ついに発動された日銀プットが意味するもの

日本銀行は2月3日、金融機関が保有する企業株式の買取り再開を決定した。買取り総額は1兆円で、2010年4月末までの時限措置とする。買取った株式は、12年3月末までは市場売却せず、その後17年9月末までに処分する。

なお、日銀による株式買取りは、02年11月から04年9月にかけても行なわれ、総額2兆円あまりを買取った。また、政府が06年9月に終了した「銀行等保有株式取得機構」による株式買取りを12年3月末を期限に再開する法案が衆議院を通過している。

日銀は、企業が短期資金を調達するために発行するコマーシャルペーパー(CP)等を、3月末までに計3兆円買切ることを決めている。しかし、銀行保有株の購入は、これらとは性格が異なる。その意味するところについて考えよう。

第1に、CPの買取りは、企業の資金繰りを支援するためのものである。それによって日銀が企業破綻のリスクを抱えることになるとはいえ、量的緩和政策の一環として理解できるものだ。

しかし、銀行保有株の買上げに、そうした意味はない。これは単純に、銀行資産の劣化を防ぐためのものだ。さらに、銀行が保有株を市場で売却すると株価がさらに下落する危険があるため、それを回避するためのものだ。つまり、これは、金融政策の枠内にある政策ではなく、その目的は銀行支援と株価対策である。

現在の株価は、02年頃の底値とほぼ同水準である。したがって、銀行の購入価格は、現在の株価よりは高かったものが大部分であろう。このため、銀行が日銀に売却すれば、含み損が売却損として確定する。それは、すでに減少している銀行の収益をさらに圧迫することになるが、それよりも株を保有し続ける危険のほうが大きくなっていることを意味する。

つまり、これは、「株価が早期に自律回復する可能性はきわめて低い。だから、現時点で株を買えば、将来損失が発生する確率が高い」と、日銀が認めたことを意味するのである。

銀行保有株買い上げは「貯蓄から投資へ」と不整合

小泉内閣は、「骨太の方針」(01年6月)において、「個人投資家の市場参加が戦略的に重要」であり「貯蓄優遇から投資優遇へ切り替える必要がある」とした。これが、「貯蓄から投資へ」という方針だ。要するに、「銀行預金をするのはやめて、株や投資信託を買え」ということである。

これは、表向き、日本の企業資金調達手段を、銀行借入れ中心の間接金融方式から、社債市場や株式市場で調達する直接金融方式に転換することを目的にしたものだと説明された。そして、家計もリターンを得るにはある程度のリスクを引き受ける必要があることなどが指摘された。

このスローガンにはさまざまな問題があることを、この連載で指摘してきた。第1に、家計の株保有が少ないのは、合理的な理由がある。それは、日本の家計がリスクに臆病だからではなく、株式市場や証券会社の営業姿勢を信頼していないからだ。そうした事態を是正し、市場のインフラストラクチャを整備することこそ必要であるのにもかかわらず、それを怠り、「リスクを取れ」とけしかけるのは、無責任極まりない。

第2に、「貯蓄から投資へ」は、一般の家計に対してではなく、プロに対して言うべきことである。運営のつたなさは、特に対外資産の運用において明確に表れている。圧倒的大部分が債券である一方で、ドル資産に偏っている。このため、日本の対外資産は、07年以降の円高によって巨額の為替差損を被った。

さらに、第3の問題がある。それは、銀行保有株買上げ政策との整合性だ。政府が一方で個人に株を勧め、他方で銀行が保有している株を買上げるのでは、矛盾することになる。

政府は、株を「値上がりする可能性があるから持つべきだ」と言っているのか、それとも「値下がりする可能性があるから、銀行が保有し続けるのは問題だ」と考えているのか?「貯蓄から投資へ」として個人が株や投資信託を持つように誘導しようとした本当の目的は、「銀行が保有していた株を個人に押し付けようということではなかったのか?」と勘繰られてもしようがないだろう。

今買上げを再開するのであれば、「貯蓄から投資へ」という看板は下ろさなければならない。

「日銀プット」はモラルハザードを引起こす

しばらく前まで、アメリカで「グリーンスパン・プット」ということが言われた。「プット」というのは、プットオプションのことである(これは、あらかじめ決めた価格で資産を売却できる権利のことである。今回の金融危機の中で脚光を浴びたCDSも、その一種だ)。

株価が下がるとFRB(米連邦準備制度理事会)議長(当時)であるグリーンスパンが金利を下げてくれる。だから、「グリーンスパンが株価を支えてくれる」ということになる。その半面で、資産価格バブルがインフレ見通しに悪影響を与える恐れがない限り、FRBはバブル退治に積極的には乗り出さない。このように、中央銀行は、バブの崩壊後の「後片付け」に専念すればよいという考えだ(もっとも、グリーンスパンは、FRBがフロアを提供したという見方を否定し、「仮にフロアであっても、それは巨大なビルの地下室のフロアにすぎない」と述べていた)。

日銀の銀行株買入れも、一種のプットであると解釈できる。行使価格は、日経平均で8000円程度であるということもわかった。株価が長期にわたってこれを下回ると、日本経済の基幹的な部分で深刻な問題が生じるため、ここに「日銀プット」の行使価格が設定されているのだ。

日銀が株式を保有すれば、言うまでもなく日銀資産の健全性が損なわれる。より大きな問題は、モラルハザードを引起こすことだ。銀行は、リスクの高い資産を保有して値上がりによる利益を上げても、課税されない(住友信託銀行を除く日本の大銀行は、最近は大幅な黒字を計上したにもかかわらず、いまだに法人税を納付していない)。その半面で、株価が値下がりすれば、買上げてもらえる。だから、リスク管理がおろそかになる。

グリーンスパン・プットと比べると、日銀プットはより明示的だ。だから、モラルハザードもより顕著に起きる。アメリカのFRBも資産の買取りを行なうこととしているが、CP、モーゲッジローンの証券化商品など限定されたタイプの資産だ。一般の株式までが対象にされることはない。

銀行の株式保有は、日本の特殊事情である。日本で銀行保有が問題になるのは、持ち合いが行なわれているからである。そして、自己資本の計算上、株式の含み益の一部を自己資本としてカウントしているからである。株式のように価格が変動するものを自己資本にカウントするのは、本来はおかしいのだが、BIS(国際決済銀行)の自己資本規制に対して、日本が主張して実現したことだ。だから、日本の銀行は、かつて主張したことで、今自縄自縛状態に陥っていることになる。

日銀プットを保有しているのは、銀行のみだ。プットオプションは、普通は決してタダでは手に入らない。それにもかかわらず、銀行はきわめて価値の高いプットをタダで手に入れている。これは、目に見えないかたちで銀行に与えられている巨額の利益の1つである。

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