という性格が強かったので、当然のことだ。脱税には反権力闘争の意味づけが与えられたかもしれない。脱税が犯罪と考えられるのは、主権在民の民主主義社会の特殊事情である。小学校の社会科教育で最初に必要なのは、脱税に対する罪悪感を教え込むことだ。それは、金融リテラシイ教育よりはるかに重要である。

原罪意識がない犯罪を思いとどまるのは、「本当は脱税したいのだが、発覚したときのコストがあまりに高い」という認識である。そして、「私は負担を強いられているのだから、他の人がそれから逃れるのは許せない」という相互監視だ。

しかし、今回の脱税事件で、日本では億円単位の脱税でも社会的制裁はまったくないことが明らかになった。これが納税意識に与える影響は甚大だ。

財政赤字が拡大するのは納税者意識がないから

税負担意識の不在は、脱税に対する寛容度を高めるだけではない。財政支出に対するムダな支出への監視をも弱める。これが、述べたい第2点である。

納税の痛みを感じている人は、「財政支出は私が負担している」と考える。だから、国がムダな支出をすることに対して厳しい見方をするのである。

2008年秋、アメリカ議会は、金融安定化法をいったん否決した。金融危機がいかに深刻でも、「私の負担で金融機関を助けるのは拒否する」ということだ。これは議会の反応としてはごく当然である。なぜなら、議会はそもそも為政者のムダづかい監視のためにつくられたものだからだ。

それに対して日本では、自動車や電気製品の購入補助策が経済対策としていまだに続けられている。また、企業が休業扱いにする人員の休業手当を肩代わりする政策を続けている。しかし、「そうした経費を私は負担したくない」いう意見は、私の知る限り皆無である。

負担意識がなければ、人びとが政治に求めるのは、政府の支出監視ではなく、「政府からいくらもらえるか」だけになってしまう。

来年度予算の財政赤字が異常な額にふくれ上がってしまったことから、財政赤字の問題がようやく議論されるようになった。税制改革議論も始まろうとしている。しかし、多くの議論は、税収を増加して赤字を縮小するためのものだ。だから、主たる論点は消費税の税率引き上げになるだろう。

確かに、消費税を増税すれば、財政赤字は一時的には縮小する。しかし、ムダな歳出に対する国民の監視が働かなければ、支出は膨張し続ける。国民が納税の痛みを感じていなければ、いかなる改革を行なったところで、財政赤字が恒常的に縮小することはない。

だから、税率引き上げについて論じる前に、税制そのものについて議論する必要がある。財政支出への監視が働くような税制を作らなければならないのだ。

消費税についていえば、税率引き上げの前に、インボイスを導入する必要がある。ヨーロッパの付加価値税が現代的な税と評価されるのは、インボイスによって多段階の課税累積を回避できるからだが、それだけでなく、インボイスがあるために脱税が自動的に排除されるからである(脱税すればインボイスを発行できず、次段階の取引から排除される)。多段階間接税でインボイスを持たないのは、日本だけだ。日本の消費税は、ヨーロッパの付加価値税に似て非なる欠陥税だ。

いま1つ重要なのは、所得税制で給与所得控除の見直しを行なうことである。給与所得控除があまりに大きいため、経費の実額控除を選択しても給与所得控除に及ばない。このため、給与所得者のほぼ全員が実額控除でなく給与所得控除を選択し、納税額が自動的に決まってしまう。自分がいくら所得税を負担しているかさえ知らない人が多い。

「納税の痛み」「脱税への怒り」「国のムダづかいへの恐怖」、この3つがない限り、現代国家はいつかは破綻する。日本の税制はこれを欠いているために、財政規律が消滅し、赤字が野放図に膨張している。この原因を除去しない限り、日本に未来はない。

[ad]

Comments

comments

Powered by Facebook Comments