リバーダンスが示す世界経済の構造変化

「リバーダンス」と言っても、本誌の読者にはご存じない方が多いだろう。これは、アイルランドの伝統的なダンスをベースにして創作された新しいタイプのダンスショーである。

1994年にダブリンで開かれたユーロヴィジョン・ソング・コンテストで幕間に行なった7分間の初公演が大反響を呼び、その後、独立した1つの作品に成長した。97年にグラミー賞を取り、2003年のスペシャル・オリンピックス夏大会では、オープニングセレモニーで披露された。大げさに言えば、「リバーダンス現象」を引き起こしつつ、世界中に増殖しているわけだ。

私が以下に述べたいのは、その芸術的評価ではなく、背後にある世界経済の構造変化との関連だ。リバーダンスの誕生と成長は、アイルランドの驚異的な経済成長と密接に関係しているからである。

「風と共に去りぬ」に見るアイルランド移民の憎悪

リバーダンスの第2幕は、アイルランド移民の歴史を描いている。故国を離れて大海を渡り、新世界に生活せざるをえない環境に追い込まれた人びと。そこでのさまざまな民族との交流。

ここには、スペインの踊りやロシアの踊りも登場する。ロシアで生まれたクラシックバレエにも民族舞踏が登場するから、異国の踊りが含まれていること自体は、別に珍しくはない。しかし、リバーダンスには、アメリカの黒人たちも登場する。つまり、これは伝統の復活ではなく、帰国する移民の子孫たちを迎えつつあるアイルランドが、新しく生み出した作品なのだ。

かつてアイルランドから大量の移民が全世界に流れ出たことは、この連載でも何度か書いた。そうなったのは、アイルランドが産業革命から取り残された貧しい農業国だったからだ。

特に1840年代の「ジャガイモ飢饉」の際には、100万人以上が餓死し、骨だけの人が死体と共に生活するという地獄の世界が現出した。アイルランドの人びとは、それから逃れるために、恋人や家族と別れて海を渡ったのである。

現在のアイルランドの人口は400万人に満たないが、ジャガイモ飢饉の前はその2倍だった。世界中に散った意味の子孫は、700万人以上と言われる。「アイリッシュアメリカン」と呼ばれるアメリカのアイルランド移民の子孫は4000万人を超す。

「The Best of Riverdance」というDVDのなかで、ジーン・バトラー(初代のプリンシパルダンサー)は、彼ら移民の歴史を、「明け方、船は出航する。恋人たちの嘆きは潮に打ち上げられ、悲しみを知るに若過ぎる者の心は引き裂かれる。海は深く、暗く、そして広い」というテオ・ドーガン(現代のアイルランド詩人)の詩を引用して語り始める。

新天地に渡ったアイルランド移民は、そこでも極貧の生活を強いられた。映画「ミリオンダラー・ベイビー」は、そうした事実を知らないと理解できないと、この連載で書いたことがある。

「風と共に去りぬ」も、アイルランド移民の物語である。私は以前、これは、奴隷制に依存した南部プランーション社会の上流階級の人びとが、過ぎ去った古きよき時代を哀惜の情で懐古した物語だと思っていた。しかし、オハラ、ケネディ、ハミルトン、バトラーなど主人公たちの家名が典型的なアイルランド家名であることを知って、これはアイリッシュアメリカンのアングロサクソンに対する憎しみを描いた物語であると悟った(作者のマーガレット・ミッチェルもアイリッシュアメリカン)。

「タラ」とは、アイルランドの聖地なのだそうだ。彼らは、故国では夢にも見られなかった富を新天地で築いた例外的なアイリッシュアメリカンである。しかし、その富は北部産業社会の野蛮なヤンキーどもに破壊され、風とともに去った。それに対するすさまじい憎悪の物語なのだ。

「アイリッシュアメリカンの祖国帰還」と聞いて誰でも思い浮かべるのは、映画「静かなる男」(1952年)だろう。ジョン・ウェイン、モリーン・オハラ、バリー・フィッツジェラルドなど、「ジョン・フォード監督のアイルランド一座」のメンバーが総出演している。

主人公は、アメリカに渡ったアイルランド移民の子のボクサー。試合中に誤って相手を殺してしまったことからボクサーをやめ、故国に戻ってくる。つまり、これは、故郷に錦を飾る物語ではなく、夢破れたアイリッシュアメリカンの傷心の原点探しなのだ。

故郷の村で彼が見出したのは、現代の産業社会ではおよそ使い物にならないような人びとだ。映画の冒頭、「列車はいつものように、3時間遅れで到着しました」という説明で、それが予告される。

古い因習にとらわれ、頑固で融通がきかず、金銭に執着し、他人の私事にやたらと首を突っ込みたがる人びと。しかし、彼らはなんと豊かな情感に溢れているのだろう。

女主人公メアリ・ケイト・ダナハが歌う「イニシュフリーの島」は、われわれの心をとらえて離さない(歌っているのがモリーン・オハラではなく、吹き替えなのが残念だ)。

このように、アイルランドの歴史もアイルランド移民の歴史も、後進性と貧しさと苦難の歴史である。

祖国へ帰還し始めた移民の子孫たち

しかし、そのアイルランドが、15年ほど前に大変身したのである。それは、唐突な変化であり、しかもきわめて大きな変化であった。ジーン・バトラーは言う。「驚くべきことに、90年代になって、アイルランド移民の子孫たちは故国に帰り始めました」。

「静かなる男」の場合と比べると、現在起こっているアイルランド人の祖国帰還がきわめて異質なものであることに、あらためて驚かされる。

それは、傷心の帰国ではない。かといって、アメリカで成功して故郷に錦を飾るわけでもない。90年代以降の世界経済の大変化のなかでアイルランドが目覚ましい経済成長を遂げ(それについては、この連載で何度も述べた)、その結果、アイルランドで労働力が不足し、そのために移民の子孫が戻ってきているのである。現在のアイルランドでは、30歳未満の人が人口の半分を占めるという。

「移民の子孫たちは、古い記憶を胸に、勝ち誇って帰国しています。これは、循環的な旅(cyclical journey)の完了を象徴するできことなのです」というバトラーの言葉は、非常に印象的に聞こえる。

彼らの祖先は、抑圧された貧しい農業国から脱出した。そして、その子孫たちが、工業国を飛び越えて「脱工業化社会」(ポストインダストリアル・ソサイアティ)を築きつつある祖国に戻ってきたのである。

J.R.R.トールキンの長編ファンタジー『指輪物語』に登場する妖精エルフは、人間族に追われたミドルアースを西に逃げる。そしてついには、大洋にはるか彼方の大陸に渡る。

それは、アングロサクソンに追われて大ブリテン島の北や西端に、そしてアイルランドに追い詰められ、さらに大西洋を渡って新大陸に逃げていったケルトを想像させる(実際、彼らの言葉であるエルダール語は、ケルトのゲーリックを基としてトールキンが創作した言語である)。しかし、エルフの子孫たちは、いまや「循環的な旅」を終え、故国に帰還しつつあるのだ。

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