企業所得は伸びるが賃金は上がらない

企業の業績が向上し資本の収益率が高まるが、それが賃金に還元されない。

90年代以降の世界で、こうした現象が一般化している。アメリカでは顕著に生じており、「雇用なき景気回復」(jobless recovery)ということがしばらく前から言われている。日本でも類似の現象が起きている。企業所得が顕著に回復している半面で、家計所得は伸びていないのである。

この背後には、世界経済の大きな構造変化がある。第一に、冷戦の終結によって、それまで社会主義経済に閉じ込められていた約30億の労働人口が、資本主義経済の枠内に取り込まれることになった。つまり、労働力が急激かつ大量に増加したわけだ。

労働力が増えれば、当然のことながら、賃金率は低下する。これは、次のようなメカニズムで生じる。

第一は、労働力が豊富で産業のない国から、より豊かな国への移民である。移民自体は古くからあるが、現在でも、メキシコからアメリカへ、中央や東欧から西欧への大規模な移民が続いている。第二は、低賃金国で作った製品を高賃金国が輸入することである。中国で生産したものを、日本をはじめとする高賃金国が輸入するのがその例だ。第三は、製造業の生産拠点を、賃金の低い国に移すことだ。以上の過程を通じて、賃金の平準化が全世界的な規模で進む。ただし、これによる賃金平準化は緩慢にしか進行しない。

日本以外の世界でもオンライン・アウトソーシング

ところが、90年代以降、もう1つの変化が生じた。それは、インターネットによって、地球的な規模で通信コストがほぼゼロになったことだ。これが、世界経済構造変化の第二点である。これによって、低賃金国の労働力を活用するもう一つの方法が生まれた。それがオンライン・アウトソーシングだ。

これは、電話のコールセンター業務やバックオフィス的データ処理業務から始まり、次第に専門的な業種に及ぶようになった。今、アメリカの企業は、税務処理や法律関係の専門業務を次々にアウトソースしている。これを「21世紀型のグローバリゼーション」と呼ぶことができる。

すでに述べた20世紀型のグローバリゼーションによる賃金平準化は緩慢な過程であるのに対して、21世紀型のグローバリゼーションでは、賃金の世界的平準化は急速に進む。

今アメリカの若者は、IT技術を習得しても「インド人並みの賃金しかもらえない」と考えている。したがって、コンピュータサイエンス学科には、学生が集まらなくなってしまった。「インド人や中国人ができる仕事は、世界中で彼らと同じ水準になる」という彼らの予測は正しいと言わざるをえない。

企業から見ると、優秀な労働力を低賃金で使えるわけだから、収益率が上昇する。こうして、資本と労働の利害対立が鮮明になる。マルクスがかつて提起した問題は、21世紀の世界で現実化しているわけだ。これによる所得分配の変化は、アメリカでは大きな政治的イシューになっている。

日本では、中国で生産された低価格の商品が輸入されることによる影響は、誰でも気づくかたちで進行している。それが、「デフレ」と呼ばれている現象にほかならない。また、生産拠点の海外移転に伴う問題も、「空洞化」として問題にされた。しかし、21世紀型のグローバリゼーションではあまり意識されていない。それは、日本がこの変化から取り残されているからである。これには言語の問題も影響している。

インド人を使うのに、日本に連れてきて日本語を教えるのでは、コストがかかる。だから、アウトソーシングしても、アメリカにおけるような急激なコスト削減効果は生じない。したがって、日本では、「賃金がインド人並みに低下する」という現象が生じないわけだ。皮肉なことに、日本の労働者は言葉の壁で守られていることになる。

だから、日本の場合の賃金の伸び悩みは、製品輸入や生産拠点の海外移転という「20世紀型のグローバリゼーション」によってもたらされている側面が強い。しかし、所得分配に新しい傾向が生じたという点では同じである。つまり、日本も、世界経済の大変化からまったく影響を受けないわけにはゆかないのだ。

今回の景気回復の顕著な特徴は、最初に述べたように、企業所得が回復する半面で、家計所得が回復しないことだ。景気の実感がないと言われる原因は、成長率が低いことだけではない。従来の景気回復とは異なる所得分配パターンが生じているのである。格差問題が叫ばれる背景には、こうした条件がある。

従来の景気回復では、企業業績の増加に続いて家計の所得が向上し、家計所得が増えた。高度成長期には、これがきわめて顕著に生じた。このため、経済成長の成果は、賃金上昇を通じて広く分配された。しかし、それが今後も続く保証はない。今回の景気回復は、所得分配のパターンが変わることを示している。

企業をさらに有利にする税制改革

賃金が上昇しなければ、所得はどこに帰属するのだろうか。国民所得統計で「企業所得」と呼ばれているものは、いずれは配当や株価上昇あるいは役員報酬などを通じて、個人に帰属する。しかし、日本には、アメリカにおけるようなはっきりと識別できる大資本かがいないので、帰属先が誰なのかははっきりしない。ただし、企業所得が比較的所得の高い階層に帰属することは間違いない。また、「資本を所有していないとしても支配している人びと」の地位も上昇する。したがって、家計対企業の分配の変化は、今後の日本社会の構造を大きく変える。

ところで、以上は経済構造の変化によるものなので、それを押しとどめることはできない。押しととどめれば、グローバリゼーションに立ち遅れる。これを矯正するには、財政を通じる再分配によらざるをえない。すなわち、法人税を強化し、所得税や消費税を減税する方向の税制改革だ。

ところが、現実には、これとは逆方向の税制改革が行なわれようとしている。法人税を減税して所得税や消費税を引き上げる方向が実現しそうだ。これは、企業所得対家計所得の分配を、さらに企業所得に有利な方向に変更する。市場で実現される所得分配を再配分するのではなく、その方向をさらに強めることになる。

これは、もっと真剣に考えるべき重大問題である。政治的な大きな対立が起こって当然のものだ。しかし、日本では、これは政治的争点となっていない。公的施策との関連は、「公共事業が削減された地方に仕事が回らなくなった」という問題として矮小化されている。

本来であれば、民主党がこの問題を提起し、参議院選挙の最大の争点とする必要がある。しかし、そうした問題提起はなされていない。民主党は、労働組合系統と自民党脱藩者の寄り合い世帯なので、政治的な性格がはっきりしない。以上で述べたような大きな構造変化が起きているときに、労働者や家計の立場に立つ政党が日本に存在しないのは、大変困ったことだ。

先のアメリカ中間選挙を見ると、政治システムが適切に働いていると実感する(アメリカでの政治争点は、イラク問題だけではないのだ)。世界経済の構造変化による所得分配が選挙の争点となるような事態は、いつの日か日本に訪れるのだろうか。

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