銀行支援はレモン社会主義

アメリカの金融危機が新たな段階に入っている。シティグループとバンク・オブ・アメリカの国有化観測が浮上して、株価が急落した。ニューヨーク市場での株価下落を受けて、日経平均株価も下落している。

現在のところ、国有化は否定されており、政府が筆頭株主になった状態で不良債権処理が行なわれるようだ。しかし、成功するかどうかは明らかではなく、将来は大きな不確実性に包まれている。

ポール・クルーグマンは、現在のような半国有化状態での救済は、「レモン社会主義」(lemon socialism)だと言っている(「ニューヨーク・タイムズ」2月22日付のコラム)。「救済が成功すれば銀行の現在の株主が利益を得る。失敗すれば負担は納税者にかかる」から、「損失は社会化される半面で、利益は私有化される」という意味だ。そして彼は、完全な国有化に進むべきだと主張している。

「レモン」とは、「質が悪い商品」という意味だが、単に悪いだけでなく、「中身が腐っていても、外からは見えない」という意味だ(ジョージ・アカロフは、1970年に「レモンの市場」という論文を書き、情報の非対称性のため、市場に粗悪な商品がはびこる危険を指摘した。なお、「腐れば外から見える」ものは、「ピーチ」と呼ばれる)。資産内容がどれだけ悪化しているのかわからない銀行を救済するため、「レモン」と言っているのである。

現在の方式だと、完全に国有化されたわけではないので、株式の価値はゼロにはならない。その意味で、現在の株主は保護される。そして、救済が成功すれば株価が上昇するため、現在の株主は利益を得る。この点を強調するなら、「レモン・コール」というのが正確だろう(これは、現在の株主にコールオプションが与えられたことを意味するからだ。第452号で、日銀による銀行保有株買い上げを「日銀プット」と呼んだが、それと同じことである)。

一般の株式も、有限責任制で守られているという意味でコールオプションと解釈できるのだが、購入者はその利益に対価を払っている。レモン・コールが問題なのは、コールの受益者(現在の銀行の株主)が対価を払っていないことだ。だから、「レモン資本主義」と呼んでもよいわけだ。

レモン社会主義と国有化の違い

ところで、国有化して再建が成功したとしても、その利益が納税者に還元されるとは限らない。これは、日本が経験したことである。

98年に経営が悪化した日本長期信用銀行と日本債券信用銀行は、政府が全株式を取得して一時国有化した。しかし、ここに投入された公的資金のうち10兆円程度が回収できず、国民負担となった。その後、長銀はリップルウッド・ホールディングスに売却され、2004年に再上場を果たした。しかし、この利益は国民には渡っていない。

再建が成功したときの利益を国民が得られるかどうかは、売却時の価格によって決まる。売却価格が低ければ、国民の負担は回収できない。日本の場合がそうであったように再上場以前に売却されれば、価格は低くなる可能性が高い。

沿うであれば、国有化と半国有化は、納税者から見れば、失敗したときに将来の負担があるという意味で同じだ。この2つが違うのは、再建が成功した場合に、半国有化では現在の株主が利益を得る可能性があることだ。クルーグマンは、それを批判しているのである。

銀行に公的資金を投入することに対して、共和党は納税者負担の観点から反対だ。これは当然だが、リベラルも、株主が再建の利益を得る可能性があるから反対なのである。レモン社会主義は、どちらの立場から見ても問題があるわけだ。

日本では、「アメリカ型資本主義が問題だ」というタイプの議論が大流行している。しかし、「アメリカ型」とは、共和党的な考え(納税者の利益を重視し、自助努力を強調する)だけではない。クルーグマンの考えも、アメリカ的なのである。実際、彼は前記のコラムの中で、「国有化がアメリカ的でないなどということはない。アップルパイと同じくアメリカ的だ」と行っている。「アメリカ的とは何か」をあえて定義すれば、白黒をはっきりさせ、どちらの立場にとって利益なのかを明確にすることだ。

市場主義も社会主義も、是非は別として、首尾一貫した考えであり、白黒がはっきりしている。それに対して、「どちらも極端だから、折衷がよい」という考えが、日本では一般に受け入れられやすい。しかし、折衷の仕方によっては、両方の悪い点だけを取り入れることになる。その結果、どちらよりも悪いものになり、ある立場を不当に有利にしてしまう。しかも、それが外からよく見えない。以下に述べるように、日本ではそれが普通のこととして認められていたし、今でもそうだ。アメリカ型資本主義を批判する人は、ぜひこのことを理解してほしい。

日本では問題視されなかったレモン社会主義

ところで、半国有化状態での銀行への資本注入は、日本がすでに行なったことだ(03年のりそなグループへの資本注入)。この方式は、「破綻処理をせずに救済したことが市場の安心感を呼び、金融システムの破綻を防止した」とポジティブに評価されている。

しかし、これは、レモン社会主義にほかならなかった。だから、問題にすべきことだったのだ。それだけではない。戦後日本の金融行政の基本であった「護送船団方式」も、「弱い銀行を守るという建前に隠れて、強い銀行が利益を得る」という意味で、レモン社会主義であった。

今考えれば、日本の議論は(私のも含めて)底が浅かった。「銀行が破綻すると混乱が起きるからどうしても救済する必要がある」という議論と、「納税者の負担になるから望ましくない」という議論しかなかった。リベラルを自認する人は、「国有化しない銀行に対する資本注入は、資本家に不当に有利」という議論を行なうべきだった。

議論の浅さは、銀行救済問題に限ったことではない。しばらく前に、「市場は卑怯だ」といった人がいた。なんたる無理解であろう。そして、武士道を復活させよという。こうした意見は、近代市民革命のごく初歩的な意味をさえ理解していない。農民の子に生まれた者は一生農民から抜け出せない身分社会こそが、卑怯なのだ。考えの基本が逆立ちしているのだが、日本社会では受け入れられてしまう。それどころか、歓迎される。

日本は、アメリカに対して政策のスピードの点で負けているが、議論の深さの点でも負けたと認めざるをえない。そして、「アメリカ型資本主義がダメになった」という議論の大流行が示すように、今に至るまで、議論の浅さは変わらない。

アメリカの銀行救済は、たぶん現在の半国有化方式を継続するかたちで行なわれるだろう。日本がかつて行ない、今も行なおうとしている方向だ。その意味では、「アメリカは日本になった」。

ただし、重大な違いがある。アメリカでは、これが「レモン」であることが認識されている。日本では、これまで認識されていなかったし、今でもされていない。

私は昔から、日本とアメリカの最大の違いは、政治と大学だと思っていた(制度の運営のされ方と人材の質において)。今金融危機をめぐる議論を見て、その感を強くする。これは深い敗北感である。

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