日本にはなぜガリレオが出なかったのか?

2009年は、ガリレオ・ガリレイの天体観測から400年目の「世界天文年」とされており、世界各地でガリレオにちなんだ行事が行なわれている。私は、この機会に日本人がぜひとも考えるべき問題があると思う。それは、「なぜ日本にガリレオが生まれなかったのか?」ということだ。

ガリレオが天体望遠鏡を作った1609年は、徳川家康の江戸城が完成し、秀忠が2代目将軍であった時代である。長い戦乱の時代が終わって平和が確実になったのだから、この頃の日本にガリレオのような人が現れても、少しも不思議はない。しかし、そうした人物は現れなかった。

18世紀には、杉田玄白などの蘭学者が現れた。しかし、医学が中心であり、自然科学、特に物理学には向かわなかった。実用性は重視するが、自然の解明という純粋に科学的な研究活動は行なわれなかったのだ(平賀源内のような人はいたが、ごく例外的で、孤立的だ)。

こうなった理由として、「日本人は実用的な学問は重視するが、知的好奇心は薄いのだ」と言う人がいるかもしれない。しかし、私は、国民性の違いという説明には依存したくない。個人を見る限り、世界のどこでも大きな違いはないからだ。大きく違うのは、社会的環境である。だから、日本にガリレオが生まれなかった理由は、社会環境の違いに求めるべきだ。

ところで、社会環境から言えば、カトリック教会の精神的支配下にあった当時のヨーロッパ社会のほうが、自然科学の発達には不向きだった、と一般には信じられている。これは、「教会が弾圧したにもかかわらず、地動説が生き延びた」という考えだ。コペルニクスやガリレオがいかに激しい弾圧にさらされたかは、いまさら言うまでもない。

この考えによれば、宗教的制約のない日本のほうが、自然科学の発展には向いていたはずだということになる。

しかし、じつは、「教会があったからこそ理論が生まれた」と言えるのではあるまいか? 教会の持っていた純粋な知的環境こそが、ガリレオのような人物を生んだのではないだろうか? つまり、キリスト教会があったからこそ、地動説が生まれたのではないか?

これは、普通の考えとは正反対のものだが、よく考えてみると、それほどおかしくはない。第1に、教会の弾圧というが、これは、宗派間の争いのようなものだ。実際、ガリレオを断罪したヴァチカンのウルバヌス8世は、ピサ大学でのガリレオの学友であり、最初2人は親しかった。つまり、弾圧する側とされる側は、そもそも同じ社会的階層の中にいたのだ。

第2に、教会が弾圧したのは、知の全般ではなく、特定の考えだ。具体的にいえば、17世紀における地動説と、19世紀における進化論である。争いは、真理が聖書の中にあるのか、それとも観測の中にあるのかを巡ってである。真実を把握しているという強烈な自負は、どちらの側にも強かった。だから、どちらも自分の立場に固執したのだ。

日本の大学は実用を志向し、国家を支えた

「ガリレオはパドヴァ大学の教授だ。だから、違いは、ヨーロッパには大学があったことだ」と言う人がいるかもしれない。確かに、その当時、日本には大学はなかった。蘭学を教える組織は、個人の塾的な色彩が強く、社会的な組織としての大学にはならなかったのである。「組織としての大学が日本に存在しなかったから、日本にガリレオが生まれなかった」というのは正しい。

しかし、大学は教会の僧院から発生したのである。ガリレオの時代には、大学と教会の分化は完全ではなかった。大ざっぱに言えば、大学も教会も、同じような社会組織だったのである。

それらに共通する最も重要な特性は、世俗的権力に対立する巨大な社会組織ということだ。カトリック教会は、もともとそのような歴史を持っている。そして、大学もその伝統を継いだ。ヨーロッパにおける大学は、その成立過程からして国に依存せず、むしろ国家に対立する存在だったのである(ナポレオンが作ったグランゼコールだけは、この例外である)。

日本にも、巨大宗教組織として仏教があった。しかし、日本の仏教は、ヨーロッパの大学に相当するような大学を作らなかったのだ(なぜ作らなかったのかという理由を、私は説明できない。しかし、事実としては間違いない)。

明治以降の近代化の過程で、日本にも大学が設立された。しかし、それは国家がイニシアティブを取って作ったものだった。つまり、発足当初から、日本の大学は国家権力に対立するものではなく、国家によって支えられ、また国家を支えるものであった。そして、法、医、工が中心となった。

これらは、ヨーロッパやアメリカの伝統的な大学では、プロフェッショナル・スクールが担当する分野と見なされてきたものである。特に、「工」は、大学(Universitaet)の枠内には取り入れられておらず、技術高等学校(Technische Hochshule)とされていた。アインシュタインやフォン・ノイマンの卒業校は、日本ではチューリッヒ「工科大学」と呼ばれるが、じつは技術高等学校である。

日本では富国強兵のために大学を作ったのだから、こうした実用的分野が中心になるのは、当然のことだ。国立大学には理学部があるが、私学では、独立した理学部ではなく理工学部である場合が多い。

日本では、よく「理工系」という。つまり、理と工を区別せず、その代わりに文と理工の区別が重要視される。しかし、理と工はまったく違う。それは、理論対実用の違いだ。理は、哲学学部の系統である。日本では工は強かったが、理はそうでもなかった。

富国強兵のモデルはそろそろ捨てたらどうだろう

イギリス、アメリカでは経済が不調だった時代にも大学は強かった。強かったのは、実用的な学問というよりは、理論の分野だ。

目的がはっきりした高等教育機関のほうが、国の発展には役立つように思われる。確かに、富国強兵や高度成長には役立った。

しかし、きわめて長期の発展を考えたときには、それでは不十分なのだ。無目的で純粋な知的探求が重要な意味を持つ。

地動説がその後の社会をどう変えたかを考えてみよう。それは、経済を豊かにするうえで、直接の寄与をしたわけではない。実際、地球が宇宙の中心にあろうが、太陽の周りを回っていようが、経済活動には関係ない。これらの関係は、あまりに間接的だ。

だが、ひじょうに長いレンジで考えれば、ガリレオのような人がいる社会は進歩し、いない社会は進歩しないのである。なぜそうなるのかの理由は説明できないが、直接実用にはならない理論研究の分野で強い国が、長期的に見れば強さを維持できるのである。

日本は遅れて近代化し、法、医、工の大学モデルでキャッチアップを図った。このモデルが機能したのは、遅れていたからである。そして、日本はいまだに富国強兵のモデルから脱却できない。それを示したのが、「経済成長のためにイノベーションが必要」とした安倍政権だ。

しかし、日本はこのモデルをもうそろそろ捨てたらどうだろう。「科学技術少年少女を育てて、日本の発展を図ろう」などとは考えないことだ。ガリレオ400年に当たって認識すべきは、それである。

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