家計所得が伸びないのは産業構造が変わらないから

企業業績が改善する半面で、家計の所得が伸びない。そのため、消費も伸びない。「家計を犠牲にして企業が復活した」と、この連載で何度か指摘してきたが、これが日本経済の大きな問題であるとの認識が一般化している。

なぜこのような現象が発生するのだろうか? これは小泉純一郎前内閣の構造改革の結果だと言われることがある。しかし、そうとは考えられない。少なくとも、直接の結果ではない(ただし、間接的な意味では重要なかかわりがあることをあとで述べる)。

これは、グローバリゼーションによって賃金が世界的に平準化してゆく過程ととらえるべきものだ。

「貿易が行なわれれば、貿易財の価格だけでなく、賃金などの要素価格が均等化する」という「要素価格均等化低利」は、経済学の基本命題の一つだ。しかし、この命題は、これまでは非現実的なものと思われていた。この連載で数年前に書いたときも、一般にはそう思われていた。

しかし、定理の予測する結果が、いまや現実の世界で実現しつつあるわけだ。社会主義経済圏に閉じ込められていた膨大な労働力が市場経済圏に取り込まれたことによって、それらの国の賃金が上昇し、従来市場経済にあった先進工業国の賃金が下落する。

日本におけるグローバリゼーションは、アメリカやヨーロッパ所得に比べるとそうとう遅れているが、それにもかかわらず、賃金下落圧力が働くわけだ。「労働供給量が増加すれば、賃金が下落し、資本の収益性が高まる」というのも、経済学の基本的な命題である。

「上げ潮政策」では期待できない家計所得の増加

では、この事態に対して、どのように対処すればよいのだろうか?

第一に考えられるのは、所得政策に依存することだ。つまり、企業に賃上げを要請するわけである。石油ショックのときに必要とされた所得政策は賃上げの抑制だったが、今は逆方向の政策が要請されている。実際、安倍晋三首相は新年の所感で、企業に賃上げを期待したいと述べた。

これに対しては、経済界からただちに反対意見が表明された。「生産性を上回る賃上げを行なえば、企業業績が悪化する」というものだ(すでに昨年12月に、日本経済団体連合会は経営労働政策委員会報告を発表し、生産性の裏づけのない一律的なベースアップを否定する考えを強調している)。

確かにそのとおりだ。先に述べた条件下で賃上げを行なえば、グローバリゼーションにさらに後れを取ることになるだろう。

それに、日本は自由主義経済国なのだから、所得政策を簡単に実行できないのは当然のことだ。経済界の反応はごく自然なものといえる(ただし、石油ショック時には、日本では労働組合が過度な賃上げ要求を自制して、自動的に所得政策の目標が実現した。そのために、石油ショックへの対応で日本が優等生になった。このことを顧みれば、今回の経済界の反応は当然なものとはいえ、皮肉なものである)。

ここで、注目に値することが二つある。第一に、経営者は、最近の業績回復を労働生産性の上昇によるとは見ていないことが明らかになった。これまでしばしば、「企業業績の回復はリストラによる」と言われてきたのだが、そうではなく、外部的な価格要因によるものであることを認めたことになる。

第二に、現内閣の看板である「上げ潮政策」が、家計所得増加の点では期待できぬことが明らかになった。

この政策が行なおうとしていることは、法人の税負担軽減を通じて経済成長を促進しようというものだ(その一部はすでに減価償却の拡大措置として実現されている)。それが期待しているのは、「法人税負担の軽減はやがて家計所得を増加させる」ということだろう。しかし、税負担軽減による税引き後法人所得の増加は生産性上昇によるものではないから、今回明らかにされた経営者の論理に従えば、それが家計に還元されることはない。

もちろん、法人の投資が増加して経済活動が活性化し、全体のパイが拡大すれば、果実の一部は家計にもたらされるだろう。しかし、この連載でもすでに説明したように、法人税負担を軽減しても、投資が促進されることはない。

したがって、仮に税制策によるなら、企業の税負担を増加して、家計の税負担を軽減するしかない。つまり、先頃、政府税制調査会が提唱したものとは正反対の税制改革が必要となる。もっとも、本来であれば労働者サイドに立つ政策を要求すべき民主党がそうした問題意識を持っていないため、これを実際に期待することは難しいだろう。

では、家計所得の伸び悩みから逃れる術は皆無なのだろうか?

そうではない。それは、原理的には可能である。なぜなら、「要素価格均等化低利」が働くのは、同じ生産活動を行なっている場合のことだからだ。

したがって、従来タイプの製造業中心の経済構造を維持する限り賃金圧力低下から逃れることはできないが、仮に、低賃金国ではできない生産活動を行なえるように産業構造を改革すれば、「要素価格均等化低利」から逃れることができる。これこそが、家計の所得を増加させる最も基本的な政策だ。

最大かつ最強の抵抗勢力となりつつある日本経団連

実際、1990年代以降の欧米諸国は、産業構造を製造業からシフトさせることによって目覚ましい成長を実現している。

特に注目されるのは、金融業を軸として成長したイギリスだ。そして、それは開放化、自由化を促進し、資本や労働を海外から積極的に取り入れることによって実現した。

しかし、日本では、経済開放を進めることに強い反対がある。とりわけ資本輸入に対する警戒心が強い。実際、外国企業による三角合併が日本で解禁されれば、日本企業は外国企業に次々に買い占められてしまうといわれる。三角合併の解禁が新会社法の施行後1年遅らされたのも、こうした懸念が経済界で強いからだ。

日本経団連は、株主保護の必要性や、日本企業の子会社化によって技術が外国へ流出する恐れなどを理由に、日本で非上場の外国企業との三角合併を、株主総会で通常の合併より厳しい特殊決議の対象とするよう求めている。この点からすれば、日本経団連はいまや現代の日本における最大かつ最強の抵抗勢力になりつつある。

じつは、ここ10年程度の日本にとって最重要の課題は、産業構造を従来の「モノづくり中心」の構造からシフトさせ、「中国ではできない高度な経済活動を行なえるような構造にする」ことだった。これこそが、最も必要とされる「構造改革」だったのである。

しかし、そのような構造改革は行なわれず、低金利政策によって過大な債務を抱える重厚長大産業の延命が実現した。これが、小泉前内閣の経済政策の本質だ。「構造改革」というスローガンとは裏腹に、高度成長期型産業が淘汰されずに生き残ることになってしまったわけだ。「要素価格均等化低利」のワナから逃れられない基本的な原因は、ここにある。

小泉前内閣の経済政策は、現在の消費不況の直接の原因になっているわけではない。しかし、「本来必要な構造改革を行なわなかった」という意味では、最も基本的な原因になっている。

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