日本を世界に開いて経済を活性化しよう

イギリス、ロイヤル・バレエで今をときめくプリンシパルのアリーナ・コジョカルは、ルーマニア生まれだ。そのパートナーを務めるフェデリコ・ボネッリはイタリア人である。このバレエ団には、日本人も多い。かつては熊川徹弥、吉田都。今では佐々木陽平がいる。

ロイヤル・バレエは、昔から外国人を受け入れていた。1960~70年代にはソ連から亡命したルドルフ・ヌレエフとナタリア・マカロワを、80年代にはパリ・オペラ座バレエを飛び出したシルヴィ・ギエムを迎えた。

外国人に開放的な傾向は、80年代後半に加速した。外国人を「受け入れる」というよりは、むしろ「積極的に求めて、バレエ団の水準を高める」という考えのようだ。

金融腕「ウインブルドン現象」ということが言われる。ロンドン、シティの金融街で活躍する銀行・証券会社はアメリカやドイツの資本だし、そこで働くのもさまざまな国から来た人たちであることを指す。ウインブルドン現象は、その原義のテニスだけでなく、また金融産業に限ったものでもなく、バレエの世界でも進展しているわけだ。

イギリスは日本と同じように立憲君主国であり、大陸のそばにある島国である。しかし、国際感覚には大きな違いがある。島国根性で閉じこもるのではなく、海洋国家として世界に開いているのだ。よくよく考えてみれば、外国人を受け入れる姿勢は、今に始まったものではない。現在のウインザー王朝の始まりのジョージ1世はドイツ人で、英語を話せなかった。女王陛下の銀行、ベアリング・ブラザーズの創始者は、ドイツからの移民の子だ。これに限らず、イギリスの伝統的金融機関であるマーチャントバンクのほとんどは、大陸から来たユダヤ人によって始められた。

「世界に向けて開放的」という点では、アメリカも同じだ(もともと移民の国だから、当然である)。アメリカは、国家というよりは、世界から人が集まるところなのである。私は留学したとき、アメリカ到着の翌日に町で道を聞かれた。大都市でタクシーに乗れば、運転手の多くは外国生まれである。レストランに入ると、そこらじゅうから違う国の言葉が聞こえてくる。今アメリカの病院では、看護婦はもちろん、ドクターにもアメリカ生まれは少ない。

日本で進まない「人」のグローバリゼーション

日本では、モノのグローバリゼーションは進んでいるが、資本と人に関してはまったく進んでいない。

「日本経済が停滞する基本的な原因は、企業が閉鎖的であることだ。だから、日本経済を活性化するため、企業の閉鎖性を打破する必要がある。そのためには、外国の資本を受け入れることが重要だ」。2007年に三角合併が解禁され、外国企業の日本企業買収が容易になったとき、私はそう考えた。

しかし、結局のところ、大きな買収はほとんどなかった。1つの原因は、日本の産業界が「黒船襲来」と強い危機感をあらわにし、さまざまな制限策を取ろうとしたことだ。空港ビルや電力会社を買収しようとする外資に、日本政府が待ったをかける事件もあった。

ただし、基本的な原因は、外国企業が日本企業に魅力を感じなかったことだろう。この傾向は、経済危機後に日本企業の収益が激減したことで、決定的になってしまった。もはや日本企業の買収に意欲を燃やす外国企業など、探しても見つからない。日本企業の経営者や経済産業省にとっては安堵できる状況だが、日本経済活性化のルートが1つ閉ざされてしまったという意味では、残念なことだ。

人のグローバリゼーションに関してもう1つ憂慮される事態は、留学である。外国に留学して勉強したいという日本人が減っているし、外国から日本への留学生も増えない。どちらも大きな問題だ。中国や韓国ではアメリカに渡って勉強したい学生が増えていることに比べて、大きな差だ。アジアで日本の若者だけが自国内に閉じこもっている。これが将来に重大な問題をもたらすことは間違いない。

こうしたことの背景に、英語の問題があることは否定できない。もともと世界語であった英語の優越性は、インターネット時代になって決定的になった。高度サービス産業では、言葉はバイタルである。専門教育の最終段階まで英語以外の言語で教育を行なっている点で、日本は世界の例外だ。小学生に英語を教育することが議論されているが、本当に重要なのは専門教育である。日本に留学生が来ないのも、講義を英語で受けられないからだ。「日本語を勉強しないと日本で勉強できない」状況では、留学生が来ないのは当然である。

「場」を提供するという考え

外国企業が日本企業を買収してくれないのは残念なことだが、落胆する必要はない。資本が日本に来ないのなら、専門家だけでも招けばよい。イギリスのウインブルドン現象の場合も、評価されたのは、「シティ」という金融取引の場の魅力だ。つまり、ウインブルドン現象とは「場貸し」なのである。バレエの場合もまったく同じことだ。

「場」として考えると、日本は決して悪くない。夏が暑いことを除けば、気候は温暖だ。食べ物はうまいし、なにより生活環境が安全である。社会資本インフラも、完全とは言えないが経済活動に格別の障害になるほどでもない。仕事の場としての環境は、アジア諸国中で断然トップである。経済活動に対する規制等で問題があるが、これを変えることは不可能ではない。なにより重要なのは、賃金水準が高いことだ。だから、世界最先端の経済活動や文化活動を日本に呼び寄せることは、十分可能だ。

このために政府の多大の支援は必要ない。入国管理法を緩和し、ビザや就労制約などを緩和してくれればよい。専門家に限定すれば、労働全体の受給に影響することもないだろう。

このモデルは、すでに存在する。それは相撲である。相撲は、ウインブルドン化しなければ存続できなかったろう。「国技は日本人でなければダメ」などという意見が出なかったのが、幸いだった。そんなことを言っていられないほど、事態は深刻だったのだろう。じつは、いまや日本全体がその状態にあるのだ。

日本経済活性化の観点から最も重要なのは、先端金融の専門家である。日本を金融立国させようという提案があるが、最大のネックは人材だ。日本では、これまでこうした人材を育成してこなかったからである。実務者だけでなく、大学院レベルで教えられる人材も必要である。

もし政府が予算措置を講じて学生の授業料を補助すれば、効果は絶大だ。そのために必要な予算額は、子ども手当、農業戸別所得保障、高速道路無料化などに充てられる額の1万分の1で、十分過ぎるほどである。これだけで、この分野での日本の実力は大きく変わる。

相撲の場合に言葉は重要でなかったと思われるが、金融では重要である。ただし、言葉より重要なのは、われわれの心情だ。失業率が高まると、外国人排斥感情は、強くなる。この点では、『坂の上の雲』に描かれた明治時代の日本人のほうがはるかに柔軟だった。

日本人1人ひとりが、攘夷主義、クセノフォビア(外国人恐怖症)から脱却する必要がある。そして、世界に向かって日本の社会と組織を開こう。これこそが、日本を活性化する最も効果的な道である。

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