中国政府と対決したグーグルに拍手

グーグルが中国と「戦争」状態に入っている。発端は、中国を発信源とする大規模なサイバー攻撃によって、中国人権活動家のGメールのアカウントが狙われたことだ。グーグルだけでなく、インターネットや金融など、広い分野にわたる20社以上の大企業がターゲットになっていた。

この攻撃に中国政府が関与している疑いがあることから、それに対する講義として、グーグルは、これまで中国で行なっていた自主規制を解除した。中国国内で「天安門事件」や「ダライ・ラマ」などの「危険な」キーワードで検索してもなにもヒットしなかったのだが、関連情報が得られるようになった。

こうした「危険な」情報が国民に広く知られることとなれば、それらを国民から覆い隠していた中国政府は、窮地に陥るだろう。

全体主義国家において、情報こそは最重要の急所である。東西冷戦時代に、社会主義国家が西側からの情報流入にいかに神経質になっていたかは、この連載でも何度か書いた。

壁で分断されていた西ベルリンから東ベルリンに入るとき、検問所で異常なほど執拗に検査されたのは、印刷物の持ち込みであった。印刷物とはすなわち自由主義思想であり、それが持ち込まれてしまえば、東ドイツの国家基盤が揺らいでしまうからだ。

1980年代になって情報技術が目覚ましく進展し始めたとき、社会主義国家は、ファクスの使用を禁止した。それに比べて遙かに自由に情報を伝達できるインターネットは、全体主義国家においては、そもそも使うことができないはずのものである。言い換えれば、ITの進展は、全体主義国家の基盤を破壊したはずなのである。

それにもかかわらず中国でインターネットが使えたのは、国が強力な検閲システムを構築しているからだ。グーグルは2006年1月に中国におけるサービスをスタートしたが、その際、検索結果に関する中国政府の検閲を受け入れた。

このため、中国におけるグーグルのサービスは、「危険な」キーワードに対しては沈黙してしまうという、きわめていびつなものになっていた。それは、「情報への自由なアクセスこそが未来をひらく」というインターネットの基本思想に、真っ向から反するものである。

グーグルが中国政府の要請に服していたことは、同社の最大の汚点だと私は考えていた。グーグルが提供しているサービスのほとんどを私は高く評価するのだが、この問題があるがゆえに、グーグルという企業を100%信頼することはできないと考えていた。この汚点は、今回の決定で消し去られることとなる。

もちろん、グーグルにとって、これは将来の中国でのビジネス機会を失う可能性につながる決定だ。膨大な人口を抱える中国が大衆消費社会に急速に発展してゆくことを考えれば、中国事業を閉鎖することの損失は、計り知れないほど大きい。それにもかかわらず今回の決定を行なったグーグルの勇気に対して、心からの拍手を送りたい。

ITも市場経済も民主主義も、基盤はすべて同じ

グーグルの検索機能がそれまでの検索エンジンに対して圧倒的に優れていた理由は、検索結果がでたらめに表示されるのではなく、「重要度」の順に表示されたことである。

グーグルの登場当時、インターネットサイト数の急増に伴って、検索エンジンで検索しても関係の薄いサイトが多数表示されてしまい、目的のサイトが容易に見つからないという事態が生じていたのである。この状態が続けば、インターネットは機能しなくなっていただろう。

その問題を解決したという意味で、グーグルの検索は画期的なものだった。われわれが今インターネットを支障なく使えるのは、グーグルのおかげだと言っても過言ではない。

ところで、グーグルは、「重要度」を判断する基準として、「リンク数」を採用した。これは、「多くの人にリンクされていることは、重要であることの証拠」という考えだ。つまり、「みんなの意見は、正しい」という考えである。リンクというのは「投票」のようなものだから、これは民主主義による重要度判定にほかならない。

つまり、グーグルの存立基盤は民主主義なのだ。グーグルは、そのことをよく認識している。したがって、中国政府による言論統制は、グーグルの存立とは相いれないものなのだ。今回の「宣戦布告」は、そのことをはっきりと示した。そうした意味で、今回の事件は、きわめて重要な意味を持っている。

市場経済が支障なく機能する前提は、一党独裁や専制政治がなく、個人の自由な選択が保障されていることである。そうした保障がない状態で市場経済をかたちだけ導入し、経済成長が実現したとしても、見かけの豊かさがもたらされたにすぎない。

中国では、市場経済が機能するための基本的前提は満たされていない。中国国民は、自国政府が何をしているかについての正確な情報から遮断されている。そのような社会は、どこかの段階で、解決することができない本質的な困難に撞着するはずである。

日本企業は中国政府と対決できるか

今日本の産業界は、「これからは中国市場」と大合唱している。その方向を志向するのであれば、以上で述べたことは、日本企業にとっても大問題となるはずだ。グーグルの問題は、決して他人事ではない。

これまでのように部品や機械を企業に輸出するのとは違い、中国の消費者に対して最終消費財を売ろうとするのであれば、広告は不可欠だろう。仮にその広告に規制がかかった場合、日本企業はどう対応するのだろうか?

しかも、その規制は、合理的なものとは限らず、恣意的であるかもしれない。たとえば、広告が反政府的であるとして、取り下げを要求されたとしたら?

中国政府の顔色をうかがって自主規制したり、政府高官に賄賂を使って事を収めようとする企業はあるかもしれない。しかし、「広告の内容が正しいかどうかを決めるのは消費者であり、政府ではない」と主張して中国政府と正面から対決できる企業は、どれほどあるだろうか?

最近ではあまり聞かれなくなったが、CSR(企業の社会的責任)ということが、一時盛んに言われた。それを主張する人によれば、企業は、単に利潤を追求するだけの主体であってはならず、地域社会に利益を還元したり、メセナを通じて文化的な活動を支援しなければならないのだそうだ。

企業が地域社会貢献や文化活動に精を出すことに反対しようとは思わないが、それより大事なことがある。言論統制や人権抑圧に対して反対することは、企業の最も重要な社会的責任の1つであるはずだ。しかも、それは、自らの利潤獲得活動の基盤としても不可欠なものである。

中国で事業を展開する日本企業は多数あるのだが、この問題についてどう考えているのかを、ぜひ聞いてみたい。

「物を売ることと、政治的イデオロギーは別の問題」という言い逃れをする企業があるかもしれない。しかし、そのような言い逃れをする企業に、「企業の社会的責任」などという資格はない。原理・原則を軽視する企業は、いつの日か、原理・原則の蹂躙に泣くはずである。

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