追加経済対策で問題にすべきは支出の中身

2009年度補正予算と追加経済対策に関する新聞等の論評で、国債の大量発行を問題視する指摘はあったが、施策の内容に関する批判はほとんどなかった。

確かに、国債発行額は増えた。補正予算において、公債金収入は10兆8190億円増額された。今後税収がさらに落ち込む可能性が強いので、国債発行額はさらに増え、税収を上回る可能性が強い。これが前代未聞の異常な事態であることは間違いない。

しかし、じつは、「国債か税か」という財源の差そのものは、重要でない。したがって、国債発行額だけを問題視する新聞等の論評は、ほとんどナンセンスなのである。ところが、このことはなかなか理解されていない。そこで以下に、なぜそうなのかを説明しよう。

しばしば、国債発行は家計の借金にたとえられる。しかし、このたとえは、経済理論以前の論理の面で誤りである。

まず、家計が借金をした場合には、その時点で月収を超える支出が行なえる。そして、返済時には月収のすべてを使うことはできなくなる。もし借金が子どもの代まで残れば、子どもは収入のすべてを支出できなくなる。その意味で負担が将来世代に転嫁される。

国債もそれと同じ意味で負担を将来に転嫁すると、多くの人は考えている。しかし、内国債の場合には、国の外から借り入れるのではなく、国の中での借り入れだ。したがって、国全体で見れば、債務と債権が相殺し合って、帳消しになる。つまり、日本全体として借金を負っているわけではない。また、国債償還時には国債所有者が償還金を得るし、利払いも国債所有者の所得になっている。だから、償還や利払い時に資源が日本から国外に流出するわけではなく、国全体として使える資源量が減ることにはならない。つまり、国債の負担は、将来に転嫁されない。

内国債は、家計にたとえるなら、銀行や高利貸しから借りるのではなく、家計内部の貸し借り、たとえば、夫が妻から借りるようなものである。この場合には、家計として使える資源総量に変化は生じない。また、このような借金がいくら増えたところで、子が利払いや返済に苦労することにはならない。

その発行や償還、あるいは利払いが国全体として使える資源に影響を与えないという意味において、内国債は家計が外部から借金することとは本質的に異なる。したがって、国の借金を家計の借金にたとえて、「だから大変だ」というのは、、間違いである。

以上で述べたことは、すでに1950年代に、経済学者の共通認識となっていた。経済学者のラーナーは、「国債は、われわれ自身に対する負債である」と表現したが、これが問題の本質を表している。

「国債の負担」は、資本蓄積を通じて生じる

ところで、以上で述べたことは、国債を発行しても問題が発生しない、ということではない。じつは大きな問題があるのだ。「国債の負担」は、資本蓄積に与える影響を通じて将来世代に影響しうるのである。

まず、国債が発行される時点の経済状況として、次の2つを区別しよう。

A:経済が完全雇用状態にある。

B:失業や遊休資本設備が存在する。

次に、国債によって賄われる支出として次の2つを区別しよう。

a:将来における経済全体の生産性を高めるような支出に用いられる(たとえば、都市のインフラストラクチャーの整備や、将来の人的能力を高める教育投資など)。

b:消費的な支出に用いられる。この場合には、将来の生産性を高めることにはならない。

ケインズが想定したのは、Bの状態であった。このときには、仮に支出がbのようなものであっても、経済全体として損失が発生するわけではない。国債発行で賄われる財政支出によってその時点での雇用は増大するので、その点だけを取り出しても、国債発行による財政支出拡大は正当化されるだろう。

支出をaのようなものにすることができれば、より望ましい。これは、ケインズ自身が述べていることである。彼は、無駄な財政支出を最善のものとは考えていないのだ。

『雇用・利子および貨幣の一般理論』(第10章の6)で、ケインズは次のように述べている。「もちろん、住宅やそれに類するものを建てるほうがいっそう賢明であろう。しかし、もしそうすることに政治的、実際的困難があるのなら、上述のこと(銀行券を詰めた壷をいったん地下に埋め、再び掘り出すこと)は、なにもしないよりは勝っているだろう」。

国債発行による財政支出拡大が否定的に評価されるのは、発行時点の経済がAの条件を満たしている場合だ。この場合には、国債発行によって利子率が上昇し、民間設備投資が減少する(このことを「クラウディング・アウト」という)。

