“円安”という補助で製造業は農業化する

日本の農業は、規制と補助漬けになって衰退した。今、日本の製造業が、同じ道をたどろうとしているように見える。

農業の場合、まず輸入規制によって国内生産(特に米作)が保護された。また、農地の売買規制や株式会社の参入規制によって、大規模・高生産性農業に転換する道が閉ざされた。さらに、食糧管理制度を通じて、生産者米価が財政資金で支持され、米作農家の所得が保障された。

これらによって、米作中心の「片手間・兼業・三ちゃん農協」が一般化した。

製造業の場合、これまで与えられてきた補助のなかでいちばん大きなものは、円安だ。仮に1990年代中頃のレートが継続したなら、日本の製造業の姿は大きく変わっただろう。また、国内物価水準の下落がそのまま為替レートに反映されていたら、円高がさらに進んだろう。

しかし、実際には超金融緩和を通じる円安政策が取られたことによって、輸出中心の重厚長大型製造業が温存された。円安政策は、製造業だけのために行なわれたものではないが、日本の輸出産業は圧倒的に製造業であるため、事実上、製造業への輸出補助金(及び輸入関税)と同じ結果をもたらした。

税制では、従来は、退職金引当金制度などの制度が、多数の従業員を擁する大量生産型の製造業に有利に機能してきた。最近では、法人税の減税要求が目立ってきている。

また、製造業の海外生産進展に伴い、FTAに対する要求が強くなった。これは、アジア諸国に組み立て工場を移転した製造業が、日本から部品を輸入する際の関税負担を軽減するためのものだ(相手国の関税収入を奪うことになるわけだから、対価なしに手に入ると考えるのは、あまりにナイーブだろう)。

製造業の場合、農業におけるような輸入規制は行なわれていない。ただし、資本輸入面では(形式的には自由化されているものの)、外貨の日本進出に対してさまざまな防衛策が講じられている(その最大のものは、株式の持ち合いである)。最近では、三角合併への拒絶反応が目立っている。

製造業の比率の高さで二極分化が進展する先進国

製造業が右で見たような保護への依存を強めれば、世界の変化に適応する必要がなくなるから、農業と同じような衰退の経路をたどるだろう。つまり、「製造業の農業化現象」だ。

今、世界の先進国において、「製造業の比率が高い国と低い国」という二極分化が進展しつつある。前者は、就業者比率で見て製造業が2割を超えている国であり、具体的には、日、独、伊だ(偶然だが、第二次世界大戦の枢軸国である)。後者は、英、米と北欧諸国やアイルランドなどヨーロッパの縁にある小国だ。

1人当たりGDPで豊かさを測ると、豊かな国は後者であり、前者が先進国のなかでは貧しい国になっている。これは、決して偶然ではない。中国が工業化する世界においては、必然の事態だ。

ついでに述べると、日本の国立大学では農学部と工学部の比重がきわめて高い。その半面で、本格的なビジネススクールは存在しない(専門職大学院が私学に誕生しつつあるだけだ)。工学部の学科は名称(だけ)を時代に即して変えているので、本当は何を専門としているところなのか、外部からはわかりにくい(造船、鉱山、冶金、土木などがその例である)。

さて、時代の変化がある分野に逆風と感じられ、その分野の衰退が予測され始めると、精神主義が叫ばれるようになる。農業については、「棚田の風景こそ日本人の心」「土になじむのが人間の本性」「自然を残すことが必要」といったスローガンである(農業は、本当は自然破壊なのだが)。

製造業について、「ものづくりこそ重要」という考えが、近頃特に強く聞かれるようになった。これは、高度成長時代、日本の製造業が前途洋々たる未来に向かって邁進していたときには聞かれなかったことだ。これを、農業の場合の「農本主義」になぞらえて、「工本主義」と呼ぶことができるだろう。

本来は、製品が市場で評価されることがすべてのはずである。だから、ことさら農本主義や工本主義を標榜する必要はないのである。それが謳われるのは、単なるノスタルジアや過去回帰願望ではない。公的な政策を引き出す必要があるからだ。それを正当化する必要があるので、国民を洗脳する教育が必要になるのである。

現在の製造業についていえば、金融緩和と円安の継続であり、法人税の減税であり、FTAの推進であり、外資の拒否だ。

誤解のないように、次の2点を述べておきたい。

第一に、私は、「土になじむ」のも「ものづくり」も大好きである(たぶん、普通の人よりはずっと好きだと思う)。ただし、趣味として好きなのであって、経済構造がそうなってほしいと願っているわけではない。産業が趣味・嗜好に支えられなければならないとすれば、困ったことだ。

第二に、本当に重要な区別は、「農業・製造業対サービス業」ではなく、「低収益産業か高収益産業か」である。日本の農業が低収益産業であるから「農業」と言っているだけだ。そして、現在の姿のままでは日本の製造業の低収益化が進むと危惧されるために、「製造業」と言っているだけだ(現在すでに、日本の製造業の収益は、世界的標準と比較すればかなり低い。最近のエレクトロニクス産業は、特に低収益化が顕著だ)。

問題は日本の製造業に創造的側面が消えたこと

農業が消え去ってしまえば、人間が生きてゆくことができなくなる。これは、当然のことだ。製造業が消滅してしまえば、われわれの文明的生活は成り立たなくなる。だから、農業や製造業が必要なのは、自明のことである。

求められるのは、「世界の分業体系のなかで、日本の位置がどこにあるか」についての冷静な判断なのである。「各国は、与えられた自然条件や生産要素の賦存状況を勘案した比較優位分野に特化するのがよい」とは、リカードが見出した経済学の最も重要な命題だが、比較優位は時代とともに変わるのである。

中国との経済関係が密接化し、通信技術が飛躍的に進歩した世界で、先進国における比較優位の条件は大きく変化した。問題はそれに対応することであって、精神主義を振りかざして保護政策を正当化することではない。それは、過去への執着と変化への抵抗以外の何物でもない。

農業の場合にも、本当に重要なのは、日本の国土条件や需要に見合った生産性の高い高収益の農業を建設することだ。保護と補助に依存して片手間兼業米作農業になったことが問題なのである。

製造業についても、まったく同じことが言える。問題は、日本の製造業に創造的な側面が失せて、誰にでも作れるコモディティしか作れなくなることである。

したがって、金融業が未来のリーディングインダストリーになりうると言っても、今の金融業が肥大することでそれが実現されるわけではない。ルーチンワーク的サービスだけを提供する金融業ではなく、専門的なサービスを提供できる金融業に成長することが本質的に重要なのだ。流通についても同じことが言える。それは、あらゆる産業について言えることである。

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“円安”という補助で製造業は農業化する” への1件のコメント

  1. >製造業についても、まったく同じことが言える。問題は、日本の製造業に創造的な側面が失せて、誰にでも作れるコモディティしか作れなくなることである。

    私も製造業に携わる人間でこちらの意見に強く同意をしています。

    今製造業はほとんど請負を含めた非正規の社員で運営されています。
    計画にあわせ人数を増減しノウハウをやっと得られたと思われた方が次々やめられていき新しいものを生み出す力が出てこない状況になっています。
    特に製造業でも重要な位置を占めてきているソフトウェアの分野ではノウハウは年月とともに積み重ねられ、ノウハウを持てば持つほど生産性が2倍、3倍と倍増していく性質をもっています。しかし実際の業務はほぼ非正規の社員が担っているのが現状です。

    非正規を中心とした製造を見直すことにより、日本の製造業が創造的な側面を取り戻すと私は考えています。

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