世界の変化を無視した「心地よい円安」

傘の値段が、数年前と比べてさえ、大幅に安くなった。デパートなどでは、タダで配っているところもあるようだ。他方で、タクシーの料金は変わっていない。

電車を降りて雨が降っているとき、数年前まではタクシーのほうが安かったので、タクシーに乗った。しかし、今は駅前のコンビニエンスストアまで走っていって、傘を買う。1回だけ使って捨ててしまっても、そのほうが安いからだ。

このように、物価動向の変化は、われわれの行動を変化させている。

経済学の教科書には、次のように書いてある。相対価格の変動を伴わない一般的な物価水準の下落は、経済行動に影響しない。つまり、傘もタクシーも共に半額になったのであれば、依然としてタクシーに乗る。しかし、相対価格の変化は、経済行動に影響を与える。

1990年代以降の日本で現実に起きていることは、一様な物価下落ではなく、相対価格の大きな変動を伴う変化なのだ。だから、電車の駅を出たときのわれわれの行動が変わったのである。経済学の教科書に書いてあることはまったく正しいと、実感する。

90年代以降の物価下落や上昇は金融政策と無関係

重要なのは、傘の値段とタクシー料金のように、物価動向には差があることだ。消費者物価の統計を見ても、それが裏付けられる。

「サービス」は2000年以降は上昇しているが、「財」は下落を続けている。「財」のなかでも、工業製品、特に石油製品などを除く「その他の工業製品」の下落が著しい(石油製品は上昇している)。それに対して、サービスのなかの「その他のサービス」(公共サービスや家賃・帰属家賃を除くサービス)は、90年以降、ほぼ傾向的に上昇している。企業物価統計を見ても、項目別の格差は顕著だ。

これは、物価下落が需要不足などの国内要因で生じたのではなく、製品輸入の増加で引き起こされたことを強く示唆している。

この見方が正しければ、金融政策では物価下落に対処できないことになる。実際、90年代初めからの低金利政策は、物価動向になんの影響も与えなかった。

そして、近年、基礎資材や資源価格が急騰し、それによって鉄鋼産業をはじめとする基礎資材産業の収益が増加した。景気回復は、これによって実現したものである。

言うまでもないことだが、このような価格上昇も、日本の金融政策によってもたらされたものではない。それは、中国の建設ブームなどの海外要因によって引き起こされた。

結局、金融政策とは無関係に90年代以降の物価下落が生じ、そして最近、金融政策とは無関係に特定財の物価が上昇し、それが景気を回復させたのである(他方で、全体的な物価水準は下落を続けている)。

つまり、日本国内の状況に関する限り、金融政策はなんの意味も持っていないことになる。

それにかかわらず、金融緩和は基本的には継続されている。なぜ意味のない政策をこうも長く続けなければならないのだろう。

こう思っていたところ、先般の利上げをめぐる世界の反応を見て、納得した。

つまり、日本は金利を上げようにも上げられない状況に追い込まれているのだ。これについては前回(3月10日号)書いたが、重要なことなので、もう一度この問題について考えよう。

これまでの世界では、日本の円安が続くと、他国から圧力がかかった。85年のプラザ合意前の状況はその典型であった。

しかし、前回述べたように、今はそうした圧力は海外から働かない。

そうなった基本的な理由は、先進国の産業構造が変わってしまったことである。製造業の比率が下がったので、先進国間での貿易戦争は、もう生じないのだ。

たとえば、イギリスの最近の就業構造を見ると、金融業の比重の急拡大に驚く。05年における就業者数は、OECDの統計によると製造業377万人に対して金融・不動産業が610万人。つまり、金融・不動産業が製造業の1.6倍にもなっている。それに対して、日本では1147万人対271万人(うち、金融・保険は157万人)である。

イギリスの場合も、90年代の末ごろまでは両産業の就業者数にさほど大きな差はなかった。だから、ここ数年のうちに、製造業から金融業への大規模なシフトが生じたことになる。アメリカでも、イギリスと同じような傾向が見られる(就業者は、1889万人対2457万人)。つまり、これらの国では製造業自体が、全体としてはもはや重要な産業ではなくなってしまっているのだ。

金融・不動産業が製造業の1.6倍もの就業者を抱える経済は、われわれがこれまで知っている経済と異質なものなので、そもそもこうした構造が維持可能だということを、私自身もいまだに完全には納得できない。

そのような国として、これまでもルクセンブルクのような例はあった。しかし、ルクセンブルクは人口が46万人しかいない小国である。日本のような人口大国とは異質だから、日本が参考にすることはできない。誰もがそう思っていたし、私もそう考えていた。しかし、いまやイギリスがそうした経済構造を実現したわけだ。

日本に期待されているのは資金供給

イギリスほどではないにしても、アメリカも製造業より金融・不動産のほうが就業者が多い構造になっている。今思い出してみると、「なるほど」と思い当たることがある。カリフォルニアに滞在した1年間に、「工場」見たのはわずか1回だけだったのである。それも、人里離れた場所に、見捨てられたようにポツンとあっただけだ。

日本では、少し動き回っただけで「工場」の姿が見える。それとはまったく異質の風景が、先進国には広がりつつあるわけだ。

このような世界で日本に期待されている役割は、資金供給国としての役割だ。日本から資金調達して運用している投資家の立場から言えば、日本の金利は低いほうが望ましい。また、円高方向への変化は望ましくない。だから、20年前とは逆に、いまや円高に動くことに対して、海外から強い抵抗が働くのである。

円安政策は、もともとは日本国内の輸出業者の要請で行なわれているものだ。しかし、いまや海外もその政策の継続を望んでいる。つまり、現状はある種の均衡であると見なすことができるわけだ。

問題は、その均衡をどう評価すべきかである。

日本の国内では、「心地よい円安」と言われる。確かに、輸出産業の観点からすれば、そうだ。

しかし、日本人全体の立場から言えば、そうではない。なぜなら、円安とは、海外から供給されるものを高く買わねばならないことを意味し、日本で生産したものを安く売らなければならないことを意味することがある。だから、本来は円高が望ましいのである。

もし、円高に動けば、日本の貿易黒字が縮小し、日本からの資金供給も減少するだろう。しかし、世界はそうは望んでいないわけだ。だから、量的な意味でも、現在は均衡している。

20年前とは違って、日本と外国の企業の立場は一致してしまった。疎外されているのは、日本の消費者だけである。われわれは損な役回りを押し付けられている。日本の消費者は、いい加減にそのことに気づくべきだろう。

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