楽観的な見通しで年金改革が遅れる危険

厚生労働省は、新しい将来推計人口に基づく厚生年金の給付水準見通しを、今年の2月に示した。「基本ケース」では、将来の年金額の現役世代の収入に対する比率は、51.6%になるとされている。

しかし、この試算の前提には大きな疑問がある。特に問題なのは、賃金上昇率を2.5%、積立金の運用利回りを4.1%としている点だ。4.1%という高い(しかも賃金上昇率を大幅に上回る)利回りを長期的に継続できる可能性はきわめて低い。これは、政府が公約する「所得代替率50%」という結論を導くための非現実的想定としか考えようがない。

したがって、51.6%という見通しは超楽観的なものであり、それが実現する可能性は低い。保険料の引き上げや給付水準の切り下げ(支給開始年齢の引き上げも含む)を、将来再び行なわざるをえなくなる可能性は、きわめて高い。

年金制度見直しは、これまでの保険料の引き上げと給付水準の引き下げの連続であった。そうなった理由は、新しい問題が生じたからではない。問題があることはわかっていたが、楽観的な見通しでそれを隠蔽し、部分的調整だけにとどめて抜本的な解決を先送りにしてきたからである。

二重の「食い逃げ」が生じた原因は改革の遅れ

このような「先送り方式」は、ほかの公共政策にも広く見られる。しかし、年金の場合には特別の問題がある。それは、「先に生まれた者が食い逃げし」「後から来る者ほどワリを食う」という事情があるため、先送りすればするほど問題が悪化することだ。これは必ずしも一般には理解されていることではないので、以下に説明しよう。

給付水準の引き下げがなされる場合、その対象は「これから年金を裁定される人」に限定される。そして、すでに年金額が決まっている人(既裁定者)は対象外となる。

この問題は、在職老齢年金制度(一定以上の給与所得がある人は、年金が削減または停止される制度)に関してははっきりと表れている。2000年に行なわれた制度改正によって、02年4月以降、65歳以上70再未満の人についても在職老齢年金制度が適用されることとなった。したがって、働き続ける限り、「いつになっても年金がもらえない」というケースは、稀ではなくなるわけだ。

ところが、どちらの改正も、適用されるのは1937年4月1日以降に生まれた人だ。それ以前に生まれた人については、給与がいくら多くても年金は全額支給される。

この連載でかつて述べたことだが、日本銀行の福井俊彦総裁の年金年額は、778万円であると公表された。かりに少しあとに生まれていたとしたら、このうち厚生年金部分はゼロになっていたはずである。福井総裁は、数年の差でこの制約を逃れている。

同様のことは、年金額の切り下げのときにこれまでも行なわれてきた。新しい制度が導入される以前に年金額を裁定された人は、年金カットの影響を受けることがなかったのである。

確かに、給付水準の切り下げが決定されたとき、「過去に受給した年金に遡って返却せよ」というのは難しいだろう(すでに生活費として使ってしまったかもしれないからである)。

しかし、「今後支給する年金については新しい制度の給付水準にする」と言うのは、十分可能なことだ。

「すでに将来の生活設計をしてしまっているからできない」と言われるかもしれない。しかし、それはすべての加入者について言えることである。「既裁定者の年金には手をつけない」ことを正当化する合理的な理由はない。

保険料の引き上げが決定されたときも、対象となるのは将来の保険料だけだ。過去の保険料に遡って徴収し直すことはない。過去のぶんの追加徴収が、給付の場合に比べて難しいことは、言うまでもない。だから、保険料の引き上げが将来に限定されるのは当然と考えられるかもしれない。しかし、本来であれば、少なくとも部分的に追加徴収することは、考えられるべきことである。

それは、次のように考えると納得できるだろう。

保険料の引き上げが、本来であれば10年前に決定されるべきであったとする。その場合には、10年前から保険料が高くなったはずだ。保険料の引き上げが現時点でなされているのは、単なる先送りの結果である場合が多い。そうであれば、10年前からの保険料は追加徴収すべきだということになる。

しかし、現実にはこうした措置はなされない。したがって、早く生まれた者は、過去の安い保険料を追加徴収されず、しかも過去の高い給付を将来も受け続けられる。つまり、二重の意味で「食い逃げ」しているのである。その負担は、後から来る世代が負うことになる。

給付と保険料の比に世代間で大きな格差があり、ある世代以降は「払っただけ戻ってこない」。このような世代間格差は、人口構造の変化によって不可避的に生じると考えている人が多い。しかし、その大部分は改革が遅れたために生じているのである。

以上で述べた問題は、年金に固有のものであることに注意しよう。たとえば、健康保険では、こうした問題は発生しない。給付水準を引き下げる場合には、生年月日にはかかわりなく、あらゆる人の給付水準が引き下げられる。毎年清算される制度では、年金におけるような「食い逃げ」現象は発生しないのである。

やめられないから続けざるをえない公的年金

以上の問題を考えると、最も望ましい方策は、現在の制度はいったん清算して、「やり直す」ことである。清算するためには、受給者に対しては、将来の受給額の現在値を一時払いする。受給年齢に達していない人には、これまで支払った保険料の現在値を返却する。こうした支払いを、積立金を用いて行なう。

再出発する年金制度は、基礎年金相当分だけにしてもよいし、民間の保険に依存することとしてもよい(年金については「民営化」が可能である。現在の日本で民営化の必要性が最も高いのは、年金制度である)。

問題は、こうした清算が可能かどうかだ。この連載でもすでに述べたことがあるが、このような清算は、じつはできないのである。

現在の積立金残高では、清算には不足するのだ。不足額を一定の仮定の下で計算すると、800兆円という巨額なものになる。これは、現在の国の長期債務残高をはるかに上回る。

このように、公的年金は、「やめられないから続けざるをえない」という恐ろしい状態にすでに陥っているのだ。できることは、改革をできるだけ早く行なうことしかない。これは、時間との競争なのである。

現在の制度を続けながら部分的な修正を行なっていても、本質的な問題はなにも解決されない。

安倍晋三内閣は、社会保険庁の解体や年金一元化を年金に関する主要な課題と考えているようだ。それらの必要性を、まったく否定しようとは思わない。しかし、年金本来の課題からすれば、どちらも枝葉末節のものである。はっきり言えば、「こうした問題にかかずらっているヒマは、もうない」のである。

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楽観的な見通しで年金改革が遅れる危険” への1件のコメント

  1. TYPO
    しかし、年金の場合には特別の問題がある。しかし、年金の場合には特別の問題がある。

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