デフレからの脱却は不可能であり不必要

「デフレ脱却」が当然必要なこととして議論されている。しかし、私はその考えに強い疑問を抱く。

2008年夏頃まで上昇していた消費者物価が、秋以降下落に転じたのは事実である。しかし、その最大の原因は、原油価格の下落でエネルギー関連価格が下がったことだ。09年10月についてみれば、総合指数が前年同月比2.5%下落したうち、約半分の1.23%はこれによる。

原油価格の下落は、同一量の原油使用に対して産油国に支払う額が減ったことを意味する。つまり、産油国への所得移転が減ったわけで、日本人はそれだけ豊かになったわけだ。したがって、日本人の誰の立場から見ても、もろ手を挙げて歓迎すべきものだ。日本人がそれを「望ましくない」と言うのは、まったくおかしい。

消費者物価を下落させたもう1つの原因は、テレビ、パソコン、カメラなど「教養娯楽用耐久財」と分類されるものが、前年同月比でじつに22.6%も下落したことだ。内訳を見ると、ノートパソコンが52.4%、薄型テレビが33.0%、カメラが31.9%などと、驚くべき下落率になっている。

この評価は、立場によって異なる。メーカーの立場から見れば、製品価格が値崩れしては、かなわない。だから、「デフレ脱却」と叫びたくなるのだ。しかし、利用者の立場から見れば、ありがたいことだ。たとえば、自宅と職場でパソコンを持ち運ぶのでなく、同一の出費で2カ所にパソコンを置いておけるのだから。

1990年代以降続いている物価動向の特徴は、サービス価格が不変ないしは上昇し、工業製品の価格が顕著に低下したことだ。ところが、工業製品の供給者は大企業であり、政治的発言力が強い。だから、「デフレ脱却」の声が大きく聞こえるのだ。

しかし、消費者にとっては望ましいことなのだから、工業製品供給者の声に惑わされてはならない。

経済学的に言えば、90年代以降の物価変化は、相対価格の変化であり、あらゆる財・サービスの価格が一様に下落する「デフレ」ではない。相対価格変動に対して必要なのは、経済行動を変えることだ。たとえば、駅を出て雨が降っていた場合に、タクシーに乗らずに、駅前のコンビニで傘を買うことである。これと同じことをさまざまな経済活動について行ない、産業構造を改革することである。

もう1つ重要なのは、テレビ、パソコンなどの価格を上げようとしても、方法がないことだ。なぜなら、これらの価格低下の原因は、韓国、台湾などのメーカーが発展し、しかも韓国ウォンや台湾ドルが円に対して減価し、輸入品価格が低下したことだからだ。さらにパソコンの場合には、クラウド・コンピューティングの進展によって、高機能のパソコンが必要なくなっているからだ。この現象に対処するには、収益率の高い事業に転換するか、工場を海外移転して安価な労働力を使うしかない。

流動性トラップでは金融政策は無効

「デフレ脱却」が必要という人は、金融緩和でそれを実現できると考えているようだ。実際、政府は、日本銀行に金融緩和を要請した。しかし、これは、ケインズが指摘する「流動性トラップ」を無視した考えである。

利子率が極端に低い水準に落ち込むと、人びとは貨幣(流動性)がいくら供給されても、それを保蔵してしまう(預金してしまう)。利子率が低いのは国債価格が高い状態であり、将来、国債価格が下落することはあっても上昇することはないと予測されるからだ。国債暴落は、現在の日本ですぐには生じないとしても、将来は十分起こりうると予想されている。つまり、日本は、典型的な流動性トラップに落ち込んでいる。

この状況下で、金融政策はマクロ政策として無効である。金融政策は、過熱経済を引き締めることはできても、停滞経済を押し上げる力は持たない。つまり、「糸」と同じであって、「引く」ことはできても、「押す」ことはできないのだ。「デフレ脱却論」は、経済現象の理解において誤っているだけでなく、政策論においても誤っている。

流動性トラップ下で有効なマクロ経済政策は、財政支出の増加である。なかんずく、公共事業の増加だ(ただし、失業を減らし、所得を増やす効果はあっても、物価を引上げる効果はない)。

そのための財源は、国債で賄えばよい。現在の日本では、国債を増発しても長期金利はただちには上昇せず、市中消化に支障は生じないだろう(ただし、後で述べるように、長期的な観点からすると、国債残高が野放図に増大することは大きな問題であり、財政再建が不可欠である)。

民主党は、「コンクリートから人へ」というスローガンの下、公共事業の拡大を封印した。そして、「事業仕分け」によって財政支出を削減しようとしている。しかし、仕分け現場公開などの劇場効果を求めるあまり、ケインズ経済学に背を向け、30年代のアメリカのフーバー政権と同じ過ちに陥っている。

説得性のある将来像に裏付けられた政策が必要

経済学は、「消費は所得の短期的な変動によって変動するのではなく、所得の長期的な見通しに依存する」とも指摘している(これを「恒常所得仮説」という)。したがって、一時的な減税や給付金によっては、消費は増えない。増加した所得は貯蓄に回るだけで、経済活動を拡大する効果は持たないのだ。

事実、定額給付金は、消費を増やすことはなかった。10年度予算に盛り込まれた子ども手当や農業者戸別所得保障も、貯蓄に回るだけで、消費を増やすことにはならないだろう。

恒常所得を増加させるには、次の2つがぜひとも必要だ。

第1は、財政再建だ。国債発行を増加させればよいと述べたが、それはここ数年という短期を考えた場合のことだ。10年程度の長期を見た場合、財政破綻の危険、あるいは国債を国内で消化できなくなる危険は、現実的なものである。これが将来に対する大きな不安となっている。これに対する効果的な対応策を示さなければ、どんなに意欲的なビジョンを描いても、ウソになってしまうだろう。

事業仕分けは、ポピュリズム的欲求を満たす効果はあったが、現実に歳出を削減できたわけではない(今回の仕分けによる削減額は、6770億円にしかならなかった)。歳出削減努力が必要であることは言うまでもないが、それと同時に、恒久的な財源を確保しなければならない。これについて、自民党内閣も民主党内閣も、政権としての義務を果たしていない(増税すれば可処分所得が減少するように思えるが、国債はいずれ償還するものなので、恒常的可処分所得に変化はない。将来の見通しが確実になることが重要だ)。

そして、日本経済の将来像を説得性のあるものとして提示する必要がある。特に重要なのは、将来のリーディングインダストリーの構想だ。内需主導型経済を目指すなら、円高に狼狽すべきではない。介護などのサービスを中心にするなら、積極的な制度改革が必要である。金融立国を目指すなら、人材の育成をすぐに始めるべきだ。そうしたビジョンと政策がない限り、将来所得の見通しは不確実なままに放置されることになる。鳩山由紀夫内閣の経済政策で最大の問題が、この点だ。

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