20年遅れのGM破綻 日本にも多くの教訓

アメリカでトップの自動車メーカーGMが、クライスラーに続いて破産申請を行なった。

アメリカ自動車企業の破綻は、数年前から不可避と考えられていた。債権者との利害調整や労働組合の既得権の扱いなど、破綻に伴う摩擦をいかに最小化できるかだけが問題だった。今まで続いたことのほうが不思議なくらいである。

したがって、GM破綻自体は格別重要なニュースではない。しかし、これは日本の自動車産業にも多くの教訓を与える。したがって、破綻の原因を考えることが必要である。

破綻した理由はいくつもある。第一は、企業一家的な雇用形態だ。しばしばこうした温情的雇用は日本企業の特徴であり、アメリカ企業はドライに従業員を解雇するといわれる。しかし、20世紀のアメリカの巨大企業は、企業一家的な雇用形態を取り、企業が家父長的になる場合が多かった。電話会社のAT&Tは、その典型である。GMの場合には、祖父から3代続いてGMの従業員であったというような例が珍しくない。

それに加えて全米自動車労組の力が強かったので、退職者の健康保険まで会社が面倒を見るような事態になっていた。これでは生産コストが高くなってしまうのは当然である(アメリカの企業はレイオフで簡単に労働者を解雇するというが、レイオフは勤続年数の短い労働者から行なわれるため、労働組合に守られる長期の雇用者は安泰である。臨時工を切っているのは、日本でも同じだ)。

第二は、新製品の開発を怠ったことだ。特に、燃費のよい小型車やハイブリッド車への移行を怠った。これは、1990年代に原油価格がきわめて安定的に推移したためでもある。特にGMは、利幅の大きい大型車から脱却できなかった。アメリカのガソリン税率は著しく低いので、燃費が気にならない。石油ショック後の小型車志向は、90年代には吹き飛んでしまったのである。

第三に、2002年頃からは円安の影響も加わった。実質円レートが著しい円安になり、日本車の価格競争力が増した。このため、アメリカ国内での自動車販売台数は増えた者の、日本車に圧倒されてしまった。トヨタがGMを抜いた基本的な理由は、円安である。

政治に頼れば問題が隠蔽されるだけ

アメリカ自動車産業の問題が初めて顕在化したのは、石油ショックで原油価格が急騰した70年代であった。そのときに始まった日本車のアメリカ進出が、80年代にはさらに拡大した。

この事態に対して、アメリカ自動車産業は、政治力で対応した。まず、日本車の輸出自主規制が行なわれた(ただし、それは日本車の希少価値を高めるだけの結果になり、逆効果になった)。また、クライスラーに対しては、直接的な政府支援も行なわれた。さらに、85年にはプラザ合意によって国際的な為替介入が行なわれた。これは、大きな効果を発揮した。事実、アメリカの経常収支赤字は80年代前半に拡大したが、85年以降顕著に縮小し、91年には若干の黒字を記録するまでになった。

このようにして、本来なら80年代に大改革がなされるべきだったのにもかかわらず、それが政治の介入でうやむやになってしまったのである。

私は90年代の初めにデトロイトを訪れたことがある。GMの本社は古色蒼然たる高層ビルで、町並みは、文字どおり廃墟のようだった。これは、アメリカ自動車産業の状況を明白に示す風景であるように思われた。ところが、90年代には前述のように原油価格が低位に推移したので、問題が隠蔽されてしまったのである。GMは96年に本社ビルを超現代的なルネッサンス・センターに移した(もともとフォードが建築したビルをGMが購入したもの)。ビッグスリーは、改革を怠って惰眠を続けたのだ。

ところが、80年代に政治で解決できた問題が、21世紀にはできなかった。「自動車産業はアメリカ経済の基本」という主張が説得力を持たなくなったためだ。もはや自動車産業は、アメリカにとって必要不可欠というわけではなくなっていたのである。

それを明白に示すのが、アメリカ政府の為替レートに対する姿勢だ。実質為替レートがプラザ合意直前と同じ歴史的な円安になっていたにもかかわらず、介入しようとはしなかった。それは、アメリカ経済の重点がすでにITや金融にシフトしてしまっていたため、自動車産業に依存する必要がなくなってしまっていたからである。

以上の意味で、今回のクライスラーやGMの破綻は、「20年遅れた破綻」だったということができる。

政治依存に踏み込む日本のメーカー

アメリカでの自動車メーカーの破綻は、日本にいくつもの教訓を与える。

第一は、政治力に頼って生き延びても、根本的な解決にはならないということだ。一時的には問題が回避されたように見えるが、改革の努力を弱め、問題の本質が隠蔽されてしまう。だから、長期的に見ればむしろ逆効果だ。

第二は、時代の変化に応じたビジネスモデルの変更が必要ということだ。70年代までのアメリカ経済は、大企業に支配されていた。特に、電話におけるAT&T、コンピュータにおけるIBMがある。これらの企業はいずれも、経済条件の大きな変化に直面した。そうした変化に対応できたか否かが、企業のその後を決めたのである。IBMは、コンピュータ製造企業からソフトウエア提供企業へとビジネスモデルを大きく変化させることで、21世紀に生き延びた。それに対して、AT&Tは適切に対応することができず、消滅した(AT&Tという名の企業は現在でも存在するが、かつてのAT&Tとは別の企業である)。

このいずれも、日本の自動車産業にとって重要な教訓だ。GMやクライスラーの破綻は、日本企業にとって決して他人事ではない。

今日本の自動車産業は、需要の急激な落ち込みに対して、政治力に頼って生き延びようとしている。エコカー補助や買い替え補助などが国民の負担で行なわれている。これで少しは息がつける可能性もある。しかし、それは日本の自動車産業が直面する問題への本当の解にはならない。むしろ、企業が政府に依存する姿勢が強まり、モラルハザードがもたらされるだろう。ビジネス環境がいかに厳しくとも決して陥ってはならないのは、政府の補助に頼って生き残りを図ることだが、日本の自動車産業はそこに踏み込もうとしている。

また、現在の企業形態やビジネスモデルは不変なままで、需要を開拓しようとしている。新興国需要とハイブリッド車がそれだ。しかし、この連載で指摘してきたように、前者は解にはならない。技術面で現在の優位性を今後も維持できるかどうかは、確かではない。

目指すべきは、自動車産業が水辺分業型に展開したときに、そのなかで確固たる位置を確保することである。しかし、これを実現するには、企業形態の大きな変革が必要だ。それは、垂直統合から水平分業への移行である。アメリカの自動車メーカーと同じく、日本の自動車産業も垂直統合になっている。このような企業構造を大きく変え、系列企業との強固な関係を市場を通じる仕組みに変換してゆく必要がある。組織を時代の変化に合わせて変化させてゆくことこそ重要な課題である。

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20年遅れのGM破綻 日本にも多くの教訓” への1件のコメント

  1. お邪魔します。
     個人が生きていくのに他者の助けを必要とするのは「幼少期」と「老齢
    期」であるように、産業が政府等の支援を必要とするのは「黎明期」と「衰
    退期」ではないでしょうか。つまり「政府等の支援」は産業を衰退させる
    「原因」ではなく、産業自体の活力と言うか生命力が失われた「結果」だと
    思うわけです。

     GM等は20年かけて「臨終」を迎えたわけですが、日本の自動車産業は
    何年ぐらいかかるのでしょう。個人と違って産業には「生命の尊厳」と
    いったものはありませんから、「尊厳死」もありだと思っています。

    例:トヨタとかは他業種に転換(元は自動織機だったし)、自動車関連技術
    は無形文化財(?)か他国に譲渡

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