二重写しに見える日本航空と日本国

1996年に、この連載で日本航空(JAL)について書いたことがある(『無人島に持ってゆく本』、ダイヤモンド社、97年に収録)。その現行の最初では、60年代末の思い出を書いた。留学生としてアメリカに1人でいたとき、空港でJALの機体を見ると、強い誇りと安堵を感じたという思い出だ。

このことをあるイギリス人に話したところ、彼もBOAC(BAの前身。イギリスのかつてのフラッグキャリア)について同じ気持ちを持っていたと言った。ただし、日本人が抱いていた感情は、それより強かったと思う。なぜなら、日本は敗戦国であり、60年代における国際社会での位置づけは、イギリスとは比べものにならないほど低かったからだ。日本は、低開発国からやっと離陸したばかりの東洋の島国にすぎなかったのである。

ところで、その原稿を書いた目的は、思い出に浸ることではなく、JALに対する苦情を述べることであった。私は、次の3点を書いた。

第1点。国際線のビジネスクラスの中央を隔壁で仕切った機体があり、たまたまその機体に乗り合わせると、反対側の窓が見えないので、言いようのない圧迫感に襲われる。隔壁の向こう側は客室からは見えないのだが、乗務員の休憩スペースになっているらしい。JALの国際線では、乗客より乗務員が優先なのか。

第2点。ローマ発のJAL東京便に乗ると、乗務員はミラノで交代する。勤務時間の制約のためにそうなるらしいが、こんな短時間の勤務で交代しては、非効率極まりない。また、制服姿の乗務員が空港の免税店で買い物をしている姿を見かけるが、これは勤務時間内の私的行動ではないか。

第3点。客室乗務員の英語が下手過ぎる。定型的なアナウンスさえろくに話せない。これは訓練が不十分なためではないか。緊急時に英語で乗客を誘導できないのではと危惧される。

これらを通じて述べたかったのは、乗務員の権利があまりに強く保護されているのではないかという疑いである。そして、そのためにJALの利益が圧迫されるのではないかという懸念だ。それが続いてJALが破綻しては大変だと危惧したので、この原稿のタイトルを、「JALよ、いつまでも健全であれ」とした。そのタイトルに含めた願望は、残念ながら実現されなかったわけだ。

JAL破綻の要因としてはさまざまなものがあるだろうが、従業員の権利が強過ぎたことが大きな原因の1つであることは否定できない。企業を所有するのが株主ではなく従業員であるという状況は、日本の大企業に多かれ少なかれ共通する事情だが、JALの場合にはそれがあまりに明らかなかたちで表れていた。

日本の高度成長に合わせて成長した

日本航空は、さまざまな面で日本の象徴である。まず、日本経済の成長と歩調を合わせて成長した。

64年に日本人の海外渡航が自由化されて、70年代に日本人の海外旅行が急増した。大部分の日本人海外旅行者はJALを利用したと思われる。どの国民も海外旅行で自国のフラッグキャリアを利用するという「ホームカントリーバイアス」を持っているが、日本人の場合には、とりわけそれが顕著だった。長時間のフライト中日本語だけで用が足せるという点を考えると、事実上JALが唯一の選択肢となるからだ。

地理的な点でも有利だった。ヨーロッパの場合には、海外旅行でも陸路移動が可能だし、飛行機に乗ってもそれほど長距離にはならない。航空機運航は、長距離便のほうが利益率が高いはずである。

このように、JALは、世界の航空会社の中でも、格別有利な条件に恵まれていた。それに加え、国内での主要な競争相手は全日本空輸しかなく、しかも料金は規制されているので、競争はほとんどなかった。冒頭に述べた原稿で指摘した状況は、そうした好条件下での殿様商売がもたらした結果だったのだろう。

しかし、日本経済の高度成長は永遠には続かなかった。そして、日本経済が停滞状態に落ち込むのと歩調を合わせて、JALの経営も悪化した。

経営悪化に対して、本来は事業を効率化すべきなのだが、労働組合が強過ぎるJALでは、それは到底不可能なことだった。ビジネスクラス客室内の隔壁も、ミラノでの乗務員交代も、免税店での制服ショッピングも、いつまで続いたのか私は知らない。ただし、かなりの期間続いたであろうことは想像に難くない。

だから、JALの破綻は不可避のことだった。問題は、「いつ生じるか」だけだったといってもよい。

先日、JAL破綻に関して海外ジャーナリズムの取材を受けた。そして、「この件は、かつての山一や長銀の場合と同じように、日本人の自信と誇りを傷つけるものか」という質問を受けた。私の答えは、「山一の自主廃業や長銀の破綻はサプライズだったが、JALの破綻は日本人にとってサプライズではなかった。その意味で両者は異なる」というものである。

日本はJALと同じ問題を抱えている

「日本経済の停滞とともに日本航空の経営も悪化した」と述べた。逆に言えば、日本経済もJALと同じ事態に陥っているということだ。JALの場合には市場の圧力があるから、収支がある程度を超えて悪化すれば、破綻処理をせざるをえなくなる。しかし、国の場合には、市場の圧力は、企業の場合のような明確なかたちでは働かない。

実際、2010年度予算においては、歳出総額約92兆円に対して税額がわずか37兆円という異常事態に陥りながら、国債の消化に今のところ支障は生じていない。だから、この予算には日本経済の死相が明確に表れているにもかかわらず、危機感はほとんど持たれていない。

しかし、日本経済全体がJALと同じ状態に陥っているという事実は、いくら強調しても強調し過ぎることはない。

株式会社は、本来は株主が所有する組織であり、その運用をコントロールすべきは株主である。しかし、JALは従業員が所有する組織であり、従業員の福祉が最優先された。

国の場合、予算を本来コントロールすべきは納税者である。しかし、日本では、予算は選挙の票を買うための道具としてしか考えられていない。ガバナンスの構造が本来あるべき姿とまったく異なるものになっているという意味で、国もJALもまったく同じだ。

JALの経営を圧迫した大きな原因の1つは、企業年金であった。高度成長期に設計され、現在の経済状況下では運営不可能な構造になっていたにもかかわらず、企業破綻に至るまで見直すことができなかったのである。

国が運営する公的年金も、まったく同じ構造だ。恒常的財源の確保を前提として基礎年金の国庫負担率を引上げたにもかかわらず、その条件は、今に至るまで満たされておらず、この財源はいまだに「埋蔵金」でしかない。財政が破綻してもなんのサプライズでもない状態が続きながら、そのためになんの対応もなされていないのだ。

山一・長銀のときには、それと同じメカニズムで日本全体が破綻するとは思えなかった。しかし、日本航空は、日本国そのものと二重写しに見える。これこそが、山一・長銀とJALの最大の違いだ。

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