財政支出がbのようなものなら、将来の生産性を高める生産設備に投資するはずだった資金が政府によってムダな支出に使われてしまうために、国全体の将来の生産力が落ちてしまうのである。「将来への負担」は、この意味において発生する。

企業の政府依存体質を強める危険

ただし、この場合においても、国債によって賄われる支出がaの条件を満たすなら、民間投資の減少による生産性低下は相殺され、経済全体の生産性が低下することにはならない。国債の利払いと償還はそれによって賄われる。だから、国債発行額が増えても、それによって将来世代の負担が増えることにはならない。

家計のたとえで言えば、Aに相当するのは、妻が店を経営していて、本来なら店舗を改築するはずだった場合だ。bに相当するのは、怠け者の夫が妻から借りて、そのカネを飲み代に使ってしまうような場合だ。この場合には、店の改築ができないので、将来の売り上げは落ち、家族の所得は減ってしまう。

以上からわかるように、重要なのは、国債によって賄われる支出の内容である。追加経済対策についても、問題とすべきは、国債発行が増えたことではなく、支出の内容である。国債で調達された資金が、将来の日本人の所得を増やすような目的に使われているかどうかを監視することこそ重要なのだ。

これについては、この連載で述べてきた。追加経済対策で取られた政策のほとんどは、経済活動を活性化するものではなく、一時しのぎの緊急避難であり、露骨な企業救済策でしかない。右に述べた怠け者の夫が飲み代に使ってしまう例そのものだ。その半面で、将来の生産性を上げるための最も重要な手段である教育については、なにもなされていない。

じつは、右で述べたbの場合より悪い事態が招来される危険もある。それは、企業の政府依存体質を強めてしまうことだ。家計の例で言えば、怠け者の夫が働き者の妻に対する依存を強め、ますます浪費家になってしまうことである。

追加対策で取られたエコカーへの買い替え補助や家電のエコポイントは、まさにそれに該当する。将来の生産性を高めないだけでなく、低めてしまうのである。それによって、日本経済はますます衰退するだろう。経済が未曾有の危機にあるにもかかわらずこうした政策しか取れない日本の現状は、悲劇としか言いようがない。

[ad]

Comments

comments

Powered by Facebook Comments

追加経済対策で問題にすべきは支出の中身” への2件のコメント

  1. 拝啓
    ご無沙汰して居ります。野口ゼミでお世話になった80年卆の熊本です。
    先日10月4日に先生の御講演を拝聴させて頂きました。素人に解り易く
    説明しようとする先生の熱意が伝わって大変有意義な講演でした。
    国債が増発され続けて一体全体将来は如何なって仕舞うのだろうと危ぶん
    で居りました処、学問的には1950年代に決着がついているとのこと。
    では何故旧大蔵省の方々は借金を減らすために増税を言いつのるのか?
    全く理解できません。省益あって国益無しなのでしょうか?今後益々ご活
    躍されることを念じて已みません。敬具

  2. 野口先生

    内国債の場合には、国の外から借り入れるのではなく、国の中での借り入れだ。したがって、国全体で見れば、債務と債権が相殺し合って、帳消しになる。つまり、日本全体として借金を負っているわけではない。

    これは、毎年政府が期待する額の国債が国内で(国民の金融資産で)売り切れるという前提によるものでしょうか。

    たとえば、

    国民がファイナンスに目覚めて、無金利の銀行預金を見限って、海外で運用するようになる。

    郵貯の投資先を多様化し、利回りのいい投資先を積極的に開拓する。つまり、単純に国債を買わなくなる。

    このようなことが発生して、国内(家庭内)で借金を借り替える余裕が無くなったらdefaultに陥ってしまうでしょうか。

    つまり、夫婦仲が安定しており、国債がいきなり売り出される、または買い手が居なくなるという事態は発生しないであろうという前提において成り立つ政策だと理解してよろしいでしょうか。

    もし、日本国民が欧米先進国の国民並にファイナンスを勉強して、国境を越えて運用するようになったら、運用益が拡大して可処分所得が増えても、国の財政は債務不履行に陥って破綻する可能性があるでしょうか。

    敬具

コメントは受け付けていません。