経済対策に納税者の反対が生じない理由

日本の雇用状況は、急速に悪化している。3月の完全失業率は、前月比0.4ポイント上昇して4.8%となった。過去最高値を超えるのは、時間の問題だ。

こうした状況下で経済対策に求められるのは、新たな雇用の創出だ。「財政支出増加を通じて有効需要を創出し、失業労働力や遊休生産設備を活用することができれば、経済全体では差し引きプラスになる」というのが、ケインズ的政策を正当化する論拠である。

政府は、事業規模56.8兆円、財政規模15.4兆円(一般会計約14兆円)の追加経済対策を策定した。これが2009年度の実質GDP(国内総生産)を約2%押し上げ、40万~50万人の雇用を創出するという。しかし、そうした効果があるとは、とうてい思えない。その理由は次のとおりだ(計数は、財務省「経済危機対策関係経費の概要」による)。

全体の半分近くは、「健康長寿・子育て」(約2兆円:子育て支援、医師不足の解消、ガン検診の無料クーポン券など)、「安全・安心確保等」(約1.7兆円:年金記録問題対処費、交通安全対策費など)、地方公共団体への臨時交付金(約2.4兆円)などだ。こうした施策の必要性について疑問を挟むわけではない。しかし、これらは、好況であっても必要とされるものだ。これらを「経済対策費」とするのは、見かけ上の規模を大きくするための「粉飾」以外の何物でもない。

経済対策費と見なせるものは、①雇用対策費(約1.3兆円)、②金融対策費(約3兆円)、③低炭素革命(約1.6兆円)などである。しかし、①は、職業訓練期間中の生活支援などであり、求職者の生活支援にはなるが、雇用を積極的に増やす効果はない。②は、企業の資金繰り倒産を防止する効果はあるが、有効需要を積極的に拡大する効果はない。

③は環境対応車の買い替え促進や太陽光発電導入などであるが、本連載の第460回で述べたように、あからさまな企業救済である。しかも、需要の入れ替えをもたらすだけで、需要全体を増やす効果はない。事実、4月の国内新車販売台数は前年同月比23%減となっており、効果は見られない。だから、以上のものは、ケインズ的な意味における「需要拡大策」とは見なせない。

有効需要拡大のための財政支出とかろうじて見なせるのは、「地域連携と競争力強化の基盤整備」とされている公共事業である。しかし、その額は約4200億円であり、対GDP比は0.1%にもならない。だから、「GDPを2%引き上げる」という政府の計算は、とても信用できない。

「台湾沖航空戦大戦果」の繰り返し

このように、追加対策の大部分は、国際協調のポーズを示すための数字合わせと、特定産業の企業救済策である。

高速道路の休日1000円乗り放題制が話題を呼んだが、これがもたらすのは、主として交通手段の入れ替え効果だ。全体としての旅行支出を増やすかどうかは、疑問である(たとえば、フェリー利用は激減している)。それに、高速道路とは、本来は移動時間を短縮したい利用者のためのものだ。料金値下げで国民に得をしたと思わせたいのであれば、救いがたい愚民政策と言わざるをえない。それに、他のところでうたっている「低炭素革命」には逆行する措置である。

また、一般企業に公的資金を投入する措置も導入された。こうした救済が普通に行なわれるようになれば、起業は政府に依存して延命を図る体質になる。それは、「日本産業全体の農業か」と言うべき現象だ。これは、日本の悲劇として嘆くべきことである。

数字合わせは、経済見通しについても行なわれている。09年度の経済成長率を政府は-3.3%に下方修正したが、根拠薄弱だ(詳しい議論は、「ダイヤモンド・オンライン」の4月25日の拙稿を参照)。IMFは、09年の日本の実質成長率を-6.2%としている。こちらほうがずっと現実的だ(私は、「09年度は-7%程度。08年度、09ン度、10年度を合わせて-10%となり、景気回復前の02年頃の状態に戻る」と考えている。

このように、未曾有の経済危機に直面しながら、経済対策も経済見通しも末世的状況にある。ところが、これに対する強い批判がほとんど聞かれない。これは、まことに不思議なことだ。マスメディアは、政府発表をほぼそのまま鵜呑みにして報道しているだけだ。太平洋戦争中に、大本営の過大戦果発表をそのまま流したようなものである。

最近の状況を見ていると、私は、「台湾沖航空戦」を思い出してしまう。1944年10月、大本営は、日本の連合艦隊が台湾沖で米機動部隊を攻撃し、空母11隻、戦艦2隻撃沈などの大戦果を上げたと発表した。しかし、実際の戦果は空母1隻小破などにすぎなかった。所有航空機のほとんどを失った連合艦隊は、航空支援のないままレイテ沖海鮮に臨み、戦艦武蔵をはじめとする主要艦艇を失った。

誰もが「どうもおかしい」とは思っているのだが、あえて反論する者がいない。かくして、無策状態がずるずると是認され、国全体が取り返しのつかない状態に落ち込んでゆく。

納税者意識がなければ政治は存在しない

私が特に問題だと思うのは、納税者の立場からの議論がほとんどないことだ。経済対策に必要な財源は、天から降ってくるわけではない。当面は国債発行で調達しても、いずれは納税者の負担になる(特に、今回のように追加支出が経済拡大効果を持たない場合はそうである)。しかし、このことが意識されていない。新聞の論説を見ていると、国債増発への懸念は表明されている。しかし、それは抽象的な懸念だ。それが納税者の負担に直結するとの被害者意識は見られない。

政府が経済対策を決めたのは4月中旬で、その少しあとの4月22日は、08年所得税の預金引き落とし日だった。だから、本来は納税者から大きな反対が出てくるはずなのだが、そうした声は上がらなかった。

なぜかと言えば、給与所得者の所得税納税は、源泉徴収だけで完結してしまう場合がほとんどだからだ。日本でこの制度が導入されたのは、昭和15年税制改革である。これによって、多くの日本人から納税者意識が消滅した。私は、これが「戦時経済体制」(1940年体制)の最重要要素の1つだと考えている。

納税者意識がなければ、経済政策に関する真剣な議論が行なわれないのも、当然だ。アメリカでは、金融安定化法さえ、いったんは否決された。納税者の立場から見れば、安易な金融機関支援は、容認できないのである。

アメリカ独立戦争のきっかけとなった「ボストン・ティーパーティー事件」は、不合理な徴税に対する反対であった。税負担増に対するチェックこそが、政治の基本だ。納税者意識を持たない人が大部分を占める日本では、政治を成立させる基盤が存在しない。ましてや革命など起こるはずはない。かくして、無為無策の政府と政治家は、永遠に安泰だろう。

政府が経済危機を解決する能力を持たないことは、やむをえないこととして受け止めよう。それに対しては、自衛するしかない。しかし、税負担の増加に対しては、日本国民である限り自衛できない。それがわれわれの悲劇である。

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